2009年6月26日金曜日
:子捨て、ポジテイブな死
● 2008/04[1998/10]
『
おれだったら、こう解釈するね。
「ババアは捨てられても、ただじゃ起きねえ」
冗談冗談!
冗談だっての。
なんでそういちいち青筋立てるかね。
もっとリラックスしなよ、リラックス。
せっかく「姥捨て」を楽しみに、来たんだぜ。
これからのキーワードは「ポジテイブな死」なわけよ。
英語じゃわからん?
まあ、ひらたく言やあ、「前向きな死」ってとこかな。
縁起でもねえって?
そりゃちょっと認識不足ってやつだな。
ポジテイブに死ぬためには、ポジテイブに生きなきゃならねえ、からだよ。
「子どもに捨てられた」
なんつって、メソメソしてんじゃなくて、
「子どもを捨ててやった」
ぐらいの気概をもって、ポジテイブに生きて、ポジテイブに死んでいく。
これからのババアは、こうでなくちゃいけねえ。
おっと、思わず説教しちまった。
ババア相手に説教してどうすんだよ。
若い女に説教すふりして口説きゃ、やらせてくれる可能性が増えっけど、ババア口説いたところで香典の出費が増えるだけだしな。
「世間では、『年よりは子ども家族と暮らすのが幸せ』なんて言われているけど、あたしたちは誰もそんなこと思っていなかった、んだもの」
子どもの世話になるほどつまらないことはない。
いまどき60代、70代の年寄りといってもまだまだ元気だ。
にもかかわらず、何もしなくていいと放っておかれるほどつらいことはない。
病に伏せっているわけでもないのに、何もしなくていいということは、存在しなくてもいいと言われているに等しい。
医療介護体制が整った高齢者施設に入れば、同世代の仲間と暮らせるよ。
近頃は昔の老人ホームと違って、マンションタイプなのに食事も病院も介護者もちゃんとついている施設だってあるんだから、と。
「だけど、そんなに至り尽くせりのマsンションに入ったら、ますます何もしないで生きていかなきゃならんでしょうが。
息子夫婦と同居しているとき、嫁とぶつかって感情を発散できるだけましかもしれん。
施設で手とり足とりされて、ただ生きながらえているだけだったら、それこそ姥捨てされたも同然だろうが」
そして、いざ病気になったらで、より本格的な姨捨て施設、病院や療養所に幽閉されて生涯を送る。
そんな人生の終末はとても耐えられない。
「何もすることないままで死んでいく。
それほど哀しいことはないよ。
だからみんな、哀れさを紛らわそうとして旅に明け暮れたり、巣鴨をうろついたりするわけでさ」
』
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
_