2009年11月10日火曜日
武士道:武士道とは:新渡戸稲造
● 2004/01[2003/09]
『
第一版の序文
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十年ほど前、ベルギーの著名な法学者ド・ヴレー氏の家に招かれ、歓待をうけて数日を過ごしていたときのこと。
ある日の散歩の途中で、宗教の話題が出た。
「日本の学校では宗教教育がない、とおっしゃるのですか」
と、この尊敬すべき教授が尋ねられた。
私が「ありません」と返事すると、教授は驚いて、突然立ち止まり、ビックリするような声で再度問われた。
「宗教教育がない!
それでは、あなた方はどのようにして道徳教育を授けるのですか」
私はその質問に愕然とし、すぐに答えることができなかった。
なぜなら、私は子どものころ学んだ人の倫(みち)たる道徳の教えは、学校で習ったものではなかったからである。
そこで、私は善悪や正義の観念を形成しているさまざまな要素を分析してみて初めて、そのような観念を吹き込んだものは「武士道」だったとことに気づいたのである。
この小著を著すにいたった直接の理由は、私の妻から、なぜこのような思想や道徳習慣が日本でいきわたっているのか、という質問を何度も受けたからである。
ド・ヴレー氏や私の妻に、納得のいく答えをしようと考えているうちに、私は「封建制と武士道」が解らなくては、現在に日本の道徳観念はまるで封をした"巻物"と同じことだとわかったのである。
そこで私の長い闘病生活期間を利用して、家庭内で交わした会話の中で得られたいくつかの回答を、ここで整理して読者に述べることにする。
それらは主として封建制度がまだ盛んであった若い頃に、私が教えられ伝えられたことである。
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1899年12月 ペンシルバニア州マルヴァーンにて 新渡戸稲造
』
『
武士道は、いまなお力と美の対象として、私たちの心の中に生きている。
たとえ具体的な形はとらなくとも、道徳的な薫りをまわりに漂わせ、私たちをいまなを惹きつけ、強い影響下にあることを教えてくれる。
武士道を生み、そして育てた、社会的状態が失われてからすでに久しいが、あの遥かな遠い星が、かって存在し、いつまでも地上に光を降り注いでいるように、封建制の所産である武士道の光は、その母体である封建制度よりも長く生き延びて、この国の人の倫(みち)のありようを照らしつづけている。
ヨーロッパと日本の封建制や騎士道と武士道の歴史的な比較研究は、大変魅力的なものであるが、それを詳述するのが本書の目的ではない。
私が試みようとするものは、
まず第一にわが国の武士道の起源と源流であり、
第二にその特性や教訓、
第三はそれらの民衆におよぼした影響、
第四はその影響と継続性、永続性
について述べるところにある。
第一については簡単にすませよう。
さもないと日本の歴史の入り組んだ小径に入り込んでしまうからである。
第二の点はやや詳細に論じる。
国債的な倫理道徳学者や比較行動学の研究者たちが、わが国の思想や行動様式についてもっとも興味を引きそうだからである。
その他(注:第三、第四の点)は付随的に扱うものとする。
私がおおざっぱに武士道(シバルリー:chivalry)と訳した言葉は、言語の日本語では騎士道よりも、もっと多くの意味合いを含んでいる。
「ブシドウ」は字義的には「武士道」である。
すなわち、武士階級がその職業および日常生活において「守るべき道」を意味する。
一言で言えば「武士の掟」、すなわち「高き身分に伴う義務:ノーブレス・オブリージュ」のことである。
このように文字上の意味を確認したうえで、私はこれ以降、武士道[Bushido]なる日本語を使わさせていただくことにする。
原語を使うことは次の理由からも望ましい。
つまり、これほど限定的で独特な、しかも独自の気風や性格を生んだわが国固有の教訓は、それとわかりうる特徴的なしるしを全面に帯びていなければならないからだ。
加えて民族的な特性を持つある種の言葉は、国民的音色を持つものであって、たとえ最高の翻訳者であっても、その言葉の真意を正しく伝えることは至難の技なのである。
』
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
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