2009年7月1日水曜日

暁の旅人:あとがきと解説:吉村昭


● 2008/08[2005/04]



 あとがき

 昭和46年夏に「日本医家伝」という連作短編を出版した。
 江戸時代中期から明治初期まで生きた、医学史に残る医家12名について書いた短編集で、その一人に松本良順もとり上げた。
 良順は幕府の医官----奥医師で、戊辰戦役で圧勝し、江戸に進撃した朝廷軍からのがれ奥羽に走る。
 そのように幕府に殉じようとした奥医師は良順のみで、その真率さに人間的な魅力を感じるとともに、長崎でオランダ医官ポンペについて実証的な西洋医学を、日本人として初めて身につけた人物であることに注目したのである。

 江戸から奥羽へのがれた良順の足跡を追って、かれが上陸した平潟から会津への道をたどった。
 榎本武楊に誘われて蝦夷に行く予定であったが、新撰組副長であった土方歳三の助言で横浜にもどり、捕らわれている。
 良順は幕末から明治にかけて、激動期の波にもまれながら、信念を貫いて多彩に生きた医家である。
 良順の人間としての生き方にも、私は魅せられた。
 新撰組組長近藤勇、副長の土方、そして多くの外国人との交流などにそれが顕著な形として現れ、良順を鏡にそれらの人物の像がくっきり浮かび上がっている。

 維新後、良順は初代陸軍軍医総監となり、軍医学の進歩に貢献するが、家庭人としては悲運にさらされる。

  平成17年初夏    吉村 昭





 解 説: 末国善己

 歴史を題材にした小説は、「時代小説」と「歴史小説」に大別される。
 一般的には、
 歴史の隙間にフクションを織り込むのが時代小説、
 史料に基づいて歴史を語るのが歴史小説、
とされているが、もう一つ
 歴史小説より史実を性格に表現する「史伝」
というジャンルがある。

 歴史小説を書くには史料が不可欠だが、ある史料が過去の事件を性格に伝えている保障はない。
 あらゆる史料はノイズに満ちているため、それを”真実”と思い込むことは危険なのだ。
 歴史小説は、あくまで史料をベースびした小説=フィクションなので、主人公のヒーロー像を際立たせるためならば、史料を逸脱することも許される。

 史伝作家は、作家としての能力はもちろん、歴史学者的な資質も要求される。
 作品を完成させるまでの手間が歴史小説より大きいこともあって、史伝作家の数は決して多くない。
 日本文学の歴史を振り返ってみても、
 史伝の創始者とされる森鴎外、
 全100巻からなる「近世日本国民史」を書いた徳富蘇峰、
 鴎外史伝を批判するために鴎外と同じ堺事件を題材にした「堺港攘夷始末」を発表した大岡昇平、
 大岡昇平との論争を経て史料評価を厳密に行って小説を書くようになった井上靖、
 「武将列伝」や「列藩騒動録」などで史伝文学の復権を宣言した海音寺潮五郎、
くらいだろうか。
 そして徹底した資料収集と取材で歴史の”真実”に迫った吉村昭
も、歴史小説作家ではなく、史伝作家といえるだろう。

 吉村は史伝を書くようになった理由を、半藤一利との対談「徳川幕府は偉かった」(『歴史を記録する』河出書房新社)の中で、
「皇道史観ていうんですか、戦時中は勤皇の志士がみな美化されて、一方の徳川幕府側はs徹底的に貶められた。----
 それほど徳川は「悪」で、朝廷派は「善」と言われた。
 だから、それを覆すというか、捻じ曲がってしまった歴史を正しく直したいという意識が私の中にあって、本当はこうですよというのを示したいがために、小説を書いているのかもしれません」
と語っている。

 本書「暁の旅人」も、幕臣だった松本良順を通して幕末・維新史に迫ることで、佐幕派=悪という図式に異論を唱えているが、もう一つ史伝を書くことで、司馬遼太郎とは異なる歴史観を打ち立てる意図があったように思える。
 それは本書が、司馬の歴史小説「胡蝶の夢」と同じ松本良順を主人公にしながらも、司馬とはまったく違った人物像を作り上げているからなのだ。
 司馬は「胡蝶の夢」で、江戸の医療制度を、名門医師の家に生まれれば腕がないのに高禄が得られ、身分によって患者を差別していたと批判。
 その中にあって良順は、オランダ人医師のポンペから医師としての最新技術と倫理を学び、封建的な医療制度を改革した”革命家”だったとしている。
 その意味で「胡蝶の夢」は、江戸時代を因習に満ちた古い制度、明治維新を若者が清新な志をもって旧政府を倒した”革命”とする司馬の幕末・維新ものと共通する歴史観で書かれていることがわかる。

 吉村は、良順は西洋医学の研鑽を重ねていくが、養家の松本家が漢方医であり、幕府が漢方を重視していたこともあって、声高に西洋医学の優位性を主張することはない。
 良順が蘭方医として注目を集めたのは、遅まきながら幕府が西洋医学の重要性に気づき、その時に最高の知識と技術を持っていた良順をリーダーにしたにすぎないとする。
 良順が身分にかかわりなく患者を治療したのは、幕府が最初に作った西洋医学の病院が、貧しい人びとを治療する「養生所」として建設されたためであることをさりげなく指摘したのは、良順が身分差別と戦ったとする「胡蝶の夢」への返歌といえるだろう。
 古い制度を破壊するためにエネルギッシュに働く「胡蝶の夢」と比べると、吉村の描く良順は地味な印象はぬぐえないが、これは「歴史小説と史伝の違い」にほかならない。
 ただ本書には、司馬作品とは異なる魅力があるのだ。

 「胡蝶の夢」は自分の理想を強引にでも進められるトップの視線で書かれた物語であり、「暁の旅人」は幕府という巨大組織の一員に過ぎない良順が、改革の波の後押しを受けながら、少しずつ医療改革を行っていく物語といえるだろう。
 言ってみれば吉村が目指したのは、良順を等身大の人間としたからこそ際立つ偉大さであり、誰もが身近な存在に感じられるこそ生まれる限りない感動なのである。
 良順を幕末を生きた幕臣の一人としているだけに、吉村は、華々しい業績だけをクローズアップしているわけではない。
』 

注].本書は2005年4月に小社(講談社)より刊行されたものです。





【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_