2009年3月12日木曜日

:スタンドバイミー1950


● 2004/12



 通称、「柳ケ瀬のリョーチャ」、「オカマのリョーチャ

 昭和20年代の小さな地方都市にしては画期的ともいえるオカマの先駆者だった。
 リョーチャがリョーイチなのかリョウージなのか、誰も知らなかった。
 年齢もつかみにくく、二十数歳とも見えたし、三十歳過ぎといってもおかしくなかった。
 昼間の柳ケ瀬界隈、リョーチャは女言葉を操る不思議な大人として、子どもたちの人気を集めていた。
 じっさいのところ、リョーチャはきれいだった。
 二重瞼の大きな目と高くて筋の通った鼻、小さめの口が品よく並んで、柳ケ瀬の夜を彩る女たちがよく、「ええなあ、オトコのくせに美人で」などと言ってうらやましがったりした。

 「このべべ、きれいやろ、わたいもきれいやろ。
 じょじょもおろしたてやよ。
 ねえ、誉めたってよ」
 リョーチャの話は、いつもこんな風にはじまった。
 本人が「きれいやろ」と言うときの一着は子どもの目にも少し汚れて見えたが、上品な薄紫色が妙にまぶしかった。
 着物の数はそれ以外に二、三着だけで、長い髪の毛はほとんどいつもざんばら、足に突っ掛けているじょじょはほこりにまみれ、かかとは薄く擦り切れていた。
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 「キャシー」というアメリカ女性の名がつけられた台風は、紀伊半島の南端をかすめて一直線に伊勢湾を北上している。
 長良川の上流では何十年ぶりかの大雨が降り、岐阜市内でも増水に対する厳重な警戒が必要だと、アナウンサーが興奮気味に話していた。

 ぼくたちはリョーチャの体重よりはるかに多い量の石を拾い、一度納涼台まで運んでから、次に死体を持ち出す作業に入った。
 死んだリョーチャは冷たくてやけに重たかった。
 ゴッサが死体の肩に手をかけ、ぼくと自転車屋が足をもって、縁の下から引きずり出し、----。
 リョーチャの表情は昨日と変わらずおだやかだったが、ゴッサが死に顔は気味が悪いと言って、持ってきた手ぬぐいを顔の上に置いた。
 ぼくたちは頭を持ち上げたり手を引っぱったりして、何とか戸板に乗せた。
 その間、どこかの骨が何度もゴキッと音を立て、はっとさせられたが、雨と風の咆哮がぼくたちの動揺を完全に消してくれた。

 戸板を納涼台の石の欄干まで持ち上げてから、リョーチャの着物の裾、袖口、裾野折り返し部分と、袋状になっている箇所に片っ端から石を詰め込んだ。
 そして三人で戸板の手前を持ち上げた。
 ゴッサが、顔を覆っていた手ぬぐいを取って声をかけた。
 「リョーチャ、暗いけど最後にようこの世を見ときや。
 台風が来とって荒れとるけど、向こうへ行けば静かやろうでな。
 ほんならいくぞ」
 「そや、ちょっとまってとって」
 自転車屋がいったん戸板をおろして手を合わせた。
 ゴッサとぼくはあわててそれにならった。
 「ナームー」
 自転車屋の口から慣れた二語が流れ出た。

 三人で「ナームー」を繰り返してから、もう一度戸板の手前の方に手をかけ、
 「一、二、三」
 で持ち上げた。
 リョーチャはそのまま横滑りして、重い頭部を先にふうっと暗闇に消えていった。
 一秒もたたないうちに「ドップーン」という大きな水音がして、すべてが終わった。
 すぐ淵を見下ろしてみたが、流れる水の音がいつもより大きく響くだけで何も見えなかった。
 風はさらに勢いを増し、雨は止む気配もなく横殴りに叩きつけていた。









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