2009年3月10日火曜日

人という動物と分かりあう:胎教という誤解と消去法:畑正憲


● 2006/03



 脳波は、脳の活動の結果として表面に出てくる。
 いわば「ゴミ」だ。

 ひとかけらの知識。
 ちいさな真実。
 それがどんなに小さかろうと、システム全体と正しく関連づけて理解されると、人類に大きな恩恵をもたらしてくれたりする。
 しかし、空想と結びついてしまうと、極彩色の「ニセ御殿」になってしまう。

 胎教?
 胎児がバッハを聞くだろうか。

 脳は早い段階でできる。
 そして、その中に含まれる神経細胞も、飛躍的に数を増大していく。
 数だけでなく、身体のたの細胞とまったく違った、木が枝を広げた形になっていくのである。
 これを樹状突起と言い、枝と枝がくっつくほど接近し、「シナプス」と呼ばれるものをつくり出す。

 原生動物という大きなグループであり、有名なアメーバはその一つである。
 細胞の化学工場である「ミトコンドリア」も含まれていて、高性能の顕微鏡があれば見ることができる。
 このミトコンドリアには、それ自体をコピーして次の世代に伝えていかねばならないので、暗号が組み込まれたコピー機が存在している。
 それが「ミトコンドリアDNA」であり-------

 あらゆる細胞は外界に対して電位を持っていて、それを利用して命を支えている電気的な存在でもある。
 パルス信号は神経の末端に達すると、そこから化学物質が分泌され、その物質が別の末端によって受け止められて、信号に変換されて走っていく。
 この接点が、シナプスである。

 単細胞生物はさらにある条件下では、「アポトーシス」と呼ばれている「自殺」までする。

 だから退治は、人生いかにいくべきか、などとは考えない。
 バッハやモーツアルトを聴いても、涙を流して感動する胎児はいない。
 生きていくために必要なものとして受け止められない限り、それは単なる「雑音」だ。
 脳の機能は、その持ち主が対応すべき環境に直面した時こそ、劇的に変化する。
 子宮の、しかも卵膜に囲まれた安穏な環境では、ベートーベンを聴く必要などさらさらない。
 必要のないところに、正しい対応がないのは当たり前である。

 脳細胞は、誕生後どんどん増えていき、成人の3倍ほどになっていく。
 脳の中は細胞であふれんばかりになっていくのである。

 増えすぎた細胞はどうなるのだろう。
 「減るしかない」のである。
 よく使われている回路は残り、使用頻度の少ないものは消滅していくのである。
 アポトーシス、自殺が起こると考えられるのは、ここである。
 この消去法は、贅沢きわまりないが、生命体が選んできた常套手段だと言えなくもない。

 人類は、自然の「偉大な消去法」によって生まれた「最大傑作」と言ってもいい。

 脳は遺伝子の設計によりつくりあげられる。
 しかし、配線の隅々にまで手が回らないのは事実だろう。
 シナプスの数はあまりに多いし、樹状突起のありようのすべてをコントロールするほど遺伝子の数は多くない。

 ひょっとしたら、脳は命の奇跡が作り出した宇宙で最も精緻をきわめた創造物かもしれない。
 でも、それが完成する直前、環境に合わせて、かなり適当に「配線が刈りこまれて」できあがるのである。
 大ざっぱな感じがしないでもない。

 胎児は成人のように学習はしない。
 100%守られているからだ。
 外界と交流するようになった時、初めて学習という作業が開始される。

 くどいようだが、子宮の中の胎児にバッハを聴かせ、それが胎児に届いて神経細胞を興奮させたとしても、そんなパルスは、素通りするだけで、捨てられてしまうだろう。
 そのような音は、脳である大アマゾンにはなんらの影響も与えない。
 なにしろ脳は、生後の活動に備えて、情報を貯めこむための倉庫を、大人の2倍も3倍も用意し、不必要なものをどんどん「つぶしていく」のだから。






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