2009年3月4日水曜日

独り居の日記:訳者あとがき



● 1994/05


 メイ・サートンは、アメリカ文学界に特異な地位をしめる詩人・小説家であり、かつ、日記や自伝的回想記の作者である。
 26歳で最初の詩集「四月の出会い」を発表してから79歳の今日まで、じつに14冊の詩集、19冊の小説、12冊のノンフィクションを出版している。
 メイン州ヨークの、海を見晴らす美しい家出の、瞑想と思索の生活からは、今もなを、みずみずしい作品が生み出されている。

 本書「独り居の日記」は、1973年に発表されたはじめジャーナルである、58歳のサートンの一年間の日記である。
 サートンの作品の長い系譜のなかでは、28,9冊目にあたる。
 またこの日記のあと今日までに、少なくとも16冊の作品が生み出された。
 その想像力の持続性には驚かない読者は少ないであろう。

 「独り居の日記」は、生活者サートンと芸術家サートンの精神と肉体の生活の記録であり、時にその調和が、時にはその葛藤が語られる。
 だから、時のふるいで美化された回想記や、彫琢された詩や小説にない欠点もあれば、新鮮さもある。
 しかし、「独り居の日記」に反復されるもっとも重要なテーマは「孤独」である。
 孤立に伴うおく悩はないわけではない。
 しかし、サートンが本書で多くを語るのはむしろ、内面を充実させる、創造の時空としての孤独である。
  
 サートンの全生涯を通して自己探求の究極の目的は、「霊魂の創造」であった。
 この場合の霊魂とは、自己を超えた自己と呼んでよいかもしれない。
 それは創造する自己であり、大宇宙の微小な塵にひとしい一人の人間を「永遠」につなぐ何かである。
 サートンが創造しようとしている自己とは、その天来の音色をとらえ得る自分なのである。

 詩はサートンの本領であり、意志の力を超えてどこからかやってきて、内部から彼女をつきあげるという。
 詩について彼女にできることは、前ぶれもなく、往々にして全体の形がまとまってやってくるこの神秘のために、心の回路を開いておくことだけだと、サートンは方っている。
 孤独がその欠かせない産褥であることはいうまでもない。

 「独り居の日記」は、詩人の目が強烈に内部にむけられていた時代に書かれたものであり、その意味でも、サートンの紹介書として最良の作品の一つであろう。
 この本を機会に、サートンの全貌が理解されるよう、意欲的な出版が続けられることを、サートンの礼賛者の一人として、筆者は心々から願っている。

 たとえ私の創造の力が衰えても
 孤独は私を支えてくれるでしょう
 孤独に向かって生きてゆくことは
 「終り」に向かって
 生きてゆくことなのですから

 まもなく80歳を迎えようとするメイ・サートンは、ますます深く、ますます輝きを増してゆくかに見える。

1991年9月10日ニュージャージーにて 武田尚子



 精神の枠組みに縛られ、その中で精一杯羽根を広げ、目一杯鳴いている感じがする。
 持ち前の尽きぬエネルギーが多作に通じているのだろう。
 が、そのエネルギーと同じくらいに、大きな淋しさを感じるのだが。

 先の「心のおもむくままに」が静なら、これは動。

 ひたすら「動」して、何かむなしい。
 わずかなことに、できる限りの理屈をつけようと神経を張り詰めている。
 一所懸命「砂を咬み」、そこから何かを引き出そうと悪戦苦闘している、そんな風に見えてしまう。
 もうすこし、肩の力を抜いたら、と言いたくなってくる。

 「騒がしい独り居」であり、「にぎやかな孤独」である。
 横から眺めれば、すこぶる楽しいオシャベリの喜びということが分かる。

 そういえば、心のおもむくままにに面白い一節があった。

 頭を過信すると、似たような結果をまねきかねない。
 まわりにいろんな現実があるのに、頭はその中の一部しか把握できない。
 そして、そのせまい一部を支配するのは混乱だけだ。
 なぜって、そこは言葉がいっぱいで、言葉というのはたいていの場合、より広いところへ導くかわりに、一つのところをグルグルまわらせるに過ぎないからだ。
 ものごとを理解するに沈黙が欠かせない。
 若いころはそれを知らなかった。
 「頭は言葉の囚人」で、リズムというものがあるとしても、「混乱した思考のリズム」でしかない。


 単に好みの問題だけなのかも知れないが。

 アメリカンスタイルの孤独。
 語れば語るほどその相が積み重なっていく。
 なんでもかんでも理屈をつけたがる。
 でないと身の置き場ないような、いわゆるポップスな孤独。

 ちょっと間おいてを接してみると、言葉とは違ってひじょうに軽くて楽しい。
 「やんちゃ坊主のけがれなきイタズラ」といったところか。



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