2009年3月12日木曜日
長良川:般若心経:松田悠八
● 2004/12
『
母の動きは連れ合いを亡くした妻というより、遠い親戚に仏さんが出て手伝いに来たおばさんといった風情で、昨日と変わらず淡々としていた。
「ナムアミダーブー。キニョームノー」
母は歩きながら唱えているお経の文句が、かすかに聞こえてきた。
それは小さい頃からずっとぼくたちの周りにあったなじみ深い節回しで、意味はわからないがしっかり刷り込まれているものだった。
これを聞くと、人の生き死にのことがにわかに近づいてくるような気がする。
葬式は「死に顔の展覧会」だった。
ぼくたちはその度にどきどきしながら死に顔を覗き込み、ゆがんだのやふくよかなの、まだ赤みの残ったのや、干からびたのに接して、(そうか、こうなるんか)と神妙に納得もした。
葬式ならまだしも、ただの法事となるともう誰のために手を合わせているのかわからないこともよくあった。
悲しい仏さんはあまりいないから、供養は概してにぎやかに行われる。
終わり頃になってようやく誰の法事だったのかわかってくるといった始末であった。
「今日は仏さんがおめんたを呼んでくれたんやで、ありがてえ気持ちわすれたらあかんぞ。
ふだん集まれんもんたらを呼んで、お互いにまめでやっとるか見せてくだれるんやでなあ。
仏さんに呼ばれて集まるで、「お呼ばれ」、言うわけや」
その日を差配してきた大人がそんなふうに告げ、(死んだ人に呼ばれたんか、ふーん、そうか)などと奇妙に高ぶっていた時間を振り返る。
こうした一切合財が、ぼくたちにとって「死ぬ」ということだったのである。
「お寺さん終わったで、般若心経、読もか」
「ええなあ、やろか」
何人かが同調してすわり直した。
年寄りたちは般若心経が大好きなのだ。
年寄りだけでなく、このお経がはじまると小さいぼくたちも必ずきちんと正座して終わるのを待ったもんだ。
それはほかでもない、この短いお経のあと、オッサマが必ずとろけるように甘い蜂蜜をたっぷり舐めさせてくれるからだった。
大きなスプーンで小皿に分けられた蜂蜜は、とろんと金色に光ってこの世のものとも思えず、人差し指につけてなめると、飲み込むのがもったいないほどの甘さとなって口いっぱいに広がった。
般若心経はその甘い蜜につながるお経というだけでなく、もうひとつ、その奇妙な響きでもぶくらを不思議がらせた。
だいたいお経の文句の多くは、眠気をふり撒きながら、頭上を過ぎていく子守歌のようだったが、般若心経の「ギャーテーギャーテー」だけはちがっていた。
この異様に濁った響きは、耳に張りついて離れなくなる。
小さい頃のぼくたちはいちばん始めに「ギャーテーギャーテー、ハーラーギャーテー」の部分を覚え、般若心経のことを"ギャーテーさん"と呼んだ
「ギャーテーギャーテーて、なんでこんなにきたない文句を言うのや」
吉田のオッサマに聞いたことがあるが、
「たわけ、仏さんのやらっせることで、きたないことなんか一つもあらせんのやぞ。
ギャーテーはな、ちょうどおめんたが眠たなる頃に、起きんか! と喝入れる怒鳴り声のようなもんや。
蜂に刺されたら痛いが、蜂蜜はこんなに甘いやろ。
それとおんなじや」
ぎょろりとにらまれて小さくなった記憶がある。
間もなく、ほとんど全員の大合唱による「ギャーテーギャーテー」がはじまった。
それは町内に入りきらないまま溢れ出て、その先の長良川まで流れていった。
』
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