● 1997/03 草思社
『
逝ったものがわたしたちの胸にのしかかるのは、おたがいにに言わなかったことがあるためなのだ----この思いから、人生も残りすくないと悟った老女が、遠くはなれた孫娘への置き手紙のつもりで日記を書く。
その日記は、孫娘とのあいだに横たわる、理解しあえなかった日々を埋めようとする試みであり、それまで自分自身にさえ明らかにしようとしなかった、「心の暗部の告白」でもあった。
ここには老女の心情や動きがじつによく描かれているが、作者のスザンナ・タマーロがこの作品(Va'dove ti porta il cuore, Baldini & Castoldi, 1994)を書いたのは2年前、36歳のころだった。
80歳の老女の身になるには苦労したと、当然ながらスザンナ自身も言っている。
発作の後遺症で働くのも容易でなく、コーヒー一杯淹れるにも骨をおる老女の日常がどんなものか、想像するのもむずかしかった。
そんな彼女をささえたのは、長い年月を祖母とふたりで暮らした経験だった。
スザンナの作家魂をはぐくんだのも、空想好きはこの祖母だった。
オルヴィエートの自然は心に平安をあたえてくれる。
そこではじめて彼女は、自分の心の奥底をのぞくゆとりを得た。
心を見つめる方法として、スザンナははじめて精神分析をこころみた。
しかし、これは失敗だった。
分析は医師に自分を預けるような形になり、主体的に自分を立て直す役にはたたない。
その思いを強くしたことは、本書からもうかがえる。
つぎにためしたのは柔道だったが、これは好きになれなかった。
そこで空手をはじめてみると今度は性に合った。
空手は彼女の過激な神経を静め、安定と自律ををもたらしてくれた。
身体が美しくなるばかりか、心まで清浄にしてくれるような空手に、スザンナは惚れ込んだ。
その後はじめた瞑想や座禅も、空手の延長線上にあった。
自身のうえに意識を集中し、静寂の深さをはかるうちに、いつのまにか自分が開放されていることを知る。
その喜びはなにものにもかえがたかった。
そのうちに東洋の宗教にも興味をもちはじめ、ヒンドウー教の経典までひもとくようになった。
本書のモデルは祖母であっても、作者の自伝的要素が多分に含まれている。
本書はイタリアで昨年一月に出版されてから、一気にベストテンのトップにのぼり、そのあと年末まで一位をゆずらずに、とうとう1994年のナンバーワンになってしまった。
いまだにベストテンの上位を占め、イタリア国内だけで200万部に達し、翻訳も22カ国におよぶ。
なぜこれほどの人気になったのだろう。
その秘密は、まるで読者とじかに対話するような、真摯でうちとけた語り方にあるのだろう。
わたしたちは読むうちに、人生の真実を淡々と語る老女の心の奥深くに知らぬまに吸い込まれ、気がついたときには、自分の心の奥底への旅をはじめている。
若い世代から高年代まで、とくに女性に圧倒的な共感を得たのは、この物語が三世代の女たちの心の歴史でもあるからだろう。
世代間のズレからくるお互いの理解の難しさ、女性のかかえる悲哀や孤独。
それはいつどこの女性にも共通したものだから。
本書の主人公は老女だが、スザンナのこれまでの作品では、子供向けはもとより、大人向けの長編一作短編数作でも、主人公はほとんど子供たちだった。
書くことが一種のカタルシスであるとすれば、不運な子供時代をおくったスザンナにとって、子供は永遠のテーマなのかもしれない。
「ブーベの恋人」の監督ルイジ・コメンチーニの娘、クリステイーナ・コメンチーニがこの作品の映画化を進めている。
彼女は本書を読んで、心はげしく揺すぶられ、ぜひ映画にしたいという思いにかられて、気乗りのしないスザンナを説き伏せたそうだ。
この作品を読みながら、読者の方々がさまざまな思いを作者と親しく語りあってくださったとしたら、訳者はこれほどうれしいことはない。
それは日本に深い関心を抱いている作者にとっても、大きな喜びにちがいないのだから。
1995年夏 泉 典子
』
「すばらしい本」というより「すごい本」だ。
36歳にして、ここまで老人の心のヒダに入っていることに驚きを禁じえない。
読後感想案内
『
★ 心のおもむくままに 作者 スザンナ・タマーロ
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tosyokan/tosyokan/tosyo-gaikoku/kokoro.htm
』
映画案内
『
★ 心のおもむくままに(1995) goo映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD30174/
』
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
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