2009年3月31日火曜日

:すばらしい新世界


● 1992/10[1992/09]



 むずかしいのは、世界が現在の姿からどのようにして「未来へ移っていくか」を、見極めることである。

 経済用語を使えば、自由市場で「モノが不足すると、価格が上昇し、利率が上がる」ということにになる。
 「利率が上がると、経済成長は鈍くなる」

 「資本不足」というこの発想は単純だが間違っている。
 それがまちがっているのは、世界を静的にとらえすぎているからだ。
 この考え方は、今日の資本供給と資本需要のレベルが一定だという前提で語られている。
 したがって、これから資本需要が増えれば、当然、不足が生じるというわけである。
 しかし、資本の需要も供給も一定ではない。
 どちらも変わっていくのである。

 将来、資本供給は増える見込みが大きい。
 それはなぜか?
 いま予測されている資本の「不足」は、悪質な製品ではなく良質な製品、新しい困難ではなく新しい投資の機会の到来によって引き起こされるからだ。
 新しい機会とは、利益が期待できる新しい投資の機会のことである。
 資本の供給は、貯蓄の供給に他ならない。
 消費するか貯蓄するかを決めるとき、人間や企業はその投資(すなわち貯蓄のことでもある)から得られる収入の見込みを判断材料とする。
 見返りが大きいと思われる場合は、より多くの金を貯蓄するだろう。
 世界経済についても同じことがいえる。
 新しい投資の機会の出現に反応して、貯蓄が増加する。
 つまり、多くの資本が生み出される。

 1990年代を語る言葉としては、「資本の不足」ではなく、「資本の再分配」の方がふさわしいだろう。
 ある国や地域で、多くの住民がよしとする以上に資本が減るかと思えば、別の国や地域では以前よりも資本が増える。
 資本は不足するのではなく、移動するのである。
 1995年から2010年までのあいだに、資本はまちがいなく、自由市場に再参加した地域に移動するだろう。
 具体的には、ラテンアメリカ、インド、中国、東欧、それに旧ソビエトである。

 今後20年から25年の間に、-------アメリカ、日本、イギリスといった豊かな国々の成長は鈍化するだろう。
 資本は豊かな国々から、発展し始めた地域に移動するだろう。
 その資本を輸出するのはいったい誰だろう?
 少なくともこれからの10年間は、日本がその役目を担うはずだ。

 韓国、台湾といった国々にとって、ロシアや東欧諸国、旧ソビエトの中央アジア地域はうってつけの投資先である。
 その論理は明快だ。
 アジアの新興工業国の技術水準は、ロシアのように工業化が半ばまで進んだ地域にぴったりなのである。
 東ヨーロッパに多額の資本を輸出するのは、最終的には西ヨーロッパだろう。
 市場統合のうまみがなくなれば、西側より東ヨーロッパのほうにより大きな利益を生む機会が転がっているからである。
 西ヨーロッパ諸国では高齢化が進み、労働コストが高くなっているののかかわらず、アメリカや日本に比べるて技術の進歩は遅い。
 しかし、たった「数百キロ」東におもむくだけで、教育程度は高いけれども充分な訓練をうけていない、そして年齢層のわりあい低い労働力が眠っているのである。








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2009年3月30日月曜日

:プロローグ


● 1992/10[1992/09]



 これから四半世紀に、世界経済は黄金時代を迎えるだろう。
 貧富を問わず、ほとんどの国が、これまでにないほど早いペースで高い成長率を達成するにちがいない。
 共産主義は崩壊して、東ヨーロッパの広大な地域が解き放たれ、旧ソビエトは資本主義路線に活路を見出そうとしてやっきになっている。
 第三世界とラテンアメリカは、制約だらけの古い経済体制から脱却し、開かれた市場に目を向けて急成長をとげようとしている。
 また、コンピュータやバイオテクノロジーの新しい技術が本当の意味で経済の成長と生産性に影響を及ぼすようになるのは、まだこれからのことだ。
 以上は世界の長期的な展望である。

 しかし、、現在から数年間の展望は、これほど明るいものではない。
 豊かだった工業国の景気は後退し、銀行をはじめとして多くの企業が強気一辺倒だった1980年代後半の債務にあえぎ、泥沼にはまりこんでいる。
 とはいえ、これも過渡期の現象に過ぎない。
 暗雲が垂れ込めているのもせいぜい数年のことで、それ以上続くと考える理由はないのだ。
 大切なのは、暗い状況がつづいているときに世界が共通の認識をもつことである。
 つまり、来るべき新しい時代には、危機やさまざまな問題をはるかに上回るような機会が活用できるということを認識するのである。
 重大な過ちをおかしたり、予測できない障害が出現したりしない限り、10年後には世界はかってない繁栄の時代を迎えるだろう。

 日本に目を転じると、いくつかの疑問がわきあがってくる。
 なかでも最大の疑問は、次ぎのようなものだろう。
 ”日本は世界経済の過渡期をどうやって乗り切るのか”
 ”やがて来る黄金時代に、日本はどんな位置を占めることになるのだろうか”
 この疑問が大きな意味を持つ背景には、互いに関連する「二つの理由」がある。

 
まず、日本はいま幸福の絶頂期を過ぎて、「憂鬱な時代」に入っている。
 1980年代の後半に日本の経済力は驚くほど強くなったが、この成長の火に油を注いだのが金融資産の膨張、いわゆるバブル経済だった。
 日本という太陽は永遠に昇りつづける、日本という特別な国に不可能はないという意識が生まれた。
 この尊大で傲慢な態度は、最後には不幸を招く。
 1990年1月から日は沈みはじめた。
 その影響が本格的にあらわれるようになったのは、1992年に入ってからのことである。

 日本が迎えた夜も、そう長くつづかない。
 ひとたび夜が明けたなら、日本も新しい繁栄の時代を享受する一員になることだろう。
 日本の行動や振る舞いが重要な意味をもつ
もう一つの理由は、ここにある。
 日本はいまや否も応もなく「
国際的」になっている。
 世界経済のさまざまな流れが、東京や大阪にそのまま押し寄せ、どこにでもいる普通の日本人を動かしているのである。

 日本という太陽はしばし水平線の下に沈みはしたものの、ますます国際的な方向をめざしてしっかりと足場を固めつつある。
 日本が置かれている内外の状況を分析して、明日の日本の姿をさぐろうと試みたのが本書である。
 本書はまず、日本という島国が急速にここまで成長した経緯を説明する。
 多くの日本人はまだ自分たちを国際的だとは思っていない。
 ほとんどの外国人も、日本人を国際的だとは考えていないだろう。
 しかし、日本人について「考えざるを得ない」外国人は確実に増えており、彼らの考え方は日本人にはなかなか理解しがたい。

 経済学は人間の顔の見えない学問であり、個々の人間や企業ではなく、常に統計を対象とする。
 言葉をかえれば、一本一本の樹木ではなく、森全体をみようとする。
 日本の未来を探る重要な手がかりは、企業という木から得られることが多い。
 世界という舞台で成功をおさめるにはどうすればいいのか、どんなやりかただと失敗するのか、それれを知るには、企業はまたとない試金石となっている。

 当面は、日本の多国籍企業は国内の不況のあおりを受けるだろう。
 多くの企業は、過剰な自信につき動かされて海外に進出拠点を設けた。
 それは経営面でも資金面でも多大な負担を要求し、しかも短い期間に成果をあげられる規模をはるかに超えていた。
 1990年後半には、多国籍企業の多くが投資の手の広げすぎを習性していくはずである。
 しかし、それまでの数年間、企業は重荷に苦しまなければならないdろう。

