2009年2月14日土曜日

:女敵討ち


● 2006/02/10



 なにげなく手にした書物を、その内容にいかんにかかわらず熟読する癖がある。
 書物ばかりでなく、文字を記した印刷物ならばみな同様であるから、朝刊を読むに際しては記事にとりかかる前に、まず折込広告の類から丹念に読まねばならない。
 活字中毒もここまでくると重症である。
 だからこのごろでは、何気なく手にする前に瞬間に読むべきか読まざるべきかという決心を、おのれに強いるようになった。
 過日、母校の卒業生名簿が送られてきた。
 これを手にしまえば半日潰れると思い躊躇したのだが、ついつい読み始めてしまった。
 私は生来、物事の要領を得ぬ。
 要領を得た手順というものを知らぬ。
 だからあらゆる書物において、目的に適う部分だけを抜き読みすることができない。
 すなわち同級生の消息を温ねるにあたっても、あろうことか大正何年卒第一期生の頁から読み始めるのである。
 むろん面白くもなんともないのだけれど、手順なのだから仕方がない。
 いつまでたっても物語の開示されぬ下手くそな長編小説を読むかのごとく、私は分厚い卒業生名簿に没入した。
 話のクライマックス、つまり私の同級生もしくは記憶せる先輩の項目は遥かな先である。
 しかし、何事にも不得要領の功徳というものはある。
 目的地に到達するまでの不毛の荒野を行くうちに、思いもかけぬ景観に出会ったり、貴重な発見をしたりする。
 まさか卒業生名簿にはそれもあるまいと思いきや、まるで見知らぬ墓場をさまようように物故者の氏名ばかりを追い続けるうちに、やはり一つの興味に行き当たった。
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 名前の変遷の面白さに気づいたのである。
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 さらに時代が下がると字面ばかりが派手やかになり、まるで源氏名か芸名をならべたかのようで読むだに気恥ずかしい。
 おそらく全員が名前負けであろうと思われるほど、男子の名は気宇壮大、女子の名は優雅秀麗をきわめ、そのくせ同名が多いというのがまたおかしい。
 かくして、子供の名前に反映された世相に思いを致すうちに、私はふと興味を抱いて、「命名から消えてしまった文字」を検め始めた。
 流行の文字よりも、「死んだ文字」ののほうが世相を映すのではないかと、考えたのである。
 半日どころか一日を要して、私は「死字」を追い求めた。
 第ニ次対戦前には「和」が死に、戦後は「勝」が死ぬ、などという表層的現象はつまらない。
 もっと社会精神の根源に迫るような文字の喪失はあるまいかと、ひたすら数万の姓名をたどり続けた。
 さて、すこぶる長い前置きとなって恐縮であるが、この物語は戦後社会において決定的に喪われたひとつの文字から始まる。

 「貞」

という字である。






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