2009年2月21日土曜日
米内光政:米内流読書法:阿川弘之
● 1979/04 新潮社
『
戦死公表から国葬のあとまで、山本五十六に関するもろもろの要件が彼にかぶさってきていたが、やがてそれもあらまし片づいて、米内は再び三年町の家にこもり、毎日をどう過ごしていいいか分からぬような隠居の生活に戻ってしまった。
素人大工か、長唄か、書を揮毫するか、そうでなければ本を読んで暮らした。
「
書物はその時々で受けとる感じがちがうから、一度読んだ本を何年かして読み返すと、また別の味わいがある。
本というものは、繰り返しよむべきもんじゃないかね。
僕は一冊の本が気に入れば、少なくとも三遍読むよ
」
と、米内流の読書法を語ったこともある。
手控え帳があって、詩集や漢籍の中にいい言葉を見つけると書きとめておく。
難しい本ばかり読んでいるわけでもない。
盛岡中学の後輩、野村胡堂の著書が書斎にたくさん並んでいて、
「頭を休めるにはこれがいい」
と、「銭形平次捕り物控」は彼の愛読書であった。
これより三年後、戦争が終わって昭和21年8月6日付け、小泉信三宛書簡の中に、ぽつんと「女婿戦死の日」という一語が添えてある。
この手紙は、私家版「海軍主計大尉小泉信吉」を寄贈されての礼状で、
「
拝啓
去る六月御恵贈被下候『海軍主計大尉小泉信吉』第一読は恰も飢えたるものの食を貪る様な早さで、第二読は相当咀嚼しつつ漫々に読了致し申候。第三読ではじめてホントウの人間味を味ひ得る様な気がいたし申候 不備
八月六日
女婿戦死の日 米内光政
小泉信三様
その内拝趨仕度存居候
」
となっており、言外に自分も同じ哀しみを味ったと告げているように見える。
』
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