 日本の知識人が共通して発する問いのなかに、
 「日本が世界で果たす役割とは何か?」
 というものがある。
 この問いは適切なものとはいえない。
 なぜならば、どんな答えも不完全だからである。

 過去のお祭り騒ぎはどこへやら、いまの日本はさまざまな不安を抱えている。
 ということは、世界全体も不安だということである。
 とはいえ、日本と世界には眩しいくらいの未来が約束されている。
 その約束を、いかにして現実のものにするか、ということである。










 Wikipediaより

 ビル・エモット(Bill Emmott)
 1980年エコノミスト社に入社
 ベルギーのブリュッセル、ロンドンで記者を務めた後、1983年から3年間東京支局長(日本・韓国担当。
 1993年に同誌編集長。
 2006年3月まで13年間務めた後は編集者を引退し、国際ジャーナリストとして活躍中。

 1990年の著書『日はまた沈む』は、日本のバブル崩壊を予測し、ベストセラーとなった。

 また2006年の『日はまた昇る』では、日本経済の復活を予測した。

●「日はまた沈む ジャパン・パワーの限界」(鈴木主税/訳、草思社、1990年3月)
●「来るべき黄金時代 日本復活への条件」(鈴木主税/訳、草思社、1992年9月)
●「官僚の大罪」(鈴木主税/訳 草思社、1996年6月)
●「20世紀の教訓から21世紀が見えてくる」(鈴木主税/訳、草思社、2003年7月)
●「日はまた昇る 日本のこれからの15年」(吉田利子/訳、草思社、2006年2月)
●「これから10年、新黄金時代の日本」(烏賀陽正弘/訳、PHP研究所、2006年10月)




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2009年3月29日日曜日

来るべき黄金時代:ビル・エモット


● 1992/10[1992/09]



訳者あとがき

 本書の著者、ビル・エモットの前著「日はまた沈む」は1990年3月に刊行された。
 その内容は、日本の社会と経済が1980年代から90年代にかけて経験している長期的な変化を跡付けたものだった。
 すなわち日本が、生産より消費、勤労より快楽追求、貯蓄より支出に傾く国に変わっていきつついあるということである。
 また、出生率の低下と医療の進歩によってもたらされる逆ピラミッド型の人口構成をもつ高齢化社会への移行がある。
 さらに、もっとも重要なこととして、日本のバブル経済の形成とその崩壊を予想していたことは、同書の重要なポイントであった。

 その「日はまた沈む」のタイプ原稿を初めて手にしたのは、1989年夏のことであった。
 それは日経平均株価が右上がりに上昇し、毎月のように最高値を更新していた当時であり、好景気が続いて、戦後最長のいざなぎ景気を追い抜くことは必至だと考えられていたときである。
 そんなおりに日本経済のバブル現象を鋭く指摘したものだから、反響は大きかった。
 同書はひじょうに多くの読者を得てベストセラーのリストに顔をのぞかせるとともに、ジャーナリズムの大きな話題となった。

 一冊の本を書き上げるには少なくとも一年くらいの時間はかかる。
 さらに「日はまた沈む」を読んでいただいた方はご承知のことと思うが「日はまた沈む」は1988年に「アメリカンエキスプレス・バンク・レビュー」誌の経済エッセイ・コンテストで最優秀賞を獲得した論文を土台として書かれたものであった。。
 つまり、同書は日経平均株価が最高値をつける2年以上も前に構想され、書き進められていた、ということである。
 経済予測がエコノミストの重要な仕事だとしたら、「日はまた沈む」はビル・エモットのエコノミストとしてのクレデンシャルを申し分なく裏付けるすぐれた業績だといってもいいだろう。

 そして、本書はビル・エモットの「日はまた沈む」につづく第二作である。

 内容はごらんのとおり、世界経済に新しい黄金時代が到来すると予想されるこれからの四半世紀に、日本がどういう位置を占めるかという疑問をテーマにしている。
 いきなり「世界経済の黄金時代」などといわれると、いまの日本の状況が状況だけに、また世界の現状が現状だけに、いささかたじろいでしまうが、なぜ黄金時代なのかということについては本書によって読者が自ら確認していただきたいと思う。

 ビル・エモットは「日はまた沈む」の日本語版序文に、
 「
日本にはいつも世界中が驚かされている
 と書いているが、その「日はまた沈む」の「バブル経済」といい、本書で指摘している「世界経済の黄金時代」といい、驚かされるのはむしろ日本の読者のほうではないだろうか。

 ともあれ、「日はまら沈む」と本書に共通した一つのキーワードが、通奏低音のように鳴り響いている。
 それは「国際化」ということである。
 国際化こそは、日本が世界経済の黄金時代にゆるぎない地位を占めるための重要なファクターなのだが、その国際化の尖兵として、著者は本書で日本の多国籍企業に焦点を当てている。

 翻訳書の訳者あとがきには、原著の書名、著者名、原著の刊行年度などを記すのが通例のようだが、本書の場合、原著にあたるものはまだ出版されていない。
 本書とほぼ同じテーマのイギリス版はこの日本語版とあい前後して刊行されるそうだが、タイトルが同じものになるかどうかはわからない(仮題は Japan Global Reach、出版社は Century Business Books)。

 本書の表題(注:Tomorrow's Japan :明日の日本)は、著者と草思社編集部が協議して決定したものだということをお断りしておきたい。
 つまり、本書はある意味で日本の読者のために書き下ろされた本だといえるのである。

 1992年9月 鈴木主税








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2009年3月26日木曜日

:小泉政権とは


● 2006/04




 小泉首相がどう言い抜けようと、これだけの反日デモを起こしてしまったことに対して政治的責任がある。
 中国の反日デモショックで株が暴落した。
 それもそのはず、どん底まで落ちた日本経済がようやくここまで復活することができたのは、隣国という立場を利用して、高成長を続ける中国経済の昇龍の勢いの波にうまく乗ってきたからである。
 中国の労働力と生産力をうまく利用してきたからである。
 中国の市場をうまく開拓してきたからである。
 そのすべてを小泉首相は台無しにしつつある。
 経済界は「轟々たる非難」を小泉首相に浴びせてしかるべきだ。

 私は、バブル崩壊前後の、特に1997年以後、昨年(注:2004年)あたりまで続いた日本経済の危機的状況は、あと20年もすると
 「平成恐慌
 の名で呼ばれることになるのではないかと思っている。


 政治とは、国民各層の価値体系のぶつかり合い、政治見解のぶつかり合いの中で、利害を異にする集団間のベストな妥協点を探っていくプロセスそのものなのだから、おのずとその軌跡はジグザグたるものにならざるをえない。
 筋道と大衆の共感が相反する場合もあるというのが政治の難しいところで、その場合、筋道を通す方向で大衆を説得できる政治家が偉大な「ステーツマン政治家」で、大衆にズルズル引きずられて筋道を忘れるのが「ポピュリスト(大衆迎合)政治家」である。

 小泉首相のように、「前言を翻す」ことができない政治家は、豹変能力を欠く政治家である。
 環境世界が変わっていくとき、それに対応して変われない政治家は、いずれ「野たれ死に」せざるをえない。

