2009年6月5日金曜日
:「やりたいこと」の論理
● 2008/02
『
多くの学者や指揮者は、現代の若者の就職観に「やりたいこと」という論理が強くはたらいていることを指摘している。
「やりたいこと」を職業にしたいと学生が考えるという部分は、何も今も昔も大きく変わるわけではない。
昔の学生だって、「やりたいこと」を仕事にしたいという希望はあっただろう。
では、なぜ現代においてだけ「やりたいこと」がこんなに重要視されるのか。
現代の若者たちが想定する「やりたいこと」とは、一体どういうものなのか?
若者にとっての「やりたいこと」というものは、社会経験や他人とのコミュニケーションの中から見出していくものではなく、「本人の内部にのみ存在し、本人だけが発見しうるもの」なのだという。
現代の若者にとっての「やりたいこと」とは、就職課に張り出された求人票の中から選び取るものではなく、「自分の内面から発見するもの」なのだという意識が強く存在するのだ。
「やりたいことを仕事にする」「好きなことを見つけろ」とは、キャンペーン文句のように繰り返される現代の就職意識を代表するイデオロギーになっている。
こういった風潮を代表するのが、村上龍の『13歳のハローワーク』という本だ。
この本は13歳のうちから社会にはどんな職業があるのかを知っておこうという職業ガイドで、2003年に発売され、130万部を超えるベストセラーとなり、全国8千校以上の小・中・高校で教材や参考図書として採用されているという。
この本は「自分の好きな仕事に就く人間とそうでない人間の2種類がいる」ということを前提としており、「いい学校を出て、いい会社に入れば安心」という時代はもう終わったのだから、「やりたいこと」「好きなこと」を見つけて、働いた方が人生は有利であると主張する。
この本の趣旨や内容にはそれほど否定すべき要素はない。
しかし、この本が学校の教材や参考図書となり、世間の模範となり、これが「唯一の正しい就職観」として認知されつつある現状には問題がある。
この世の中は「やりたいこと」を仕事にした人だけで構成されているわけではない。
この世の中はむしろ、仕事を
「やらなければいけないこと」
としてやっている人たちで構成されている、という認識が抜けているのだ。
ここで就職活動を始める大学生の3人に1人が読むと言われている、就活のバイブル的存在『絶対内定』(杉村太郎著)という本をとりあげたい。
この本は1994年に最初の版が発売され、以来、毎年秋に改訂版が発売されては10万部近くを売り上げている人気シリーズだ。
『絶対内定』には一体どのようなことが書いてあるのか?
「就職というカベを突破するには<本当の自分探し>が必要不可欠なのだ。
<自分のモノサシ」を持つための、自己分析、自己研究なしでは、やりたいシゴトもへったくれもない。
本当の自分がわからなくては、自分に合う会社などわかりようがない。」
(絶対内定’98)
これが『絶対内定』の基本原則だ。
杉村は「自分探し」を
「自分がどういう人間なのか、自分がどんなこだわりをもっているのか、自分がどういう人間になりたがっているのか、どんなことで自分はハッピーになれるのか、過去から現在に至るまで絵の自分を振り返り、また未来を描き、自分なりの価値観を見つけ」
だすものだとしている。
また、この本では基本元素君である<本当の自分探し>を「我究」と名付けている。
『絶対内定』で繰り返し強調されるのは
1.「適職」が存在し
2.それらは「自分の内側」から探し出すもの
だという、2つの論理である。
誰だって不安なしには乗り越えられない就職活動の開始時期に、脅迫的に”自己啓発”を迫り、「自分探し」を突きつける。
これが就職活動本のベストセラーの正体だと思うと、バカバカしいが、それを疑いもせずにこれに従って自己啓発し、人格改善することで内定を勝ちうる人間が多いということも、容易に想像できる。
一方で、これをバカ正直に信じられない学生が、就職に嫌気がさし、長い自分探しの旅に出かけてしまうのも容易に想像がつく。
海外に自分を探しに出かける人たちに共通する傾向に、自分を変えるための何か「具体的な努力」をしようとは考えずに、ただ「環境を変える」ことで自分をかえようとする心性がある。
これはフリーターたちは「やりたいこと」を「本人の内部のみに存在し、本人だけが発見しうるもの」であると考える傾向に、よく似たものだ。
努力や研鑽ではなく、内面にあらかじめ持っているものを、環境の変化によりあぶり出せるといった心情が、海外に飛び出す自分探しの旅の根底にある。
「自分探し系」全般に共通するのは、自分の内面にはまだ見ぬ自分が隠れているといった心情ではなかろうか。
しかし、別に努力して技術を磨いたり、知識を学んだりせずとも、イージーにその能力を引き出すことができると考える思考、もしくは海外旅行(外的環境の変化)であったり、自己啓発セミナーであったり、自らの「気づき」で開花すると考えるところまでいくと、それは突飛なことにしか思えなくなる。
』
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
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