2009年7月9日木曜日
:産業社会の終末
● 2008/07[2008/05]
『
上野:
辻井さんご自身の著作「ユートピアの消滅」(集英社:2000年)の中で
「21世紀に在るべきユートピアニズムを考える方法としては、『民主主義はユートピア思想の解毒剤であり、ユートピア思想のない民主主義は、魂を入れ忘れた仏である』という思想枠であるだろうか」
と、自ら問いを立てておられます。
つまり、ユートピア思想というものを、「いかに解毒しながら制御するか」が重要な問いなのだ、と書かれています。
辻井:
自分で書いたことだから、やはり賛成ですね。
上野:
卑近なコトバで翻訳しますと、ユートピアというのは集合的理想主義だから、共同体が絡む。
集合的な理想主義というものは、ないよりあるほうがずっとよい。
ただし、理想主義は行き過ぎると「ないほうが、あるよりもっとまし」だっていう事態を、必要以上につくりだす。
その毒をいかに制御するか、という問が立つと。
辻井:
私は企業集団が理想主義を掲げた次代は、もうとっくに終わったと思っています。
1970年代が終わった頃からは、理想主義などということは、まあ冗談でも口に出せないような状態だった、という風に思っています。
私がいま感じている危機意識の実態はなにかと申しますと、世界が「産業社会の終末」を迎えているということです。
変な言い方をすれば、これは社会主義の崩壊によって加速された危機だと思っています。
東西冷戦がなくなってからの自由主義経済の堕落は、予想よりはるかにスピードを増し、深刻化してきています。
「大企業に対する対抗力」を持たなかったために、アメリカ経済のみならず世界の市場経済のマイナス面が噴出してきた。
日本市場のスケールの縮小と、経営者の堕落は相当なスピードで進んでいる。
ですから日本の市場経済もどこかに対抗軸を作っておかないと、止めなく堕落するだろうと思っています。
上野:
チェック機能が市場ごと働くなるということですね。
金融市場はまさにその典型です。
にもかかわらず、そこに小口の投資家も大口の金融資本もすべて巻き込まれました。
辻井:
いまのアメリカのサブプライムローンの不安が、その例ですね。
社会主義が崩壊して、市場経済は有効な対抗軸を見つけることができなくなった。
それは対抗軸がないほうがラクですから。
でも対抗軸を見つけられなければ、予測としては、産業社会全体が破滅に向かうということになると思います。
上野:
市場経済そのものの暴走を食い止めることができない情況にある。
それこそ民主主義に百の自己決定が累積されることによって、金融不安が起きている。
つまり、冷戦時代に対抗軸が持っていたチェック機能が、もはや制御装置になりえなくなったとしたら、それとは別に何らかの公共的な価値が必要だという声が挙がるのも無理はないと思います。
そういう時代にきている。
ここまでは私も認識をともにします。
その後の「解」はさまざまに分かれると思いますが。
辻井:
さて、それをどうしたらいいですか、っていうことなんでしょうね。
』
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
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