 このまま小泉神話を作るべく独走を続けていくと、小泉政権の終わりもハッピーなエンデイングにはならないと思う。
 権力は変身能力を伴ったときにはじめて長続きする。
 時代状況はあらゆる意味で変化していくから、自己の「変身能力」を持たずに、あくまで過去に固執しようとする者は、必ず時代とズレていく。
 一時は時代の寵児であった者が、いつの間にか、時代にうとまれるアナクロ政治家になっていく。
 
 小泉首相の賞味期限は実は、すでに前から切れている「らしい」ことを示すのは、世論調査における小泉支持率の高低ではなくて、、その支持理由の中身の変化である。
 小泉支持率は依然として高い数字を保ってはいるものの、「だからやっぱり小泉」とする積極的支持者は少数になる、「他に適当な人がいないあから」という消極的支持者が多数者になっている。
 そうなった時点(はっきり覚えていないが、もう相当前である)で、すでに本当の意味での小泉時代は終わったと見てよいと思う。







注:[失われた10年] Wikipediaより
 :1991年から2002年あるいは2003年までの約11年あるいは12年の期間をさす。

注:[いざなみ景気] Wikipediaより
 :2002年01月より2007年11月までの「69ケ月(7年弱)」をさす。

注:「平成恐慌」時期とは
 1997年以後、2004年あたりまでとのことで、失われた10年の後半から、いざなぎ景気の前半にかけての約8年ほどにあたる。


 どうも立花隆にとって小泉純一郎は理解の範囲を超える人物のようだ。
 いろいろ予想を立てるが、それが次々、みごとに外れていく。
 その言い訳を階を重ねるように連ねるが、どうにも納得ある説得力に欠けている。
 田中角栄に対しては針もつハチであり、その「チクリ」が実に有効に素晴らしかった。
 限りなく喝采を送った。
 そのしめた味が忘れられないのか、小泉純一郎に立ち向かっていくが、それがみっともないくらいにことごとく外れる。
 予想のほとんどが外れになってしまった。
 まるで象に挑む蚊のように思える。
 「予想屋」をやめたらと思うのだが、「やめられない止まらない」、といったところか。

 あとがきに2つの本の名前が出てくる。
 それがなんと両者とも週刊誌。
 「週刊朝日」と「週刊現代」
 そして、その週刊誌の内容をヨイショしている。
 角栄研究のときのように、新聞などの受け売りを一切拒否したあの実証主義は何処へいってしまったのだろうか。
 普通、本の「あとがき」に週刊誌の内容を書き込むだろうか。
 そういう本に出会ったのはこれが初めてである。
 珍しいことである。

 例えばこうだ。
 「最近、週刊朝日が書いていた、小泉首相が大連立の構想を持っていて------」
 「最近の週刊現代によると、そのきっかけは靖国問題という-------」
 「この話を週刊現代にリークしたのは、別の外務省高官ということだが------」

 裏づけ不明な売らんかなを一義とする週刊誌のトップ屋的内容を大仰に騒ぎ立てて援用している。
 リップサービスを真にとらえるほど一般読者だってバカではない。
 時間つぶしが終わると「あ、そう」で、駅のゴミ箱に読み捨てられていく週刊誌だ。
 「滅びゆく国家」の次ぎは
 「捨てられゆく、知の巨人
 なんてことにしないで欲しい。

 生理的に「嫌いなものは嫌い」というのも分かる。
 こういうときは口にチャックしていたほうがいい。
 どうしても感情的な余分な雑音が入ってしまう。


 これは2009年3月に書いているので、立花さんには不公平になるが、あまり予想というのは細かく明言しないほうがいいということのようである。



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:特設サイトと公式サイト


● 2006/04


 この本に載っている立花隆の「特設サイト」を載せておきます。

★ 別冊「東京帝大が敗れた日」 東大生が体験した8月15日
http://www.bunshun.co.jp/todai0815/

はじめに

 以下は、「文藝春秋」平成17年9月号の特集「運命の8月15日」におさめられた「東京帝国大学が敗れた日」の中で告知しておいた、
 「8月15日の東大」
を体験した人々の取材記録である。

 すでにあの記事の中で書いたように、はじめ取材は、8月15日に安田講堂で玉音放送を聞いた人々を探し出して、その思い出を聞くということではじめた。
 しかし取材するほどに、その日東大に在籍していながら安田講堂にはいなかった人のほうがはるかに多かったということがわかった。
 その人々の終戦体験、終 戦後体験をあわせて聞くのでなければ、あの時代の東大を本当に知ることにはならないということで取材の枠を広げた。
 その結果、以下にまとめるように、実に多彩な体験談を聞くことができたのだが、以下は、その体験談をかなりナマの取材原稿に近い形でならべてある。

 通常の雑誌作りの手順でいくと、このあとさらに面白さ、意義深さの基準によって取りあげる体験を取捨選択し、さらにその上で文章表現上のブラッシュアップを施していくのだが、ここでは、その手前の素材そのものに近い形でならべてある。
  それというのも、この体験者たち、基本的に80代に達しており、その仲間の人たちは次々に鬼籍に入りつつある。
 もうこのような形で、これだけ多くの人々 の体験談を聞くことができるのは、これが最後のチャンスになるだろうと思われる。
 一つ一つの体験談が貴重な昭和史の記録であるから、なまじの加工を施すよ り、できるだけナマに近い形で収録しておいたほうがよいと思ったからである。
 通常の雑誌の誌面では、収録できる紙数にかぎりがあるから、そのような贅沢はできないのだが、インターネットのページは文字情報だけならほとんど限りなくおさめることができるくらいのゆとりがあるから、ここでは、記録性を重視してあえてこうした。

