2009年7月9日木曜日

:消費文化の多様性


● 2008/07[2008/05]



辻井:
 アメリカ人は肉でも一塊のブロックごと買って、2,3週間、同じ肉を少しずつ切って食べる。
 日本人は、家庭の冷蔵庫の収容量が小さいせいもありますが、何週間もかけて切って食べるという習慣がない。
 今日はロース肉、明日はヒレ肉、明後日はバラ肉と、その都度、献立を変えて食生活を楽しむ民族です。
 アメリカ人は、そんな面倒な食生活はしない。
 「食に対してバラエテイー感がある」ということは、消費文化に対する多様性があるということです。
上野:
 消費文化が多様だということも理由の一つでしょうが、それだけでなくもう一つ、高度成長期の総中流化が背後にあって、消費生活が階層化していないことも原因ではないでしょうか。
 つまり、ある階層の人がスーパーに行き、別の階層の人たちが百貨店に行くというわけではなく、一人の消費者がどちらも使い分ける。
 いわば分不相応な買い物をする、という意味の多様性が定着していったせいではないでしょうか。
 つまり、消費の階層的な首尾一貫性が失われていったということです。
辻井:
 おっしゃるとおりですね。
 日本印の消費生活は階層で分類できない。
 カップヌードルとペットボトルですませている若者が、ある日突然、高級フレンチレストランへ食事に行ったりする。
 そういうこと、平気でしょう。
 それはやっぱり日本の消費者の生活様式に階層がない、隔たりがなく、垣根もないということでえす。
上野:
 それが総中流社会の一つの指標でしょう。
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辻井:
 日本は二百何十年、江戸時代に藩が違うと、商いや文化がそれぞれ違った形で発達してきました。
 そのことと、どのくらい関係あるかということです。
 アメリカは歴史の浅い国ですから、所得格差を基準にして考えていけばいい。
 ところが日本の場合は、所得格差だけではすまない。
 ことに低所得者層といわれる庶民層ほど、生活慣習は違うのではないかと思っています。
上野:
 食文化をみてもそうです。
 香川の讃岐うどん文化は隣の県には越境しまえせんしね。
辻井:
 私の中では、そこがまだちょっと謎みたいに残っています。
 日本の場合、マーケット風土の違いは大きいと思います。
上野:
 日本は「画一的」だとよくいわれますが、そう信じているのは東京の人だけではないでしょうか。
 地方は相当に多様性があります。
 関西ですと、京都からトンネルを通って15分の大津にいくと前近代ですからね。






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