2009年6月26日金曜日

:子捨て、ポジテイブな死


● 2008/04[1998/10]


 おれだったら、こう解釈するね。
「ババアは捨てられても、ただじゃ起きねえ」
 冗談冗談!
 冗談だっての。
 なんでそういちいち青筋立てるかね。
 もっとリラックスしなよ、リラックス。
 せっかく「姥捨て」を楽しみに、来たんだぜ。

 これからのキーワードは「ポジテイブな死」なわけよ。

 英語じゃわからん?
 まあ、ひらたく言やあ、「前向きな死」ってとこかな。
 縁起でもねえって?
 そりゃちょっと認識不足ってやつだな。
 ポジテイブに死ぬためには、ポジテイブに生きなきゃならねえ、からだよ。
「子どもに捨てられた」
 なんつって、メソメソしてんじゃなくて、
「子どもを捨ててやった」
 ぐらいの気概をもって、ポジテイブに生きて、ポジテイブに死んでいく。
 これからのババアは、こうでなくちゃいけねえ。

 おっと、思わず説教しちまった。
 ババア相手に説教してどうすんだよ。
 若い女に説教すふりして口説きゃ、やらせてくれる可能性が増えっけど、ババア口説いたところで香典の出費が増えるだけだしな。


「世間では、『年よりは子ども家族と暮らすのが幸せ』なんて言われているけど、あたしたちは誰もそんなこと思っていなかった、んだもの」
 子どもの世話になるほどつまらないことはない。
 いまどき60代、70代の年寄りといってもまだまだ元気だ。
 にもかかわらず、何もしなくていいと放っておかれるほどつらいことはない。
 病に伏せっているわけでもないのに、何もしなくていいということは、存在しなくてもいいと言われているに等しい。
 医療介護体制が整った高齢者施設に入れば、同世代の仲間と暮らせるよ。
 近頃は昔の老人ホームと違って、マンションタイプなのに食事も病院も介護者もちゃんとついている施設だってあるんだから、と。

「だけど、そんなに至り尽くせりのマsンションに入ったら、ますます何もしないで生きていかなきゃならんでしょうが。
 息子夫婦と同居しているとき、嫁とぶつかって感情を発散できるだけましかもしれん。
 施設で手とり足とりされて、ただ生きながらえているだけだったら、それこそ姥捨てされたも同然だろうが」
 そして、いざ病気になったらで、より本格的な姨捨て施設、病院や療養所に幽閉されて生涯を送る。
 そんな人生の終末はとても耐えられない。

「何もすることないままで死んでいく。
 それほど哀しいことはないよ。
 だからみんな、哀れさを紛らわそうとして旅に明け暮れたり、巣鴨をうろついたりするわけでさ」






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:ぽっくり死ねたらいいね


● 2008/04[1998/10]


「だけど、「姥捨て」なんて言葉がつく「縁起でもないツアー」に、よく婆さんたちが興味をもってくれると思って」
 おれとしては、いまだにそれが不思議でならなかった。

「別に不思議じゃねえよ。
 婆さんたちは姥捨てだからこそ興味をもってくれたんだぜ。
 いつだったか忘れたけど、ポックリ寺ってのが婆さんたちの間で流行ったことがあったじゃねえか。
 あれだって、縁起でもねえ話だぜ。
 婆さんたちがわざわざ、ぽっくり死にてえって拝みにいくんだからよ。
 けど結局、あれとおんなじ心理だってことだろうな」

 婆さんたちにとっては死は身近な問題だ。
 身近な問題だからこそ、深刻に考えれば考えるほど怖くなる。
 そういうとき、人間は死の恐怖をジョークで昇華させようとする。
 たとえば太平洋戦争中、南方の最前線に落語家の慰問団が派遣されたことがあるという。
 死と隣り合わせの兵隊たちに馬鹿な落語なんぞ聞かせてどうなる、という意見もあったらしいが、いざ戦場に赴いた落語家たちが、
「ちょいとご隠居、この際、味方の大将を撃っちまえば突撃しなくてもすむんじゃないかい?」
 といった不謹慎な笑い話を連発したところ、生死の際にいる兵隊さんたちに大うけで、
「あのときほど迫り来る死の恐怖を忘れた瞬間はなかった。
 自分は笑いに救われた」
 と敗戦後、元兵隊たちは回想したものだという。