  体験者自身の体験の濃淡、記憶の濃淡、取材者の話の引き出し方の巧拙、まとめの巧拙など、さまざまの要因から、原稿の仕上がり水準はさまざまだが、記録 性重視の観点から、基本的にブラッシュアップの手はあまり加えないという方針をとっている(多少は加えた)。
 ただそうなると、量が相当に多くなってしまう ので、全部読むのも大変である。
 基本的に学科別にまとめ、小見出しを付してあるので、別に掲げる目次に従って、クリック一つで、どこにでもジャンプしなが ら読みすすめることができるようにした。
 もちろん、はじめから終りまで通して読んでいただいてもよいが、特定の学部学科に興味をおもちの方は、あちこち好きなように飛びながら読んでいただくとよい。
<目 次>
兵器開発に加わった工学部…………………………P.1
小見出し: 芋づる式に捕まるかも
石油工学科の増産能力
陸海軍の委託学生制度
航空機のプロペラ設計に従事
証言者: 青木三策(造兵学科)、
土屋孟(船舶工学科)、
椎名清(石油工学科)、
木村靖(火薬学科)、
木寺淳(冶金学科)、
伊藤孝一(応用数学科)
平賀総長が生んだ第二工学部………………………P.2
小見出し: 新型ミサイルの実験成功
地下飛行機工場を構築
証言者: 小澤七兵衛(機械工学科)、
広瀬誠二(航空原動機学科)
医学部薬学科と毒ガス………………………………P.3
小見出し: 学校とは名ばかりの惨状
防空壕での猛毒製造を研究
富山で毒ガス製造
原爆に遭遇
証言者: 細谷憲政(医学科)、
高畠英伍(薬学科)、
佐藤正常(薬学科)、
藤原邦夫(薬学科)、
喜谷喜徳(薬学科)、
玉置文一(薬学科)、
木村久吉(薬学科)、
田村善蔵(薬学科)
農学部生の宮城疎開…………………………………P.4
小見出し: 学部で分かれた徴兵猶予の有無
銀シャリとバターに敗戦を覚悟
証言者: 島田恒夫(水産学科)、
井上弘(農業土木科)、
村田定彦(農業土木科)、
渡辺滋勝(農業土木科)、
佐伯好一(獣医学科)
理学部と弾道計算……………………………………P.5
小見出し: 養蚕場でロケット開発
証言者: 小山昭雄(数学教室)、
金子哲夫(数学教室)、
丸山文行(数学教室)
文学部まるごと新潟に疎開…………………………P.5
小見出し: 新潟で農作業
ソ連軍が攻めてくる
証言者: 藤岡忠美(国文学科)、
松田登(国文学科)
最前線に立った法学部………………………………P.6
小見出し: 敵前上陸に命をかけて
「死ににいくのではない」
入学通知者も除隊せず
証言者: 小田滋(政治学科)、
歌田勝弘(政治学科)、
秋田成就(法学部)、
藤村正哉(政治学科)
経済学部の戦後大転換………………………………P.7
小見出し: 海軍経理学校の試練
着任した日に200人が死傷
大内、矢内原、有沢ら復職
教室が足りない
東大生はアホではなかった
証言者: 柴田徳衛(経済学科)、
諸井勝之助(商業学科)、
尾上久雄(経済学科)、
浜誠(経済学科)
それぞれの戦後………………………………………P.8
小見出し: かろうじて卒業
日雇い工員で就職
泣く泣く故郷へ
戦後を支えた人材を輩出
証言者: 黒田善雄(医学部医学科)、
広瀬誠二(前出)、
内藤進(第二工学部機械科)




本編も含む、月刊文藝春秋連載「私の東大論」が本になりました。

天皇と東大(下)

天皇と東大(上)



 また、公式サイトは下記になります。

★ 立花隆公式サイト
http://chez.tachibanaseminar.org/




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2009年3月25日水曜日

:グーグルとビッグ・ブラザー


● 2006/04




 インターネット世界に詳しい人はみな知るように、グーグルは、グーグルを利用する人々の検索活動をすべてデータとして残し、そのデータの解析から得られるあらゆる情報をそのデータが欲しい人に売るというユニークな情報産業として生きているのだ。
 もちろん個人情報そのものを売ることは個人情報保護法で禁止されているからできないが、グーグルに残るデータを解析することで得られる、二次情報、三次情報などの加工データは売ることができるし、実は情報としての商品価値がより高い。
 
 インターネットに入ってきた人間がまずやることは、検索エンジンを使って、自分の知りたい情報がどのサイトにあるかを調べることである。
 サイトのリストが出てきてから、その人はどこかをクリックして、どこかのサイトに行く。
 その記録がグーグル側にみな残る。
 その人が情報検索をやめるまでの全行動の記録が残る。
 それを解析していくと、あらゆる消費者の消費行動のパターンがわかってくる。

 それを商売に利用しようと思うと、あらゆる可能性が開けてくる。
 そういう情報を手に入れると、ある商品を売るためには、どういう階層のどういう行動パターンを持った人々に働きかけるのがいちばん効果的かわかるから、最も効率のよいセールスができる。

 グーグルがこの商売を続けていくためには、すべての検索記録をひたすら溜め込み、それをデータベースとして、あらゆる解析手法を駆使して、そのデータの海の中で何度も何度も再検索、再々検索をしていく。
 そうすることで、マーケテイング手法など、いろいろな仮説を立ててはそれが正しいかどうか検証していくことができる。

 情報検索ビジネスは成功すればするほど、それらを収容する膨大な「物理空間」を必要とする。
 グーグルがどんどん溜め込んで利用する情報はほとんど天文学的な量になりつつある。
 世界の情報拠点となっている大都市には、グーグルの巨大サーバーとメモリーストレージを大きなビル丸ごとパイルアップした、「グーグル・タワー」と呼ばれるものが幾つもあり、それがどんどん増殖中なのだという話をコンピュータ業界の人から聞いた。

 最近、グーグルの商売で、もう一つ新しい事実を知った。
 グーグルのサービスの一つに、「Gmail」というメール・サービスがある。
 このメールを使うと、メールに書く一行一行が即座に自動解析され、そこに書いたことに関係がある広告がすぐそばに出てくるのだという。
 この話を聞いて、さっそく実験してみた。
 「最近、パソコンをそろそろ買い換えようかと思っている」と一行書いたら、なるほど即座にパソコンの広告がそこに出現してきた。
 このような仕組みは、メールが全部検閲されているようで、「気味が悪い」「イヤダ」という人もいるだろうが、「これは便利だ」という人もいるだろう。
 検索エンジンが長年かけて開発してきた。超高速の情報処理能力と、文章解析能力を組み合わせるとこういうことはいとも簡単にできるのである。
 グーグルはこういうことを利用者に隠して密やかにやっているわけではなくて、ちゃんと、「こういうことをやっているから広告が出てきます」と宣言してうえでやっている。
 そうなると、合意の上の行為になるから、グーグルを非難することもできない。
 それにコンピュータが自動解析ソフトでやっていることだから、いま現在はそれほど気味が悪いことがなされているというわけでもない。

 最近、グーグルが中国に進出して、中国政府の要望に従って、グーグルの検索技術を国民監視と、国家がよくないと判断する情報に、国民がアクセスできないようにするために、使用しはじめたことが明るみに出た。
 それがいまアメリカで大問題になっているのは、まさにこの、IT技術を利用した「ビッグ・ブラザー監視社会」作りが、始まったことに対する反発のゆえである。

 さらに、こういう技術がどんどん発達していくと、この先、今後はどういう技術が生まれてきて、自分の知らないうちに、コンピュータが自動的にやってしまうことが、個々人の生活の中にどれほど入ってくるのだろうと、もっと大きな予測不可能な気味の悪さを感じることがある。


 朝日新聞の北京特派員は、日本のメデイアが連日大々的に報道した反日デモについて、中国の新聞もテレビもニュースとしてはまるで伝えていなかったので、中国人からは「反日デモというのは本当ですか?」とたびたび聞かれたとのだという。
 中国のような社会では、マスメデイアが何を伝え、何を伝えないかはの一線は、政府当局者によって引かれてしまう。

 中国ではインターネットがある時期まで、国家のメデイア管理体制に大きな穴を開けていた。
 最近の「ニューヨーク・タイムズ」紙は、中国のインターネット事情の現実は、その逆の方向に向かっているのだという。
 それによると、中国のインターネット網を流れる大量の情報が、常時多数の係官によって厳重に監視されていて、政府が不都合と考える情報は、複数のスーパーコンピュータを用いた精緻な複合フィルター装置によって、個々の単語、センテンスまで検出され、トレースされてしまうのである。
 個人のメールであろうと何であろうと、少しでも不都合な内容が発見されると、容赦なくすぐに削除されてしまうのだという。
 まさに、ジョージ・オーウェルの「1984年」にあったような、ビッグ・ブラザーによる監視社会の電子版が、そのまま実現したような感じの社会になってしまっているわけだ。




