2009年3月16日月曜日

ペルソナ 三島由紀夫伝:猪瀬直樹


● 1995/12[1995/11]



あとがき

 読書する者たちにとっては、つねに<意識>が自己を客体化させてしまう。
 打ち消してても打ち消しても、醒めた認識者の視線を追い払うことはできない。
 それがふつうのこととは三島は考えなかった。
 ぼく達は、しょうがないじゃないかといつの間にか納得してしまうが、三島はそれでは生きていけなかったようである。
 意識化の作用が強すぎて、ある程度ふつうに振る舞うということがなかなかできない。
 ある程度、という調節ができない。
 全部が演技になってしまう。
 ついには演技の側でしか生きていけなくなってしまった、ということだろう。
 そのジレンマもまた彼は知っていた。
 認識の無間地獄のような世界である。

 だから「花ざかりの森」出版の経緯や、敗戦後のやや露骨とも思われる売り込み方は、あとになってみればかなり辛い想い出となったのではないだろうか。
 少年期はよいけれど、誰だって青年期など一刻も早く忘れてしまいたい。
 「たえざる感情の不均衡、鼻持ちならぬ自惚れと、その裏返しにすぎぬ大袈裟な自己嫌悪、誇大妄想と無力感、(略)要するに感情のゴミタメ」など、はやいところ蓋をしてしまいたい。
 ところが三島の場合は、忘れたいのに、すべてのシーンが克明で、ひとつひとつが鮮明な映像となって蘇ってしまったのだと思う。
 これはかなり苦しい。

 三島については作品を読むことで、おおよそはわかる。
 これまでに刊行された評伝は三島の王朝的な雅の世界を分析するため、どうしても祖母夏子の家系に重点が置かれた。
 だが作品化された世界をなぞるだけなら、三島特有のパラドックスが視えてないのではないか。
 農民から明治時代特有の立身出世の世界に生きた祖父平岡定太郎について「仮面の告白」のたった一箇所を除けば、三島はみごとに作品から排除したのである。。
 今回、あらためて祖父平岡定太郎、父親平岡梓、そして平岡紀公威と三代の血脈を、官僚という稜線に即して辿ってみて、ようやく全体像に迫れたような気がする。
 少なくとも、僕はある了解が得られた。

 おそらく近代官僚制は、そうした不在の何かを埋め合わせるシステムなのだ。
 立身出世の野心に溺れた祖父、屈折した小役人でトリックスターの梓、そして三代目に三島がいる。
 いずれも官僚を志向するが、結局、官僚機構から落伍者で終わった。
 その血脈から一筋のの愚直さがこぼれ、絢爛たる文学が開花した。
 三島が、晩年、天皇という存在にこだわったのは、近代官僚制のシステムではない別の確固たるものを求めた結果だろうが、最後にはそれすら信じていなかったのではあるまいか。








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