2009年11月27日金曜日

顔面麻痺:はじめに:ビートたけし


● 1994/12



 8月2日(1994)の未明って時刻にバイク事故を起こし、新宿の東京医大病院に救急車で運び込まれた時、意識はなかった。
 すぐに集中治療室に入れられて、検査とか投薬とかを次々にほどこされているときも、まるで意識はなかった。
 両手と胸、腹をベッドにくくり付けられ、身動き一つできない状態が2日ほど続いた。
 その間も意識は戻らなかった。
 時々、うめいたり、うわ言のようなことや会話の切れ端を言っていたようだが、ほとんどは眠り続けていた。

 集中治療室には8月9日までのほぼ1週間いて、世話をしてくれた人たちの言うには、入院3日目からはそれなりの会話をかわしていたようだが、いまとなってはまるで覚えていない。
 目を覚ましている時、条件反射のように受け答えはしていても、ちゃんとした意識はなかったのだと思う。
 ことの次第をそれなりに意識して、意味ある話ができるようになったのは一般病棟に移ってからのことだ。

 最初の1週間は夢の中にいたようなものだ。
 夢を見ていたんだと思う。
 どんな夢かというと、自分で初めて運転したバイクがガードレールにガーンとぶつかって、宙を飛んだからだが道路に叩きつけられ、そのまま魂が抜けてしまって、グンニャリと死体みたいになったのが、ポンと転がっている。
 それがビートたけしって男の縫いぐるみだった。
 中身が抜けてヨレヨレになった縫いぐるみは、やけに軽くて片手で簡単に持ち上げれれる。
「 なんだ、これ。
 ああ、顔がズタズタになっちゃってる。
 頭がへこんでじゃってるじやないか」
 それで、縫いぐるみを持ったまま、ちょっと考えたんだ。
「 ああ、こんな縫いぐるみを着て、この先、まだ生きていかなくちゃいけないのかな。
 これを着るのかどうか、決めないといけないのか」
 ってね。
 どういう筋道かわからないけど、
「 まあ、しょうがないから、それはそれで着ていこうか」
 って気持ちになっていた。

 そういうふうにして夢から覚め、面会謝絶の病室で点滴の栄養と薬で支えられながら、一歩も歩けないクズのような体を相手にする生活が始まった。






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