 ということは、テロ攻撃の一つに「グーグル・タワー」がカウントされているということになる。



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滅びゆく国家:立花隆


● 2006/04



はじめに

 あの本(注:「天皇と東大」)は、その疑問を解くために書いたようなものだが、書いているうちに、日本という国の「どうしようもない欠陥」がわかってきた。
 あの戦争は、かってそのように喧伝されたように、腹黒い一群の軍国主義者たちがいて、彼らがこの国をいわば乗っ取る形でこの国全体を戦争に引きずり込み、善良な国民たちを塗炭の苦しみにあわせたのではない。
 全国民がそれを当然のこととして受け入れる形で、国家の総意として、あそ戦争に突っ込んでいったのである。。
 あの戦争は特定少数の戦犯たちが国民の意思に反して引き起こしたものではなく、国民全体の圧倒的支持の上で起こされたものである。
 圧倒的に多数の国民は、熱狂的にあの戦争を支持していたのである。

 神がかりの「天皇中心主義思想」が世をおおっていた。
 昭和6年の満州事変から、昭和12年の盧溝橋事件(日中戦争の発端)の間に、日本の政治体制も社会体制も決定的に変化し、日本は国をあげて戦争マシーンに転化していった。
 そのような大正デモクラシーの時代には考えられなかったような大変化が、わずか足掛け「七年」でおきたのである。

 あの短時間の変化が私にはなかなか納得がいかなかったが、昨年小泉首相の乾坤一擲の大勝負、郵政法案否決を受けての解散総選挙とそれによる大勝利を受けて、小泉首相の一人天下時代が生まれていく過程を間近でみるうちに、あの昭和初期の大変化がわかったと思った。
 小泉が首相になってから、今年やめるまで足掛け6年、あの日本社会の大変化がおきたときとほぼ同じ期間なのである。
 小泉が首相になる直前まで、いま見るような小泉改革がある程度実現した社会が日本の近い将来に現出するであろうなどと予測する人はほとんどいなかった。

 しかし、これだけの時間があると、一つの社会の根本的性格がガラリと変わってしまうような大変化が起こりうるのである。

 本書の随所に書いてきたことでわかるように、私は多くの点で小泉政治に批判的である。
 「イラク戦争 日本の運命 小泉の運命」(2004 講談社)に書いたように、私は小泉内閣に対して、一貫してアンビバレントな気持ちを持ってきた。

 小泉政治がもたらしたデメリットは、メリット以上に大きなものがあると思う。
 特に、日本の未来を考えたとき、このままでいいとはとっても思えない。
 小泉改革の延長上に、日本のハッピーな未来があるとはとても思えない。
 いままだ、小泉政治を評価する人が多いのは、小泉政治(改革)の見かけ上のもっともらしさ(いわゆる小泉マジック)に幻惑されている人がそれだけ多いということを示しているのだと思う。

 >これから何年かして、小泉改革の負の遺産が社会のあらゆる側面に蓄積浸透してくると、小泉改革の相当ネガテイブな側面があったことが共通認識となってくる。






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2009年3月24日火曜日

超古代文明 奇跡の真相:佐和宇


● 1997/05



まえがき

 1996年11月3日、考古学的大発見のニュースが世界を駆け巡った。
 2000年の時超えて、アレクサンドラ宮が発見されたのだ。
 クレオパトラが離宮として使っていたことでも知られているこの遺跡が見つかったのは、エジプト北部の港湾都市アレクサンドリアである。
 その名が示す通り、そもそものこの地を発展させたのはアレクサンダー大王だった。
 アレクサンダー大王軍からはじまった町の歴史は、その後プトレマイオス王朝に受け継がれた。
 クレオパトラやシーザー、アントニウス、そしてオクタビアヌスといった人物を巻き込みながら華麗な歴史絵巻を展開してきたのは、今回発見された王宮遺跡だったのである。
 エジプトにおける歴史発見はこれだけにとどまらない。
 つい最近の話である。
 スフィンクスに隠し通路が設えられており、これが本体のかなり奥の方までえ続いているという説が学会をにぎわした。
 
 エジプト文明は、謎に満ちた文明である。
 その発祥さえはっきりとしていない。
 端的な言葉で形容すると、何もなかった砂漠に突如として現れた高度文明、というふうになるだろうか。
 しかし、まったく無の状態から興とに発達した文明が生まれるとは考えがたい。
 エジブト文明にも、その雛形があったに違いないのだ。
 エジプト文明の基礎となったのは、紀元前三世紀にメソポタミアに都市国家を築いたシュメール文明だったといわれている。
 確かにこれら2つの文明には多くの共通点がある。
 まず言えるのは、両文明が突如として地上に現れたという事実だ。
 古代地球には、「発展の形跡のまったない高度文明」が2つも存在していたことになる。

 さらに驚くべきは、世界最古の文明と言われているシュメールですでに文字が完成していたという事実である。
 文字は、きわめて精度の高い数学的要素も持ち合わせていた。
 突如として現れた文明が、系統だった文字を有しているはずがない。
 こう考えると、シュメールは「神授の文明」だったということができるのである。
 古代の「地球に降り立った神」とは何者だったのだろうか。
 
 本書は、エジプト文明を基軸としながらシュメール文明、さらに古い未知の文明へと溯り、現代に見られる「太古の神」のおこす現象にも触れていく。




















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2009年3月22日日曜日

貧乏は正しい!:橋本治


● 1994/01



イントロダクション[きみは貧乏でもいい]

 貧乏でなくなった時、男はもう若くはない、ということである。

 私の話は、かなりヘンなのである。

 若い男が貧乏なのは正しいが、若い男でバカだったら、それはもうただのバカなんだから、「あんまりでかい顔をして生きてんじゃないよ」、ということである。

 貧乏人は消費者にはなれないのだ。
 所詮その金の落とし先がコンビニでしかないような貧乏人でも、
 ”平気で金を使う体制にある貧乏人”と
 ”金を使うのにあんまり積極的でない貧乏人”との
 二種類があるのだということも、知っておこう。

 現在の日本には、実のところあんまり”貧乏人”というものがいなくなった。
 現代日本の貧乏人とは、
 「”じぶんじゃ貧乏じゃないぞ”ということを他人にアピールするために、最も多くのお金を使う人間」
 だったりもする。
 つまり、現代エンゲル係数」とは、家計に食費の占める割合ではなく、家計に占める
 「ミエ出費の割合
なのだ、ということである。

 若いもんはつまらない金を使わずに、ただの「貧乏」をやっていれば、それでいいのである。
 現代の学生はバカだから、貧乏なくせに、やたら広告に金をかける。
 つまりそれは、
 「”自分は貧乏だ”ということをごまかすために金を使う
ということである。
 
 どう考えても、若い女は金持ちである。
 貧乏人の娘のくせに、平気で金持ちヅラが出来る。
 若い女というものは、自分ン家の都合がどうであろうと、やっぱり「私は貧乏です」という顔やカッコをして歩き辛いものなのだ。
 それは一体なぜなんだろうか?
 どうして若い男は貧乏に引きづられやすく、若い女は貧乏を拒絶したがるのか?
 そこには本質的な断絶がある。つまり、
 「若い男とは、本質的に”貧乏なもの”だが、若い女は”本質的に貧乏ではない”」
 という、隠された事実があるのだということである。

 なぜかというと、若い女は美しく着飾れないと、惨めになるような生き物だからである。
 「美しい」というのは、だいたいのところ、金がかかる。
 だもんだから、「美しい」ということが非常に重要な要素だった若い女は、人類の歴史の中で
 「貧乏であってはならない」
 という属性を育ててしまったのだ。

