2009年3月21日土曜日

:鬼太郎墓


● 2005/12



 ニューギニアで4人乗りの飛行機に乗ったとき、若いニューギニアの操縦士が、裸足で、女としゃべりながら操縦するんです。
 むこうはオートバイか何かに乗っているつもりなんでしょう。
 でも、足の下はジャングルですよ。
 墜落するかと思ったんです。
 でも死んでも行くところがない
 「あ、こりゃダメだ」と思って、日本に帰ってから、家の裏の寺に自分の墓(鬼太郎墓)を造ったんです。


 [自らの生前墓=鬼太郎墓について]
 紹介されたのが、なんと彫刻のできるという、ミケランジェロのような石屋だった。

 石屋を訪問してみると、なるほど随分上手な彫刻である。
 「こりゃあ、あんた、鬼太郎とねずみ男を正面に据え、中央の墓は巨大な目玉にしたらどうでしょう」
 と言うと、即座に膝を叩き、
 「やらしてもらいましょう」
 ということになったので、
 「ついでに墓の壁に妖怪を四十体ばかり彫刻してください」
 というと、これも即座にOKしてくれ、そして、
 「私にこんな彫刻をやらせていただいて、うれしくてなりません」
 と『日本ミケランジェロ』は感泣せんばかり。

 やがて出来上がったが、中央の巨大な目玉は、家内が強く反対したために、塔様の古代墓にし、墓の壁は、何しろ妖怪が四十体以上あるため、半年くらいかかった。
 レリーフである。

 「あんた、せっかくの力作だから、名前を入れなさい」
 と言うと、彼は『石繁』と彫った。

 それから'時々、町で行き交うことがあったが、彼は必ず「先生」と言って、あいさつするのが常だった。
 しばらく姿を見なくなったので、ちょうど寺に息子が来ていたので聞いてみた。
 「どうしました」と聞くと、
 「肺ガンで亡くなりました」と言われて驚いた。
 「胸が痛い、と言って病院に行きましたが、即日入院して三日目に亡くなりました」という話。
 日本ミケランジジェロは、私の墓を最後の作品として、永久にこの世から消えたのだ。











[補]
 「日本のミケランジェロ」が刻み込んだ「鬼太郎墓」がどういうものか見てみたいとサイトを巡ったのですが見当たりません。
 きっと探し方が悪いのでしょう。
 見つけたら、追記します。

v
● これは鬼太郎墓ではないようです。



【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_