2009年3月31日火曜日

:すばらしい新世界


● 1992/10[1992/09]



 むずかしいのは、世界が現在の姿からどのようにして「未来へ移っていくか」を、見極めることである。

 経済用語を使えば、自由市場で「モノが不足すると、価格が上昇し、利率が上がる」ということにになる。
 「利率が上がると、経済成長は鈍くなる」

 「資本不足」というこの発想は単純だが間違っている。
 それがまちがっているのは、世界を静的にとらえすぎているからだ。
 この考え方は、今日の資本供給と資本需要のレベルが一定だという前提で語られている。
 したがって、これから資本需要が増えれば、当然、不足が生じるというわけである。
 しかし、資本の需要も供給も一定ではない。
 どちらも変わっていくのである。

 将来、資本供給は増える見込みが大きい。
 それはなぜか?
 いま予測されている資本の「不足」は、悪質な製品ではなく良質な製品、新しい困難ではなく新しい投資の機会の到来によって引き起こされるからだ。
 新しい機会とは、利益が期待できる新しい投資の機会のことである。
 資本の供給は、貯蓄の供給に他ならない。
 消費するか貯蓄するかを決めるとき、人間や企業はその投資(すなわち貯蓄のことでもある)から得られる収入の見込みを判断材料とする。
 見返りが大きいと思われる場合は、より多くの金を貯蓄するだろう。
 世界経済についても同じことがいえる。
 新しい投資の機会の出現に反応して、貯蓄が増加する。
 つまり、多くの資本が生み出される。

 1990年代を語る言葉としては、「資本の不足」ではなく、「資本の再分配」の方がふさわしいだろう。
 ある国や地域で、多くの住民がよしとする以上に資本が減るかと思えば、別の国や地域では以前よりも資本が増える。
 資本は不足するのではなく、移動するのである。
 1995年から2010年までのあいだに、資本はまちがいなく、自由市場に再参加した地域に移動するだろう。
 具体的には、ラテンアメリカ、インド、中国、東欧、それに旧ソビエトである。

 今後20年から25年の間に、-------アメリカ、日本、イギリスといった豊かな国々の成長は鈍化するだろう。
 資本は豊かな国々から、発展し始めた地域に移動するだろう。
 その資本を輸出するのはいったい誰だろう?
 少なくともこれからの10年間は、日本がその役目を担うはずだ。

 韓国、台湾といった国々にとって、ロシアや東欧諸国、旧ソビエトの中央アジア地域はうってつけの投資先である。
 その論理は明快だ。
 アジアの新興工業国の技術水準は、ロシアのように工業化が半ばまで進んだ地域にぴったりなのである。
 東ヨーロッパに多額の資本を輸出するのは、最終的には西ヨーロッパだろう。
 市場統合のうまみがなくなれば、西側より東ヨーロッパのほうにより大きな利益を生む機会が転がっているからである。
 西ヨーロッパ諸国では高齢化が進み、労働コストが高くなっているののかかわらず、アメリカや日本に比べるて技術の進歩は遅い。
 しかし、たった「数百キロ」東におもむくだけで、教育程度は高いけれども充分な訓練をうけていない、そして年齢層のわりあい低い労働力が眠っているのである。








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