● 1997/03
『
そんなたぐいの言葉を聞いて、はじめのうちは耳をうたがい、まるでそこにいるのは怪物のような気さえした。
横目でおまえを見ながら、自分の生き方からわたしが教えたものがこれだとしたら、これは一体どこから出てきたのだろうと自問してみた。
おまえの言葉に無言で答えながら、「対話の時期」は終わったのだ、なにを言ってもはねつけられるだけだろう、と気がついた。
わたしは自分のもろさと、力のむだづかいがこわかったし、また一方、おおっぴらな対立はおまえの望むところで、はじめれば際限がなく、ますます昂じてゆく恐れもあった。
わたしはとげとげしさを和らげようと、おまえの辛辣な言葉にも知らんぷりを決め込んだから、おまえは別の道を探ぐらざるを得なくなった。
そこでおまえは、ここを出てゆくと言い、わたしの前から永久に消えうせてやると言ってわたしを脅した。
出てゆくというのはとてもいい考えだ、と私が言うと、おまえはにわかに重心を失った。
「一年も行っていれば」とおまえは繰り返した。
「少なくとも言葉が一つ覚えられるから、時間のムダにはならないわ」
ムダに過ごした時間というのは、けっして損失などではなどではない、とわたしが言うと、おまえはひどく苛立った。
おまえの癇癪が頂点に達したのは、人生はただ走ることではなくて、「的を射る」ことなのだから、大事なのは時間を節約することではなくて、「核を見つける」ことだと言ったときだった。
おまえはテーブルの上にあった二つのカップを手ではじき飛ばして、ワッと泣き出した。
「あんたは、ばかよ」
と、手のひらに顔をうずめてながらおまえは言った。
「ばかだわよ。わたしがしたいのはそれなんだって、わからないの?」
それから数週間というもの、わたしたちはまるで、野原に地雷を埋めたあと、踏まないように用心している兵隊みたいだった。
それが何で、どこにあるか知りながら、気にかかるのは外のことだと言わんばかりの顔をして、遠く離れて歩いていた。
わたしは自分のなかに核をもっていなかった。
そのために、自分の内部に似たありさまを外に見るのが苦痛だった。
ある年齢になってはじめて見えてくるものがある。
家との関係や、わたしたちの内や外にあるものとの関係もそうだ。
六十か七十になってふいに分ってくる。
家や庭は、便利だから、きれいだから、あるいは偶然のなりゆきで住んでいるところではなくて、自分の庭であり、自分の家であって、貝殻がなかに棲む貝の一部であるように、自分の一部であることが。
いつだったか、アメリカには自分は生まれ変わりだと信じている人たちのグループまであると新聞で読んだ。
「1800年代のニューオリオンズで、わたしは娼婦をやっていた。だからいまでも夫に忠実な女になれない」
とある主婦が言う。
なんて悲しいおろかな言い分だろう!。
自分の生き方の根拠をなくして、現在の暗さと不安を過去の姿で取り繕おうとするなんて。
生命のサイクルに意味があるとしたら、それはまったく別の意味だろうと思うに。
祖先が血によって伝えてきた、もともと「境遇に由来する運命」を、逃れるすべはあるのだろうか。
どうだろう。
たぶん世代から世代へと閉鎖的に受け継がれてゆくうちに、あるところで誰かがちょっと外より高い一段をかいま見て、そこをのぼろうと精魂をかたむけるのだ。
鎖の一環を引きちぎって、違った空気を部屋にいれようとする。
これこそが生命のサイクルのちっぽけな秘密なのだと思う。
ちっぽけだけど、足元がおぼつかないから実に不安で骨もおれる。
つい先だっての新聞の科学特集に、「進化」というのはこれまで考えられていたような過程はとらないとあった。
最近の研究によれば、変化は徐々に起きるのではないという。
あるときふいに、母から子供へ、だしぬけに変わってしまうそうだ。
中間型というのはみつかったことがない。
祖父はこうなのに孫はこうだという具合に、世代と世代の間に飛躍がある。
もし、それがほんとうなら、人間の内的生命についても同じことがいえるのだろうか。
変化は目に見えないところで静かに起こり続け、それがあるとき噴出する。
人はとつぜん殻を破って、それまでとは違った自分になろうとする。
運命、遺伝、教育。
どれがどこからはじまり、どれがどこで終わるのだろう。
一瞬でも立ちどまって考え出すと、こういったもののなかに隠れている深い神秘に、息をのんでしまう。
「偶然?」
いつかモルプルゴさんのご主人が、ヘブライ語にはそんあ言葉はないと言った。
偶然らしいことを示すには、アラビア語の《運》という言葉を使うしかないそうだ。
「神」がいるところには偶然の入る余地はなくて、そのかわりになるようなめぼしい言葉さえない。
すべては高みから決められ、規制され、誰かに何かが起こるとしたら、意味があるから起こるのだ。
ためらいなく気軽にこういう見方を身につけている人に出会うと、わたしはいつでもほんとうに羨ましくなった。
わたしの場合は、どんなに頑張ってみても、そんな見方は二日と続いたためしがない。
ありがたく受け入れるどころか、反抗心がむらむらとわいてきたもんだ。
>』
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