2009年3月9日月曜日

:あとがき


● 1972/04[1972/01


 「無人島記」のメモを載せたかったのであるが、他のサイトで使っており、二番煎じになりそうなので、代りに「ムツゴロウシリーズ第一弾」と銘打った「青春記」をとりあげることにした。
 というのは、青春記の大半はこの無人島で書かれたと、ムツゴロウ自ら述べており、あながち無人島記とかけ離れているわけではないと、思われるからである。



● 1991/10[1974/06]


 実をいえば、私は一度でいいから、ホテルにカンズメにされるという心境を味わってみたかったのであった。
 むろんそんな身分ではないし、新聞、週刊誌、月刊誌の連載を山ほど引き受け、思案投げ首、催促の手から逃れたかったわけでもない。
 私はもともと大がかりなことが、芝居がかったことが大好きだし、たとえばカンズメになってホテルから、

 おう、元気か。
 おれな、いま、仕事でホテルにとじこめられているんだ。
 ふふふ、そうだよ、なかなか許して貰えなくてな、何のために生きているのかと考えこんだりしちゃってさ。
 じゃな。

 などと友だちに電話する自分を想像してうっとりしたものだった。
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 反対はしたけど、Q氏は私をホテルにとじこめてくれた。
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 そこでわたしはきっちり10日間とじこもったが、結局は一行も書けなかった。
 食って寝てテレビを見、飽きるとコンコンと眠るだけだった。
 ホテルで原稿が書けるようになったのは、ずっと後のことである。
 私はQさんに告げず、こっそりそのホテルを逃げ出してしまった。

 無人島で書き上げ--------。
 さて、この主要な部分を書いたケンボッキ島の家は、一間だけのアバラ屋であった。
 風と雨は容赦なく吹き込むし、冬になると、冷機が忍びこんできて氷となった。
 私はその押入れの上段に風呂の踏み台を持ち込んで書いていた。
 部屋にはヒグマの子がいて、下で書こうものなら、何もかもメチャメチャにされたろう。
 興が乗ると、夜まで仕事をした。
 前方と左右にローソクを三本たてた。
 島暮らしをして分かったのだが、ランプというのは実に不便だ。
 もし落とした場合、石油が流れ出て、それに引火して家事になるおそれがあるし、第一暗くて叶わない。;
 ローソクの方がずっと明るいのである。
 三本つければ、島の暗い夜を照らすシャンデリアであった。
 欠点はあるかなきかの風によってまたたき、目がチカチカすることだった。
 これには慣れるしか手がない。

 「読ませて貰えないでしょうけど、大丈夫でしょうね。本当に‥‥」
 「何が?」
 「悪口を書かないで、わたしの」
 「さあて、それは約束できないなあ。ありのままを書くしかないし」
 「そうね、そのほうがいいわね。
 あなと二十年以上一緒に生きてきて、ついに無人島まで来たけど、生きているの愉しかった」
 「おれもだ。一時は自殺しそうになったけどもね」
 「それもお書きになるの?」
 「何年か後で、3冊目か4冊目で」
 私のメモはふくれにふくれて、長いシリーズものになりそうである。

 近いうちに私は、かけなかった続編に着手し、支持してくださった読者とQさんへの約束をはたそうと思う。






【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



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