2009年3月26日木曜日

:小泉政権とは


● 2006/04




 小泉首相がどう言い抜けようと、これだけの反日デモを起こしてしまったことに対して政治的責任がある。
 中国の反日デモショックで株が暴落した。
 それもそのはず、どん底まで落ちた日本経済がようやくここまで復活することができたのは、隣国という立場を利用して、高成長を続ける中国経済の昇龍の勢いの波にうまく乗ってきたからである。
 中国の労働力と生産力をうまく利用してきたからである。
 中国の市場をうまく開拓してきたからである。
 そのすべてを小泉首相は台無しにしつつある。
 経済界は「轟々たる非難」を小泉首相に浴びせてしかるべきだ。

 私は、バブル崩壊前後の、特に1997年以後、昨年(注:2004年)あたりまで続いた日本経済の危機的状況は、あと20年もすると
 「平成恐慌
 の名で呼ばれることになるのではないかと思っている。


 政治とは、国民各層の価値体系のぶつかり合い、政治見解のぶつかり合いの中で、利害を異にする集団間のベストな妥協点を探っていくプロセスそのものなのだから、おのずとその軌跡はジグザグたるものにならざるをえない。
 筋道と大衆の共感が相反する場合もあるというのが政治の難しいところで、その場合、筋道を通す方向で大衆を説得できる政治家が偉大な「ステーツマン政治家」で、大衆にズルズル引きずられて筋道を忘れるのが「ポピュリスト(大衆迎合)政治家」である。

 小泉首相のように、「前言を翻す」ことができない政治家は、豹変能力を欠く政治家である。
 環境世界が変わっていくとき、それに対応して変われない政治家は、いずれ「野たれ死に」せざるをえない。

 このまま小泉神話を作るべく独走を続けていくと、小泉政権の終わりもハッピーなエンデイングにはならないと思う。
 権力は変身能力を伴ったときにはじめて長続きする。
 時代状況はあらゆる意味で変化していくから、自己の「変身能力」を持たずに、あくまで過去に固執しようとする者は、必ず時代とズレていく。
 一時は時代の寵児であった者が、いつの間にか、時代にうとまれるアナクロ政治家になっていく。
 
 小泉首相の賞味期限は実は、すでに前から切れている「らしい」ことを示すのは、世論調査における小泉支持率の高低ではなくて、、その支持理由の中身の変化である。
 小泉支持率は依然として高い数字を保ってはいるものの、「だからやっぱり小泉」とする積極的支持者は少数になる、「他に適当な人がいないあから」という消極的支持者が多数者になっている。
 そうなった時点(はっきり覚えていないが、もう相当前である)で、すでに本当の意味での小泉時代は終わったと見てよいと思う。







注:[失われた10年] Wikipediaより
 :1991年から2002年あるいは2003年までの約11年あるいは12年の期間をさす。

注:[いざなみ景気] Wikipediaより
 :2002年01月より2007年11月までの「69ケ月(7年弱)」をさす。

注:「平成恐慌」時期とは
 1997年以後、2004年あたりまでとのことで、失われた10年の後半から、いざなぎ景気の前半にかけての約8年ほどにあたる。


 どうも立花隆にとって小泉純一郎は理解の範囲を超える人物のようだ。
 いろいろ予想を立てるが、それが次々、みごとに外れていく。
 その言い訳を階を重ねるように連ねるが、どうにも納得ある説得力に欠けている。
 田中角栄に対しては針もつハチであり、その「チクリ」が実に有効に素晴らしかった。
 限りなく喝采を送った。
 そのしめた味が忘れられないのか、小泉純一郎に立ち向かっていくが、それがみっともないくらいにことごとく外れる。
 予想のほとんどが外れになってしまった。
 まるで象に挑む蚊のように思える。
 「予想屋」をやめたらと思うのだが、「やめられない止まらない」、といったところか。

 あとがきに2つの本の名前が出てくる。
 それがなんと両者とも週刊誌。
 「週刊朝日」と「週刊現代」
 そして、その週刊誌の内容をヨイショしている。
 角栄研究のときのように、新聞などの受け売りを一切拒否したあの実証主義は何処へいってしまったのだろうか。
 普通、本の「あとがき」に週刊誌の内容を書き込むだろうか。
 そういう本に出会ったのはこれが初めてである。
 珍しいことである。

 例えばこうだ。
 「最近、週刊朝日が書いていた、小泉首相が大連立の構想を持っていて------」
 「最近の週刊現代によると、そのきっかけは靖国問題という-------」
 「この話を週刊現代にリークしたのは、別の外務省高官ということだが------」

 裏づけ不明な売らんかなを一義とする週刊誌のトップ屋的内容を大仰に騒ぎ立てて援用している。
 リップサービスを真にとらえるほど一般読者だってバカではない。
 時間つぶしが終わると「あ、そう」で、駅のゴミ箱に読み捨てられていく週刊誌だ。
 「滅びゆく国家」の次ぎは
 「捨てられゆく、知の巨人
 なんてことにしないで欲しい。

 生理的に「嫌いなものは嫌い」というのも分かる。
 こういうときは口にチャックしていたほうがいい。
 どうしても感情的な余分な雑音が入ってしまう。


 これは2009年3月に書いているので、立花さんには不公平になるが、あまり予想というのは細かく明言しないほうがいいということのようである。



【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



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