 「貧乏」という問題は、「美しい」という]問題と大きくからんでいる。
 今の世の中、
 「食うや食わずの貧乏」
というのは、大きく後退してしまった。
 だから、そういう貧乏を前提にしてきた社会主義国家は崩壊してしまった。
 しかし、貧乏には、”それと別の貧乏”もあるんだ。

 「貧乏でも自分には力があるから平気」と言うのが人間の強さというもので、これを捨てたら、人間おしまいである。
 「若い男が貧乏であるということは、人類の歴史を貫く真実で、そして、このことこそが人類の未来を開くキーだからである」
 だからこそ「”貧乏”という問題と”美しい”という問題は大きくからんでいる」のである。

 「貧乏で食うものがなくて腹がへってたまらない
という”情けない貧乏”はなくなった。
 しかし、”貧乏なヤツ”というのはいる。
 いまどき”ツギの当たった服を着ているヤツ”というのはいないが、しかし、
 ”着ているものが貧乏ったらしいヤツ
というのは、歴然といる。
 貧乏には
 「最低レベルをクリアー出来ない」
という種類の貧乏と、もう一つ
 「”よりよい”ということがどうしても達成出来ない」
という貧乏との二つがある。

 つまり、「貧乏で食うものがなくて腹がへってたまらない」という
 ”量の貧乏
が克服されても、その次ぎの段階では、新しく「ダサイのは嫌だ」という
 ”質の貧乏
が登場するということなんだ。

 貧乏には「パンが食えない」という段階の貧乏もあるが、その次に
 「まずいパンなんか食いたくない
という”ちょっと贅沢な貧乏”が登場するということだ。
 問題の中心が、”量”から”質”に移るということだ。
 そして、貧乏が、
 「パンはあってもまずいパンしかない、というのは”とっても貧乏だ”」
という質の貧乏に移った時、貧乏の意味はゴッチャゴッチャの解釈にさらされて、”混迷”という事態が訪れる。
 ”量”だけで生きてきた人間には、”質”なんかが分からないんだ。
 これはけっこう重要なことだぞ。

 世の中には明らかに
 「金がないからダサイという状態に陥っている人間
と、それとは反対の
 「金があるのにどーしよーもなくダサイ人間
の、二種類がいる。

 貧乏というのは、他との比較によって生まれる、相対的なものだ。
 だから”最下級の貧乏”はなくなっても、”貧乏”自体はなくならない。

 若い人間には劣等感(インフェリオリテイ・コンプレックス)はつきものだ。
 まだなんにも出来ていないし、まだ何にも知らない。
 知っていること、出来ることよりも、知らないこと、出来ないことのほうがずーっと多い。

 自分の外にある”なにか”に刺激されて、
 「ひょっとして、自分てまだ”貧乏”なのかな‥‥」
と思う、その疑心暗鬼状態が解消されなければ貧乏からは自由になれない。














 「書評」から。

「貧乏は正しい!」 橋本治著

http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~wakamori/essay/e016.htm

 「若い男は本質的に貧乏である」というメッセージを伝えるこの本を今の「金持ち」の大学生は読んでくれるだろうか、タ イトルを見ただけで拒否反応を起こさないだろうか、この本の読書案内をわざわざ書いても意味がないのではないか。
 そんな思いで読書案内の原稿執筆を締め切 り間際まで延ばしているうちに、貧乏と若い男を結びつけるエピソードを耳にすることがたまたまあった。
 そのエピソードは、著者の橋本と同じ団塊の世代の友人が話してくれたことである。
 近く娘が結婚することになった友人は、最初は結婚にはまだ若すぎると感 じていたが、奥さんから
 「私は当時大学院生の、お金も研究業績も将来の保障もない、若さだけがとりえのあなたと結婚したのよ」
と言われて、娘の結婚を認め る気になったと言っていた。
 友人の奥さんの言葉に感心したり、自分が貧乏であることを自覚している若者がいまどれだけいるかな、と思ったりした。

 著者はこの本の中で、
 「一番重要なことは《若い男は本質的に貧乏である》という事実を自分のものとして受けとめることである」
 と繰り返し語っている。
 「若い男=貧乏という自分の前提」
を認めることによって、若者は「強くなれる」し、バブルがはじけた後の就職難とリストラの時代を生き抜くことができる。
 「若い男=貧乏」ということは、人類の歴史を貫く「真実」であり、「人類の未来を開くキー」なのである。

 しかし、現在の若い男が「自分は貧乏である」と受けとめることはなかなか困難である。
 たくさんのブランド品やクルマや携帯電話などもっている現代の若者 の多くは、
 「自分は貧乏じゃないぞ、ということを他人にアピールするための金、つまり、自分は貧乏だということをごまかすための広告費」
を無理して使って いるからである。
 若者のこのような広告費の使用を中止することによって初めて、若い男=貧乏という自分の前提を受けとめることができる。

 また、親の仕送り に頼って生活している大学生は貧乏ではないかもしれないが、そんな大学生は著者の定義によれば「若い男」とは呼びがたい。
 親から離れずに、自分は若い男だ という顔などできないのである。
 若い男とは、「貧乏でも自分には力があるから平気だ」という強さをもった存在である。
 そうだとすれば、実際の若い男が中年 または老人であり、実際の中高年が若い男である、ということもたまにはあることになる。
 著者は「若い男は本質的に貧乏である」という真理を認めたがらない現代日本の大学生にたいし、いくつかの説得材料を用意している。

 著者によれば、性的に 成熟しているのにパートナーをもっていない若い男は、オナニーに象徴されるような本質的な貧乏を刻印されている。
 著者のおもしろおかしな点は、このような 本質的貧乏を経験した若者とそのような経験を経過することなく性的成熟と同時にパートナーに恵まれた若者とを比較検討し、「貧乏は正しい」という命題か ら、
 「切実じゃないくせに、テキトーに気持ちいいことに出会える機会」
が若者の成長プロセスを奪ってしまうことを、真剣に議論していることである。

 これだけ説得してもまだ「若い男は本質的に貧乏である」という真理が分からないかもしれない今日の大学生にたいし、著者は
 「貧乏とは、それ自体が利益を 生み出すような財産を持っていないことである」
と説明する。
 たとえ年収が2000万円ある人でも、それがすべて労働の代償として会社からもらう給与だった ら、金持ちとはいえないのである。
 金持ちとは、株や土地のような、それ自体が利益を生み出すような財産を持っている人間である。
 しかし、金持ちにとって大 事なのは、それ自体が利益を生み出すような財産を増やすことだから、金持ちは極端な浪費をしないだろう、と著者は言っている。
 ただ著者の金持ちの定義はやや常識的に過ぎるように思える。

 著者らしく、おもしろおかしく真実に触れるような金持ち論の展開を今後に期待したい。
 ところで、この本にたいするいちばんの批判者は女性ではないだろうか。
 フェミニストのみならず、「男は会社、女は家庭」という性別分業論に疑問をもつ女 性が、カッカするような文章が意識的に書かれている。
 例えば、「亭主」という「それ自体で利益を生み出すような財産」を持っている「専業主婦」は、カテゴ リーとしては金持ちに属する(229ページ)という叙述がある。

