2009年7月9日木曜日

ポスト消費社会のゆくえ:辻井喬 上野千鶴子


● 2008/07[2008/05]



 まえがき   上野千鶴子

 わたしはかってセゾングループ史(全6巻)の企画に参加し、「セゾンの発想」(リブロポート1991年)のなかで「イメージの市場---大衆社会の『神殿』とその危機」という論文を書いたことがある。
 執筆時にはまだバブル景気はまだはじけていなかった。
 結論の最後の4行を引用しよう。
「セゾンについては、つねにシニフィエよりもシニファインの方が過剰である。
 それは商品よりも貨幣の方が常に多い”慢性インフレ状態の資本主義市場”と似ている。
 そして信用を先送りしながら貨幣を発行し続ける資本主義同様、セゾンもまた、この運動をやめるわけにはいかないのだ。セゾンという一企業集団について語ることは限りなく資本主義について語ることと似てくる」

 わたしがセゾンの社史執筆を引き受けたのは、セゾンという企業の歩みが一企業の歴史を超えて、戦後日本資本主義の歴史、しかも日本の大衆消費社会を牽引してきた百貨店という大型小売業資本の、典型的な事例になると考えたからである。
 セゾングループは、最初から「社史」を一般向けの図書とし、外部の研究者に執筆を委託するという異例の企画を立てた。
 資材は自由、情報の隠匿はしない、原稿の検閲は一切しない、という条件で、わたしは執筆を引き受けた。

 それ以前からわたしは、日本近代の消費文化の担い手であった、百貨店に興味を持っていた。
 「現銀掛値なし」からスタートした呉服屋系百貨店は、客を選別しないことで中産階級社会到来の産物だった。
 そして歴史的に見て、百貨店の誕生が中産階級の誕生と軌を一にするなら、その歴史的耐用年数も、中産階級の終焉とともに終わるであろう、という予感があった。
 バブルの狂騒の背後で、中産階級の分解はふかく静かに進行しており、その予感が現実のものになるのは、そう遠くない将来のことだろうと、そこまでは想定の範囲だった。
 バブルがはじけるまでは。

 消費市場は「冬の時代」に突入した。
 「信用を先送りしながら貨幣を発行し続ける」はずの金融市場そのものが信用収縮を迎え、成長とインフレの経済は、後退とデフレのサイクルに入り、長くそこから抜け出すことができなかった。
 すでに始まっていた階層分解はは、予想以上に激烈なかたちで「格差」として現象した。
 その後長く続いた「失われた十年」を、わたしだけなく、多くのエコノミストも、予想することができたとは言えない。

 事後的にみれば、セゾングループは、日本経済の成長期にもっともたくみに波乗りし、その後の後退期にはもっともきびしい荒波をかぶった企業だともいえる。
 
 本書は「セゾンの失敗」の、たんなる検証ではない。
 日本の近代がどう成り立ち、戦後の消費社会がどのように誕生し、爛熟し、崩壊したか、それを一企業の歴史、一企業人の障碍を通じて、追体験してもらうためのものだ。
 なぜなら、あなたもわたしも、「この人」とともにこの時代をつくりあげた共犯者なのだから。

 2008年、 落花の頃に




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