2009年2月8日日曜日
:みそひともじの自画像
● 1988/06
『
☆ かがみには私のなかのまた私 みそひと文字の自画像を描く
● 捨てるかもしれない写真を何枚も 真面目に撮ってる九十九里
人はなんのために写真を撮るのだろう。
今でしかありえない今。
今にしかありえない今。
つぎつぎと過去になってゆく<今>。
たったひとつの今でいいから、今のままつかまえたい。
そんな重いが写真を撮らせているのか。
けど写真に写った<今>はやっぱりつぎつぎ過去になる。
色あせた写真の今を、しみじみ思う今がくる。
色あせた写真の今を、破って捨てる今もある。
● 寄せ返す波のしぐさの優しさに いつ言われてもいいさようなら
● 沈黙ののちの言葉を選びおる 君のためらいを楽しんでおり
● にわか雨を避けて屋台のコップ酒 ひと生きていることのたのしさ
● オクサンと吾を呼ぶ屋台のおばちゃんを前に しばらくオクサンとなる
● ハンバーガーショップの席を立ち上がるように 男を捨ててしまおう
ハンバーガーには、食べ終えた余韻なんかいらない。
コーヒーを飲み干したすぐに、トレイを持って立ち上がる。
いつ立ち上がろうかというきっかけを、考える必要なんかない。
ダストボックスにきれいさっぱり、投げ入れる。
自動ドアに立てば、左右に開いてもうそこに、次の日常が待っている。
そんな風に男を捨てる。
余韻なんか残したくない。
きっかけなんて考えない。
● 「30までブラブラするよ」という君の 如何なる風景なのか私は
私は私の今を見ている。
風景としてある私。
過ぎゆく風のはるかかなたの遠景としてある私。
● 今日風呂が休みだったということを 話していたい毎日
● ダイレクトメールといえども 我宛のハガキ喜ぶ秋の夕暮れ
この世のどこかで、私に当てた一枚のハガキが、生まれたっていうこと。
その一枚が誰かの手で、ポストに入れられたっていうこと。
郵便屋さんが自転車こいで、私のポストまで、その一枚を届けてくれたっていうこと。
届いて部屋にあるっていうこと。
その不思議さを思っている。
心がしみて、秋の夕暮れ。
● 思いっきりボリュームあげて聴くサザン どれもこれも泣いているような
● きょうまでに私がついた嘘なんて どうでもいいよというような'海
● ため息をどうするわけでもないけれど 少し厚めにハム切ってみる
● 思い出はミックスベジタブルのよう けど解凍してはいけない
何年何月何日と日付を記して封をする。
現在(いま)という名の安全地帯があるから、思いっきりふり返る。
思い出は、思い出すときだけ美しい。
● 地下鉄の出口にたちて今 我を迎える人なきことふいに
● なんとなく冬は心も寒くなる 電話料金増えて木枯らし
● 7・2・3から7・2・4に変わるデジタルの時計を見ながら快速を待つ
デジタル時計は私の心の独りあそび。
7・2・3(なにさ)、なにさ、もうまてないよ。
快速に乗って帰ってしまおう。
7・3・4(なによ)、なによ、いま何している。
私と時計のにらめっこ。
私を笑う一分たちから、逃れるように快速に乗る。
』
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
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