 次のような文章もある。
 「この本の初めで、《若い男は本質的に貧乏だが、若い女は本質的に 貧乏ではない》と言った。
 それはこういうことね――つまり、男が女のヒモになるのはそう簡単に出来ることじゃないが、女は当たり前のように専業主婦にはな れる」(229ページ)。

 現代の大学生、とりわけ女子学生はこの文章に怒るだろうか。
 著者は反撥を百も承知して、なぜこのような挑発的な文章を書いたのだ ろうか。
 著者は、若い女が「自分は貧乏である」ことを受けとめる「若い男」になることを期待しているのではないだろうか。
 著者は70年前後の「大学闘争」のころに東大に在籍していて、
 「止めてくれるな、おっかさん、背中の銀杏が泣いている」
という駒場祭のポスターで一躍注 目され、その後作家活動に入った。

 代表作に、『桃尻娘』や『人工島戦記』などがある。
 それゆえ、本書は、年頃の娘や息子を持つようになった30年前の全共 闘世代が、バイブルや「資本論」のような共通の必読書がなくなった今日の時代の若者に贈るメッセージである。

 いまの大学生はこの本をどのように読むだろう か。
 この本にたいする大学生の感想をぜひ聞きたいと思っている。
(『書評』第115号、1999.12)



 サイトから。

★ すばらしき新世界
http://bigbrother.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_6046.html

 橋本治、団塊世代の数少ない「知識人」の代表である。
 団塊世代の大きな特徴は、既存の権力に距離を置くことである。
 結果として、財界・政界・マスコミ・学者・論壇・文壇などに団塊世代の大物はほぼ不在と言うことになった。
昭和一桁生まれと、昭和30年以降生まれの活躍ばかりが目につき、あれだけ大勢いる団塊世代のほとんどは今や
 「定年で社会の一線から退くただの年寄り」
ばかりになりつつある。

 橋本治も、その才能ゆえに多様な活動をしつつも、今一つその世界の「第一人者」になりえない存在である。
 70年代の風俗を切り取った「桃尻娘」シリーズ。
 辛辣で鋭い論評。
 源氏物語など古典文学の現代語訳化など膨大で貴重な活動も、残念ながら正当な評価を受けているとは言い難い。
 その理由の一つが、この一冊を読むことで理解できる。

 マンガ雑誌「ヤングサンデー」に連載されたコラムを基にして1994年に発行されたこの本は、橋本治流=団塊知識層流の若者に対するメッセージである。
 それは、一言で言うと「重苦しく鬱陶しいアジテーション」なのだ。
 今時の若者が「ウザイ」とカタカナで切り捨てる類いの論説なのである。
 当時40歳超えの橋本氏が、ほぼ子供にあたる二十歳前後の若者にあてた、一種の人生哲学なのである。

 社会主義とはなにか。
 貧乏とは何か。
 経済の仕組み。
 生きる意味。
 若いと言うこと。
 大人とは。
 など、「橋本哲学」とでも言うべき諸々が語られている。
 語り口は熱く断定的で挑発的である。
 今どきの若者なら寄り付かない「ウザイ説教」そのものである。
 書いてあることはとても良いが、読ませたい相手が拒絶反応をおこすなら意味はない。

 つまり、その試みは失敗なのである。
 読んでもらいたい若者は、文章を読まない世代であり、その内容を正しく理解するにはあまりに世界を知らず、基礎的知識を欠いているのである。

 シリーズ化され、文庫化された「貧乏は正しい!」を読んで納得しているのは、むしろ橋本氏に近い世代であるに違いない。
 あるいは賢く屈折した橋本氏である。
 初めからそのような意図で団塊世代に読ませるために「若者向き」を装って書き上げたように思われもする。
 それ位に、中年世代が
 「何だかよく解らなくなっている今どきの日本」
を理解するのに役立つ一冊なのである。

 団塊世代の人数は極めて多い。 
 その中の日本の将来に積極的に貢献すべき人物が、世捨て人のように自己満足と批判のみに人生を浪費しているのは悲しいと言うしかない。

 ちなみに、この「貧乏は正しい!」というシリーズは5冊あるそうです。

 出版社 / 著者からの内容紹介
 『貧乏は正しい!』シリーズ全5冊は、日本の若者が世紀の変わり目を生き抜くためのバイブルだ。
 シリーズ第1弾であるこの『貧乏は正しい!』では、ソ連を 中心とする社会主義体制崩壊からバブル経済の終焉までを、日本の若者のオナニーとリンクさせて語るという、いきなりの離れ業が展開される。
 しかし、そこに 書かれているのは"当たり前の本当のこと"だ。
 これを読めば、人生が変わる。


 この本、メモりたい箇所が山のようにある。
 でもそんなことしてもラチがあかない。
 よって、「イントロダクション」だけでやめておきます。
 そのかわりに、インターネットからの書評や感想をあげておきました。
 これはコピーするだけなので楽でいい。
 手抜き、ミエミエ。



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2009年3月21日土曜日

:「あの世」について


● 2005/12



 ぼくは子供の頃からずっと「あの世」に興味を持ってきた。
 そして大人になってからも、日本や世界各国のあの世のことを調べて何百点という絵にしてきた。
 さんざん調査をし、取材旅行もし、僧侶や学者たちに話を聞いてみたりもした。 
 しかし、これだけ調べての死の向こうにはいったい何があるのか?、それは未だにつかめないのである。
 わからない、というわけらしい。


 以前、世界各地の「あの世」を調べて、一冊の本にまとめたことがある。
 どこの民族の言い伝えでも、死後いきなり何もしないで天国へいけるものはわずかなようで、「あの世」で安定した生活を得るためには、「かなりの努力がいる」と考えられていたことがよくわかった。
 「この世」でも、なかなかくつろぐことができないのに、「あの世」でもなかなか安住の場所は見い出せないらしい。


 僕はこの軍隊が終わったら、坊主になろうと思って、日曜日の外出のとき、岩波文庫の「仏説四十二章経」なるものを買って読んだ。
 その中には、眠りを「睡魔」と称し、いかにも眠らないのが美徳みたいに書いてあるので、極めて不快になった。
 こんどは新約聖書をひらいてみた。
 「色情を抱きて女をみるものは、その目をえぐりて捨てよ」
 とあり、これも驚いてやめた。
 いくら目があっても足りないと思った。
 次いで「論語」。
 「男女七歳にして、席を同じゅうせず」
 という不快な文字からはじまって
 「四十にして惑わず」
 といった鼻持ちならぬ自信満々。
 これも僕と意見を異にしていた。
 いずれも「生きることをシンドクする連中」だと思った。


 ヨーロッパ人が、原始人とか野蛮人とか言うからおかしくなるんですよ。
 人間の知恵でネジ曲げ、霊から遠くなる。
 宗教の背景にはキリスト教でも仏教でも霊がいるわけだけれども、人間が救いや癒しをセッカチに求めるから、ああやっていろんな宗教ができる。
 みんな、エゴイストです。
 この前も京都で「世界宗教会議」ってのがあって、いろいろ慈悲深い崇高な偉い人が来るから、話がまとまるかと思ったら、「一つもまとまらなかった」


 世界三大宗教の中でイスラム教は、
 「片手にコーラン、片手に剣」
 というように実にはっきりした宗教だ。
 生前、アラーの教えを熱心に守り、コーランを生活のルールとしてきた者は、アラーの玉座の近くに召され、酒池肉林、美女に囲まれて美食と美酒の毎日が送れる。
 真の信者には

