2009年3月25日水曜日

滅びゆく国家:立花隆


● 2006/04



はじめに

 あの本(注:「天皇と東大」)は、その疑問を解くために書いたようなものだが、書いているうちに、日本という国の「どうしようもない欠陥」がわかってきた。
 あの戦争は、かってそのように喧伝されたように、腹黒い一群の軍国主義者たちがいて、彼らがこの国をいわば乗っ取る形でこの国全体を戦争に引きずり込み、善良な国民たちを塗炭の苦しみにあわせたのではない。
 全国民がそれを当然のこととして受け入れる形で、国家の総意として、あそ戦争に突っ込んでいったのである。。
 あの戦争は特定少数の戦犯たちが国民の意思に反して引き起こしたものではなく、国民全体の圧倒的支持の上で起こされたものである。
 圧倒的に多数の国民は、熱狂的にあの戦争を支持していたのである。

 神がかりの「天皇中心主義思想」が世をおおっていた。
 昭和6年の満州事変から、昭和12年の盧溝橋事件(日中戦争の発端)の間に、日本の政治体制も社会体制も決定的に変化し、日本は国をあげて戦争マシーンに転化していった。
 そのような大正デモクラシーの時代には考えられなかったような大変化が、わずか足掛け「七年」でおきたのである。

 あの短時間の変化が私にはなかなか納得がいかなかったが、昨年小泉首相の乾坤一擲の大勝負、郵政法案否決を受けての解散総選挙とそれによる大勝利を受けて、小泉首相の一人天下時代が生まれていく過程を間近でみるうちに、あの昭和初期の大変化がわかったと思った。
 小泉が首相になってから、今年やめるまで足掛け6年、あの日本社会の大変化がおきたときとほぼ同じ期間なのである。
 小泉が首相になる直前まで、いま見るような小泉改革がある程度実現した社会が日本の近い将来に現出するであろうなどと予測する人はほとんどいなかった。

 しかし、これだけの時間があると、一つの社会の根本的性格がガラリと変わってしまうような大変化が起こりうるのである。

 本書の随所に書いてきたことでわかるように、私は多くの点で小泉政治に批判的である。
 「イラク戦争 日本の運命 小泉の運命」(2004 講談社)に書いたように、私は小泉内閣に対して、一貫してアンビバレントな気持ちを持ってきた。

 小泉政治がもたらしたデメリットは、メリット以上に大きなものがあると思う。
 特に、日本の未来を考えたとき、このままでいいとはとっても思えない。
 小泉改革の延長上に、日本のハッピーな未来があるとはとても思えない。
 いままだ、小泉政治を評価する人が多いのは、小泉政治(改革)の見かけ上のもっともらしさ(いわゆる小泉マジック)に幻惑されている人がそれだけ多いということを示しているのだと思う。

 >これから何年かして、小泉改革の負の遺産が社会のあらゆる側面に蓄積浸透してくると、小泉改革の相当ネガテイブな側面があったことが共通認識となってくる。






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