● 1994/12
『
オレの芸人としての生活が大きな曲がり角にきたことは確かだし、大袈裟にいえば、経済を含めた日本の社会も、おなじような角を曲っているのかもしれない。
偶然だけど、オレが時代のカナリアのような役を演じているって思うときがある。
団塊の世代とその前の世代が頑張って世界に胸をはれる経済を築き上げてきたことがあるんだけれども、それはかなり無理して作ったもんだから、オレたちの老後を、今の調子の経済のまんまで行こうっていうのは、そもそも無理だろう。
無理だとすると、自分たち団塊の世代生まれたときの貧乏だった頃の意識に戻るっていうか、そのスタートラインの感じで生きられれば幸せだ、と思えなければダメなんじゃないか。
例えば、今まで30万円のマンションに暮らしていたのが、老後を考えた時に10万円のマンションで暮らすような気力がないといけない。
そのためには、お金をかけなくてもいいような趣味を見つけるとかしないとね。
この先、60歳までなんとか働いたとしても、その時期に生活のレベルを落として、60歳から70歳までの10年間を遊んで暮らせるような生活レベルに落とすような努力をしないとヤバイかもしれないね、我々は。
だからサラリーマンの人が必要経費を使って、ワイワイ夜の街で騒いでいたとして、リタイアした時に、それと同じような生活レベルは決して出来ない、と覚悟していないとね。
若いときからそういうことを考えて努力して、金をもっているヤツはそれでもいいけど、のほほんとやっているヤツが、老後を今までと同じようなレベルで送ろって、そもそもそれは間違いだよね。
で、気がつくのは50歳からでもいいけど、50歳からの10年というのはシュミレーションだよね。
自分がリタイヤした後にどういう生活をするのかのシュミレーションを働きながらやっていって、生活レベルを落としていかなきゃしょうがないよ。
オレは月5万円のアパートでも大丈夫だってところがあるね。
寝られる場所さえあればいいって感じがする。
結局は、女房子どもとか家族のことを考えて、
「生活のレベルが低いと家族がかわいそうだ」
とか思っているんだろうが、まあ女房ってのは別だけど、本来、子どもってのは何もないとこから「成り上がっていく」ものだよ。
ある程度のレベルで子どもを育てると、それから下に落としたくないし、もしも落ちたときのショックってすごいでしょ。
人間は、自分が働いた分で食っていくのが基本だから、子どもは親の金で生きていくべきじゃない。
親は子どもに大したものを残すべきじゃないし、財産としてはごく一般的な教育っていうか、世間が大学まで出すから大学まで出してやったことで、いいんであってそれでじゅうぶんだよ。
しかし、こんなことを言っていられるいのも、オレが芸人として成功したからであって、まあまあの余裕があるからだ。
もし、オレが普通のサラリーマンで家族があるとしたら、長期入院でいつ仕事ができるか分からないって立場はとてつもなく辛いものだよ。
40代50代の事故や病気って、そういう危機になるね、確実に。
』
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
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