 もちろん婆さんたちの場合、そこまで切羽詰った死の恐怖と対峙しているわけではない。
 だが、少なくとも死を意識するようになればなるほど、死を相対化したジョークに敏感に反応するようになる。
 どうせシャレだからと笑い転げながらも、無意識のうちに、死の恐怖を希釈しているというわけだ。
 だから、ホックリ寺などというジョークめかした企画に飛びついてしまう。
 地獄めぐりといった観光地が人気なのも、似たような真理からではないだろうか。
「おたがい、ぽっくり死ねたらいいね」
「あたしゃ、いちど地獄に堕ちてみたかったんだ」
 なんた軽口を飛ばして笑いながら、しかし一方では真剣に、「ぽっくり死ねますように」と拝んでいたりする。
 つまりは、戯画的にイベント化された死の世界にわざわざ飛び込むことで、無意識に心の均衡を保とうとしているわけだ。







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姥捨てバス:原宏一


● 2008/04[1998/10]


「姥捨て」を体験するツアー

「旅行業ってやつは、ただ旅に連れ出して案内してまわるだけの商売じゃねえんだよ。
カッコよく言っちまえば、退屈な日常にうんざりしているお客に、非日常を演出してやる商売なんだ」

 山道に転がっているただの岩だって、実は二百年前に松尾芭蕉が腰を下ろして一句詠んだ岩だと言われれば、ヘエ、と思う。
 説明されなければ、ただの岩でしかないのに、そう説明されただけで、遠き日の歴史ロマンに思いを馳せて、しみじみ豊かな気持ちになれる。
 そうした気持ちをいかに持続させてやれるか。
 二泊三日なら二泊三日、五泊六日なら五泊六日の旅の期間中、「非日常な気持」が途切れることなく持続するように、コースの設定から食事から宿の案内ガイドに至るまで、いかに緻密に創り込んで演出してやるか。
 それこそが旅行業に携わる人間に課せられた、本当の意味でのしまいといえる。

「早い話が、お客は酔いしれれてえんだよ。
 ロマンだの感傷だの驚異だの不可思議だのに、感動したり感心したり仰天したり面白がったりできる「情緒豊かな自分自身に酔い」しれたくてしょうがねんだよ。
 そんなお客の夢を心ゆくまで満たしてやるためにだったら、ウソも方便だと思うんだ。
 このツアーに参加すれば予想以上の非日常に酔いしれることができるかもしれない。
 お客がそう思い込むことができて、結果的に満足してくれるんだったら、多少のウソや脚色があったところでどうだというんだ。
 
 現代の「姥捨て」を体験するツアー。

 そんな素っ頓狂な企画、プロの企画屋にはとても考えつけねえよ。
 けど、今のお客は、そこまでシャレっけのあるお客に成長してるんだよ。
 だったら、おれたちプロも、そのシャレッ気のあるお客にどこまで応えてやれるか、ここひとつ挑戦してみたっていいじゃねえか。
 ウソだのインチキだの固えこと言わねえで、虚実とりまぜて面白がる体験の手伝いをしてやったっていいじゃねえか」





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2009年6月20日土曜日

:COLUMN:鉄・金・有機物


● 2008/06















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:日本刀の秘密


● 2008/06



 鋼鉄は鋼(こう、はがね)ともいいます。
 炭素含有量が2%以下となっています。
 鋼鉄の性質、特に硬度は炭素含有量によって微妙に変化します。



 日本の鋼づくりは、おもに島根県の近辺で発達しました。
 鋼の原料になる上質の砂鉄が手に入ったこと、再生可能な森林に恵まれていたこと、技術者集団を結成するだけの基礎技術があったことなど、いろいろな要因が重なってのことでしょう。

◆踏鞴製鉄
 日本の製鉄技術は「踏鞴製鉄(たたらせいてつ)」といわれます。
 踏鞴とは炉に送る風を出す鞴(ふいご)の一種で、足で踏んで風を送るものです。
 踏鞴製鉄では、炉に鉄鉱石と木炭を入れて木炭に火をつけ、鞴で風を送って一酸化炭素を発生させ、それで鉄鉱石を還元して銑鉄を得ていました。
 このようにしてつくった鉄を「和鉄」、あるいは「和銑(わずく)」といいます。

たたら吹き
 踏鞴製鉄と似た言葉ですが、こちらは鉄鉱石から直接に鋼を取り出す方法であり、高度な技術を要する製鋼法です。
 炉に木炭と鉄鉱石を交互に詰め、一酸化炭素で還元する基本原理はどこも同じですが、温度管理に微妙な経験を要し、技術者集団は三日三晩の徹夜を要するそうです。
このようにしてつくった鋼を「玉鋼(たまがね)」といいます。



