2009年11月14日土曜日
浴室:ジャン=フィリップ・トウーサン
● 1992/07[1990/01]
『
抽象的な暮らしの平穏さ
(1).
午後を浴室で過ごすようになった時、そこに居を据えることになろうとは思ってもみなかった。
浴槽の中で思いをめぐらせながら、快適な数時間を過ごしていたにすぎない。
服は着たままの時も脱ぐ時もあった。
エドモンドソンはぼくの頭の横にいるのを好み、ぼくがまえより晴れ晴れとした様子に見えると言った。
ぼくが何か冗談を言って、二人で笑うこともあった。
浴槽はやっぱり縁が平行で、背もたれは斜め、底は平らで足置きを使う必要のないものに限る、などと身ぶりたっぷりに力説したりした。
(5).
エドモンドソンはついにぼくの母親に訴えた。
(6).
母さんはケーキを持ってやって来た。
ビデの上に腰を下ろし、足のあいだに置いた菓子箱の口を大きく開けて、スープ皿の上にケーキを並べた。
心を悩ませている様子で、やって来てから、ずっと、ぼくの視線を避けている。
物悲しげに、元気なく頭を下げ、何か言おうとして口をつぐみ、エクレアを一つ選んでパクパク食べた。
気晴らしをしなければだめよ、スポーツをするとか、わからないけど何かあるでしょ。
そう言って口の端を手袋で拭った。
気晴らしの必要があるのかどうかは疑問だな、とぼくは答えた。
ほとんど微笑さえ浮かべながら、ぼくにとって気晴らしほど恐ろしいものはないんだよ、と付け加えると、母さんはとても話にならないとわかったらしく、ぼくに機械的にミルフィーユを差し出した。
(49).
ぼくは自問し始めた。
一体オーストリア大使館のレセプションに出かけていくべきなのだろうか、そこに何があるのだろうか?
浴槽の縁に腰掛けて、エドモンドソンに、27にもなって、そのうち29にもなろうというのに、浴槽の中に閉じこもりがちの暮らしだなんて、あんまり健康とは言えないな、と話した。
目を伏せて、浴槽のエナメルを撫ぜながら言った、危険を冒さなきゃだめなんだ、この抽象的な暮らしの平穏さを危険に晒して、その代わりに。
そこまで言って言葉に詰まってしまった。
(50).
翌日、ぼくは浴室を出たのだった。
』
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