2009年6月2日火曜日

:馬、首都を定める


● 1980/12



 新しい国家には新しい首都が要る。
 その昔、日本国の元首たちはしばしば都を移した。
 徳川家康だって江戸の地を新しく選んだ。

 馬を育てるのに都合がいい土地を捜しましょう、ということになって牧場を持つという長年の夢が陽の目を見る運びとなった。
 北海道各地の乾草を入手し、しるしをつけて馬に食べさせてみた。
 すると、馬がよろこんで、まず口にするのが中標津(なかしべつ)の草だった。
 「中標津へ行こう。馬がよろこぶ所へ行こう」
 大牧場を持ち、駄馬を生産して、「やがて共倒れになる」のは、われらの心意気でもある。

 旧動物王国はもちろん残しておく。
 これはもともと、まったく私的な、ユーモアの産物であった。
 その実験的な在り方が、その稚い純粋さが私は好きだった。
 「適当に生きていけばいい」という気ままさも捨て難い。

 そしてまた、浜中という場所は自然が豊かで、北海道でも一、二を争う美しい所でもあった。
 浜中を去るつもりはまったくなかった。
 いや、と言うより、ここが共和国の根幹になって、私と牧場のスタッフとが、新しい土地を開拓するのである。
 事実、私たちは中標津の土地を五町歩ほど開拓し、農民の資格を得た。








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