2009年2月7日土曜日
:立ちどまれ句読点をうつように
● 1988/06
『
☆ ふりむけば我が青春の遠景に 歌の風吹く海岸の道
手紙が好きだ。
なによりも「時間」を運んでくれる。
● 書き終えて切手を貼ればたちまちに 返事を待って時流れだす
手紙は、相手に時間を送りだすと同時に、また自分にも新たな時間をもたらしてくれる。
<待つ>という時間。
相手に向かって発した矢印とは逆向きの矢印を持つ時間。
返事がくるかどうかはということはあまり問題ではない。
とにかく<待つ>という時間を、気分を、自分の中に手紙がもたらしてくれるということ。
手紙を書いているとき、私は相手の現在を知らない。
受けとるときの様子もしらない。
返事を書いてくれるかどうかもわからない。
一方的な矢印。
孤独な矢印。
相手がなくては書けないけれど、返事がなくても書けてしまう。
手紙を書くということは、その人のことを思う時間を持っているということ。
その時間を封筒に詰めて送る。
手紙そのものが、その時間の消印になる。
● 出張先の宿より届く絵葉書を 見ておりアリバイ写真のように
手紙が、いつでも何かの証になるとは思っていない。
嘘だってつける。
等身大の自分とは、いつも隔たりがある。
それは手紙の宿命。
にもかかわらず、「確かさ」を持っている。
☆ 立ちどまれ句読点をうつように 二十五歳の深呼吸をする
東京で一人暮らしをはじめて7年。
ふるさとはあまりに「ふるさと」だ。
こんなにふるさとらしくしていいんだろうか、と思ってしまうくらいだ。
ふるさとすぎてこわい----そんな思い抱く。
だから東京にいる。
ホームシックのくせに、ふるさとが好きでたまらない。
好きでたまらないくせに、東京にいる。
自然のふところで暮らしてきた日本人が、長く、「自然」という言葉を持たなかったように、
ふるさとに包まれてしまうと、そのとたんにふるさとが見えなくなってしまう、そんな気がするのだ。
幸せすぎると幸せがあたりまえになる。
あたたかすぎるとあたたかさに鈍感になってしまう。
東京には、いろんな人間がいていろんな出会いがある。
おもしろくて、寂しくて、ものがよく見える。
● 選択肢二つ抱えて大の字になれば 左右対称の我
左はふるさと、右は東京。
私の心にはY字型の亀裂がある。
それが歌を作るエネルギー。
心はいつも引き裂かれ、ふるさとに帰りたくて、東京で生きてゆきたくて。
☆ そのかみの古人もすなる歌日記 わたしも書いてみる一か月
12月15日(火)
学校が終わって帝国ホテルへ。
今日は"ダイアモンド・パーソナリテイ賞"の受賞式
不安。
毎年、分野を問わず「ダイヤに負けないぐらいキラキラ輝いた人」を讃えて贈られる賞。
喜んでお受けした。
と・こ・ろ・が----である。
その後あらためて送られてきた「授賞式のご案内」。
一読して「キャッ」と叫んでしまった。
<当日は、フォーマル・ウエア(ロングドレス)をお召し下さい>
授賞式後のデイナーパーテイで、大使館の方などお見えになるそうで、そこにテレビカメラが入るという。
<デイナーの後は、フルオーケストラの演奏をお楽しみいただきます>
ろ・ろ・ろ・ん・ぐ・どれす。
そんな格好、生まれてこのかたしたことがない。
た・たいしかん、
ふ・ふる・おーけすとら。
胃が痛くなってきた。
おまけに、副賞の<1カラットのダイヤモンド>、
というのが、どうやらたいへんなものらしい。
賞の名前にちなんだ、半分シャレのような副賞なんだろうと思っていた。
1カラットの「1」というのは、まあサマになる最低の線なんだろうぐらいに考えていた。
「何、寝ぼけてんの。1カラットってすごいわよ」
ますます胃が痛くなってくる。
どうもこれはちょっとやそっとのことではないらしい、
と気づいたときは遅かった。
1月11日(月)
今日は「新風賞」の授賞式。
毎年「新しい構想によって売れ行きを増進し、特色ある企画により読者を開拓した本」に対し、全国の書店さんから贈られる賞だそうである。
今年は安部譲二さんの「塀の中の懲りない面々」と私の「サラダ記念日」
学校を終えて、夕方、センチュリーハイアットへ。
私の「サラダ記念日」の表紙を撮ったときのワンピース。
』
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