2009年11月27日金曜日
:退院記者会見
● 1994/12
『
記者会見はさ、マスコミとしては、オレが瀕死状態で口がきけないぐらいで出てくるのを本当は期待しているんだ。
人間、やっぱり他人の不幸が楽しいんだ。
とにかく入院が長引いて、できれば容態が悪化して死んでくれないかって思っているに間違いないね。
そういう魂胆だよ、連中は。
「早くよくなって、普通の生活と仕事を初めてください」
なんて口では言うけどさ、お決まりの儀礼的な挨拶にすぎないよ。
関係ないヤツが死んだ時でも「ご愁傷さま」っていうのと同じ、その程度のことだよ。
容態悪化で危ないって記事の方が売れるんだから、絶対に。
それでメシを食って、生きているんだ。
そうやっていても、少しもバチは当たらない。
「他人の不幸を記事にするなんてことはしてはいけない」
なんてことを考えるヤツはいない。
他人の不幸を見て楽しんじゃってる、もっと不幸を見せてくれっていう部分があるよ。
それがいま生きている人たちの心の基本形じゃないかと思うね。
「ありがとうございました。皆様のご支援のおかげです」
といっている姿を見るよりは、
「たけしは廃人になってタレント生命が終わった」
という方を見たいわけだよ。
他人の不幸を見ることによって、いまの自分がどんな位置にいても慰められる。
他人の不幸を糧にして生きているヤツはいっぱいいるわけよ。
そう考えてくると、人間自体が出来損ない、だっていうことよ。
だからオレは共産主義は理想的宗教だと思っているけど、共産主義の考え方は間違いじゃないと思っているんだ。
問題は、そういう立派な道具を扱えないってことだよ、人間ていうヤツは。
「みんは平等で、みんなで働いて、なるだけ分かちあおう」
なんてことは、誰でも納得するじつに当たり前のことだよ。
しかし、それが自分のものにできないのが人間なんだよ。
オレはこの顔面麻痺を背負っていくしかないだろう。
この、ムンクの『叫び』のようになった顔で歩いていくしかないよ。
どうにかこうにか、ボロボロの縫いぐるみだった体に、オレがなじみ始めていることだし。
記 者:あの、今回、奥様がたいへん献身的な看病をされた
ようですけど。
たけし:ウーン、本当に、カミサンに今さら挨拶したってしょう
がないし。
記 者:お嬢さんも途中からお見舞いにきてたんですか?
たけし:子どもですか?
記 者:ええ。
たけし:子どもは一切寄せつけないから。
記 者:はあ、それは何かあってですか?
たけし:オレの教育方針だから。
オヤジはいない、と思えってのは。
別に、あの、自分の親もそうですけど‥‥。
記 者:あ、お母さんもお見えになってませんね?
たけし:え? ウチの?
記 者:あ、いらしたんですか?
たけし:ウチのおふくろ?
記 者:はい。
たけし:ウチのおふくろは2回くらい来た。
「死んじまえ」
と言う。
「世間様に対して申し訳がたつか」
って言われて。
「根性がありゃ死ね」
って言われたんだけど。
ウチの母親はすごい。
』
注).ということは、生きているビートたけしは「根性なし」ということになってしまうのだが。
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