2009年3月2日月曜日

:1992年11月16日 オチピーナにて


● 1997/03



 この「書きおき」が海をわたって、アメリカのおまえの元に着くことは決してない。

 祖父母なんて「おまけ」みたいなものだから、いなくなったからって別になんにもならないね。
 孤児にも未亡人にもなりはしない。
 自然のなりゆきで、気まぐれみたいに道に放りだされるだけ。
 傘が道に置き去りにされるように。

 「先生」、私はそれを聞いて言った。
 「エスキモーをご存知ですか」
 「ええ、知っていますよ」
 「そうですか、私もあんなふうに死にたいのです」
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 「白い壁にかこまれて、ベッドに釘づけにされたまま、「一年、生き延びる」より、私の菜園で、ウリカボチャのあいだに頭から倒れて死ぬほうがいいのです」
 言い終わったとき医者はもうドアのところにいて、冷ややかな笑みを浮かべていた。
 「みなさん、そう言いますがね」
 彼は出てゆく前に言った。
 「結局はあわててまたここへ戻ってきて、木の葉のように震えながら、治して欲しい、と言うんです」
 三日後に、私はおかしな書類にサインをした。
 そこには、万一、私が死んでも、責任は私だけにある、と書いてあった。

 子供と老人はよく似ている。
 ところが青春期になると、身体のまわりに目に見えない甲羅ができはじめる。
 甲羅は青春期にできはじめて、熟年期がすぎるまで厚くなり続ける。
 傷が深く大きいほど、まわりにできる甲羅もかたい。
 けれども年を経るうちに、長く着すぎた服のように、薄くなったところから擦り切れて、組織がはみだし、あるとき突然はがれてしまう。
 はじめはそれに気づかず、甲羅にすっぽり被われているとばかり思っている。
 それなのにある日どういうわけか、ささいなことがきっかけで、子供のように泣きだしてしまう。
 おまえとわたしの間に自然の垣根ができたとおもうのは、このことにほかならない。
 おまえが甲羅を形成しはじめたころ、わたしの甲羅はボロボロになっていた。
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 夜、ベットに入って考えをまとめるときには、おまえに起こりつつあることに満足していた。
 青春期をぼんやり過ごす者は、決して真に器の大きな人間にはなれないのだと自分に言いきかせて。
 でも朝になってみて、起きぬけに目の前でドアをピシャリと閉められたりすると、地獄に落とされたみたいに泣きたくなった。
 おまえと張り合うのに必要なエネルギーがどこからも湧いてこない。
 おまえも八十になれば、その年ごろの老人が九月の末の木の葉のような気持ちでいるのがわかるだろう。
 あとわずかな寿命しかない。
 近くの葉が一枚一枚落ちてゆくのを目のあたりにして、風が吹くのにおびえながら生きている。
 わたしとって、風はおまえであり、歯向かおうとする若い生命力だ。
 わたしたちは同じ木にいながら、こんなにもちがう季節を生きていたのだよ。
 
 キッチンなんていう小宇宙からもってきた喩えに、おまえは笑いだすどころか、うんざりするだろう。
 でも仕方がない。
 誰だって自分のよく知っているところから発想するものなのだから。
 今日はここまでにしておこう。
 ブック(注:犬の名)がため息をついて、訴えるような目を向けている。
 自然の法則はブックにもあらわれていて、季節が変わってもスイス製の時計のように正確に、食事の時間を知っている。







 書きとめておきたいところが、山のようにある。
 その点でもすごい本だ。
 その中から選んで選んで選び抜いていくつかを残しておく。




【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



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