 四千人の処女と、
 八千人の夫人、
 五百人の天女が、

たった一人に与えられるというのだから、男なら夢のような世界だ。
 だから熱烈な信者は死ぬのはぜんぜん怖くない。
 だから爆死するなんてことは、いとも簡単にやってのけるのだ。


 死後の世界について。
 理屈ではわからん世界ですから。
 だから妖怪にもてあそばれながら霊的な訓練をして、「死後も自分は存在する」っていうような考え方になると、なんとなくおだやかな感じになりますよねえ。
 あの世もおだやかになるかもわからん。


 エトルリアのネクロポリス=死者の街に行って
 死んでからも部屋があって炊事もできるし、トイレも寝室もある。
 あそこに行ってから、半分死んだ人間になって生きればよい、とわかりました。
 「死んでから何でもできる」
 わけですから、やたらと本を買いあさる必要もないんです。
 死人として生を楽しめば、倍楽しめます。






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:鬼太郎墓


● 2005/12



 ニューギニアで4人乗りの飛行機に乗ったとき、若いニューギニアの操縦士が、裸足で、女としゃべりながら操縦するんです。
 むこうはオートバイか何かに乗っているつもりなんでしょう。
 でも、足の下はジャングルですよ。
 墜落するかと思ったんです。
 でも死んでも行くところがない
 「あ、こりゃダメだ」と思って、日本に帰ってから、家の裏の寺に自分の墓(鬼太郎墓)を造ったんです。


 [自らの生前墓=鬼太郎墓について]
 紹介されたのが、なんと彫刻のできるという、ミケランジェロのような石屋だった。

 石屋を訪問してみると、なるほど随分上手な彫刻である。
 「こりゃあ、あんた、鬼太郎とねずみ男を正面に据え、中央の墓は巨大な目玉にしたらどうでしょう」
 と言うと、即座に膝を叩き、
 「やらしてもらいましょう」
 ということになったので、
 「ついでに墓の壁に妖怪を四十体ばかり彫刻してください」
 というと、これも即座にOKしてくれ、そして、
 「私にこんな彫刻をやらせていただいて、うれしくてなりません」
 と『日本ミケランジェロ』は感泣せんばかり。

 やがて出来上がったが、中央の巨大な目玉は、家内が強く反対したために、塔様の古代墓にし、墓の壁は、何しろ妖怪が四十体以上あるため、半年くらいかかった。
 レリーフである。

 「あんた、せっかくの力作だから、名前を入れなさい」
 と言うと、彼は『石繁』と彫った。

 それから'時々、町で行き交うことがあったが、彼は必ず「先生」と言って、あいさつするのが常だった。
 しばらく姿を見なくなったので、ちょうど寺に息子が来ていたので聞いてみた。
 「どうしました」と聞くと、
 「肺ガンで亡くなりました」と言われて驚いた。
 「胸が痛い、と言って病院に行きましたが、即日入院して三日目に亡くなりました」という話。
 日本ミケランジジェロは、私の墓を最後の作品として、永久にこの世から消えたのだ。











[補]
 「日本のミケランジェロ」が刻み込んだ「鬼太郎墓」がどういうものか見てみたいとサイトを巡ったのですが見当たりません。
 きっと探し方が悪いのでしょう。
 見つけたら、追記します。

v
● これは鬼太郎墓ではないようです。



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本日の水木サン:水木しげる


● 2005/12



編者あとがき

 人生におけるけたはずれの経験値
 または、普通の人としての水木しげる

 言い古されたことではあるが、水木しげるは第日本帝国陸軍の万年二等兵としてニューギニア最前線で腕を一本なくし、敗戦後は紙芝居描きや貸本漫画家としてしぶとく生き延びてきた人である。
 高度経済成長とともに売れっ子漫画家になり、バブル経済、バブルの崩壊と、昭和から平成にかけての時代をつぶさに見、風刺してきた。
 こんな人生、送ろうと思ったってなかなか送れない。
 その結果、水木さんが得たのが、「人生におけるけたはずれの経験値」である。 

 そこで、これまで僕が聞いたり読んだりしてきた水木さんの珠玉の言葉を編もうと思い立った。
 それに日付をつければ
 「ふむふむ、本日の水木さんはと‥‥‥、ふふふふふふ」
 みたいな感じで楽しめるじゃないか。
 そんなわけで、自分の好きな水木さんの言葉をパソコンでパタパタと打ち込むという、きわめて幸福な時間を持つことができた。

 僕は1994年に某誌で「水木原理主義者」(主な活動は、水木しげるのマンガをもって南の島でゴロゴロすること)宣言を行った「壊れた人間」なので、事あるごとに「水木しげるがいかに凄いか」ということを力説してきた。
 今回は趣向を変えて、「水木しげるがいかに普通の人か」という話をしてみたいと思う。

 僕は水木さんと海外に行くことが多く、しかもどういうわけか少数民族のところに行くことが多い。
 水木さんは妖怪の絵を描くし、しかも紙は白くて腕は一本しかないので、シャーマンみたいに思われるらしい。
 だから「死後の世界はどうなったいるのか」、なんてよく聞かれるのだが、水木さんはこれまで同じ答えを述べたことがない。
 つまり毎回言っていることが違うのだ。
 これを「毎回、人を見て答えを変えるとは何たる天才」などと考えるのは過大評価というもので、要するに「そんなことわかるわけねえじゃねえか、いかに水木しげるだって」ということなのである。
 はっきり言って、死後の世界について理論的に滔々と語られたらかえって気持ちが悪い。
 というわけで、死後の世界に関するさまざまな見解は、その多様性のままに本書に収められることになった。

 日本では水木しげるさんは「妖怪仙人」のような見られ方をしているので、一方で何か悟ったような存在であることが求められ、一方でひじょうに妖怪的な言動や役割を求められる。
 彼は時と場合に応じてその二つを演じ分けていて、僕はいつも「サービス精神が豊かな人だな」と感嘆する。
 ところが妖怪的にも仙人的にもなれないジャンルがあって、それは何かというと「女性に関する事柄」なのである。

 水木さんが国内でやばいことをやるとすぐバレる。
 だから海外に言ったらさぞかし羽根を伸ばすのかというと、そんなことは全然ない。
 かといって女性に対して達観しているかというと、まったく正反対である。
 たいてい男ばかりの旅となるので、女性に関するエゲツない話は国内にいるときの10倍くらいになる。
 だが、きわめて実行力に乏しいのだ(つまり口だけ)。



 狒々ジイになって女性に襲いかかることもなければ、仙人のように特殊な術を施すでもない。
 実に慎重。
 せいぜい美人の隣にすわってツーショットを要求するくらいのものである。
 他のことにはあれほど大胆な人が、どうしてこのジャンルだとこれほど普通になるのかと、僕は不思議でならないのだ。



 水木さんにはそういう欲求は人一倍あるんだろうけど(それは本書を読めばよくわかる)、守護霊が許してくれないのかもしれない。

 「のんのんばあの霊」が、もう少しというところで
 「しげーさん、そんなことしちゃあかん」
 と言うのかもしれない。

 そんなわけで本書には、水木しげるの性に対する並々ならぬ関心と、それを実行しようとしてもまるでうまくいかないというぼやきが収められている。
 世の大半の男性の共感を誘うことは間違いない。

 以上、「水木しげるがいかに普通の人か」というお話でした。








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