2009年6月3日水曜日

ツチヤの口車:300回に思う:土屋賢二


● 2008/02



 本欄の連載が300回を越えた。
 だれがこうなると予想できただろうか。
 本欄を知らない人は夢想だにしなかっただろう。
 本欄を読んだことのある人は、それ以上に予想できなかっただろう。
 一口に300回と言うが、ここに至るまでには297回のような、一口では発音しにくいときも乗り越えなくてはならなかった。
 連載を始めたとき、正直言って3回くらいしかもたないだろうと思っていた。
 もっと正直に言うと、もしかしたら3千回(約60年分に相当)ぐらい行くかもしれないとは思ったが、まさか3万回(約6百年分に相当)になることはあるまいと思っていた。
 それでも、連載をしているのがわたしだということを考えると、300回は驚くべき数字である。

 こういう場合、これだけ続いた秘訣は何か、と聞かれるのが普通である。
 300回に達したとき、ある人に聞かれたのは「東武デパートへはどう行けばいいんですか」ということだった。
 連載を続けることに何か特別な秘訣があるわけではない。
 ただ、「食べ過ぎないこと」「適度に運動をすること」「くよくよしないこと」を心がけただけである(心がけはしたが、一つとして実行できなかった)。

 ただ一つ、300回続けた秘訣としていえることは、
 「最低限、300週は書き続けること」
が大事だということである。

 連載が続いた裏には「内助の功」があったのではないかと指摘する人もいる(そう指摘するのは、わたしの妻である)。
 妻が「こうだった」から、ネタに困らなかったとういうのだ。
 たしかにネタには困らなかったかもしれないが、実生活では執筆に支障をきたすほど困っていたのである。
 むしろ、わたしの心の支えとなったのは、本欄を読んで「救われた」「楽しかった」と内心思いながらも、だれにも言わないで自分一人の胸にしまっているであろう読者の存在である(そういう隠れた読者は引っ込み思案のため、わたしの本も買わないのが残念である)。
 事実、わたしの文章を読んだ後、高原でさわやかな風に吹かれたような感じを抱く人もいるのである。
 とくに、わたしの本を読んだ後で、高原でさわやかなそよ風に吹かれた人はそう感じているはずである。
 こういう隠れた読者の存在がなかったら、わたしは「隠れた読者がいるはずだ」という誤った思い込みを抱かなくてはならないところだった。

 この連載の経験から分かったことを記しておきたい。
●どんなに眠れないときでも、
 ①本欄執筆中である
 ②パソコンの前に座っている
 ③ラーメンとミカンを食べた後
という条件がそろうと熟睡できる。
●連載を続けているといつの間にか、機種に関係なく、パソコンの画面やキーボードに、チョコレート、みかんの汁、ラーメン汁などが付着する。
●執筆時に絶好のコンデションであることはない。
●「絶好のコンデション」というものは、いかなるときも存在しない。
●何もしなくても一週間は途切れることなく確実に過ぎてゆく。
●むしろ何もしない方が一週間は確実に過ぎていく。
●念力によっても祈りによっても、原稿は書くことはできない。
●連載しても祈っても、家庭に平和は訪れない。
●連載を続けても祈っても、わたしの使える金は増えない。
●「神は存在しない」











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