 日本刀は包丁やナイフと同じ刃物ですが、その構造はだいぶちがいます。
 武器としての刀に要求されることは、よく切れて、折れないこと、です。
 切れ味をよくするためには硬くなければなりません。
 が、硬い脆くて折れやすくなります。
 日本刀は重層構造にすることで、このパラドックスを解決したのです。

 すなわち、やわらかくて折れにくい鋼を、硬い鋼で包んだのです。
 刃の部分は硬い鋼になりますから、切れ味は鋭いです。
 しかし、内部にやわらかい鋼が入っているので、全体としては折れにくいというわけです。
 内部の鋼を「心金(しんがね)」、外側の鋼を「皮金(かわがね)」といいます。

【 皮金 】
 皮金にするのは「玉鋼」です。
〇.水へし  :まず玉鋼を熱したあと、かなづちで5~6ミリぐらいに薄く打ち延ばし、水をかけます。すると不純物を多く含んだ部分がはがれ落ちます。これを「水へし」といいます。
〇.積み沸かし:炭素含有量の異なる何種類かの鋼を短冊型にし、それを積み重ねて熱し、叩いて鍛えます。薄くなったら折り曲げて再度叩き、薄くなったら今度は先ほどと
直角の方向に折り曲げて、再び叩きます。この操作を十数回繰り返します。

【 造り込み 】
 日本刀の形にする工程です。
 炭素含有量の多い皮金を広げ、その上に炭素含有量の少ない心金を置き、皮金で包みます。
 これを熱して叩き、日本刀の形に仕上げていきます。

【 焼き入れ 】
 形のできた刀に焼き入れをして硬くします。
 しかし、このとき、刀全体に焼きが入ると刀が硬く、もろくなります。
 そのための操作が「土置き」です。
 焼きを入れたくない部分に、砥石の粉でできた土をおきます。
 こうすると、焼きを入れるときに土のついていない部分は急冷されて焼きが入りますが、土をつけた部分は徐々に冷やされますので、焼きは入りません。
 土を置いた刀を炉に入れ、真っ赤に熱したあと、一気に水につけます。
 ジューという音とともに湯が弾け、湯気が立ち----刀づくりでおなじみの光景です。
 このときマンテサイト相ができるので、製品の形が変形するのは先に見たとおりです。
 日本刀の反りはこのときにできるのです。

【 仕上げ 】
 刀匠は形を整える程度に刀を研ぎ、あとの工程は専門の研ぎ師にまかせます。
 日本刀は研がれたあと、いろいろな備品をつけられて完成した日本刀になります。




 近代製鋼法の鋼に価格競争で負け、「たたら吹き」は壊滅しました。
 しかし、市販の鋼ではよい日本刀をつくることはできないとの刀工の要望により、年に数回だけ操業しています。
 製品の供給は日本美術刀剣保存協会が一手に握っており、一般人が手に入れることは不可能です。
 一般人が手に入れることのできるのは、日立金属安来工場で生産するヤスキハガネです。
 白紙、青紙、銀紙の3種類がありますが、白紙が最も古来の製法に近い方法でつくられたものです。




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:金属は原子からできている


● 2008/06



 化学的に見た場合、物質をつくる最小の粒子は「原子」と考えられています。
 ”化学的”に、と限定したのには理由があります。
 もしこの限定を取り除くと、物質を恒星する最小の粒子は「素粒子」となり、その正体は現代科学をもってしても、ハッキリしないということになってしまうからです。

 原子は雲でできた球のようなものです。
 雲のように見えるのは複数の電子(記号:e)からできた「電子雲(でんしうん)」です。
 1個の電子は「-1」の電荷をもっていますので、Z個の電子からできた電子運は「-Z」の電化を持つことになります。

 原子は非常に小さく、その直径は「10'-10'm(10のマイナス10乗メートル)」です。
 原子の大きさを実感するには、例を用いるのが一番です。
 原子をピンポン玉の大きさにしたとしましょう。
 このとき、ピンポン玉を同じ拡大率で拡大すると、ピンポン玉は地球くらいの大きさになります。
 そう考えると、原子の小ささがイメージできるのではないでしょうか。

 電子雲の中心には小さな「原子核」があります。
 原子核のの直径は、原子の「約1万分の1(1/10,000)」です。
 もし、原子核を直径1cmのパチンコ玉とすると、原子の直径は1万cm(10,000cm)、すなわち100mになります。
 つまり、東京ドーム2個貼り合せた巨大なドラ焼きを原子とすると、原子核はピッチャーマウウンドに置いたパチンコ玉、という関係になります。
 原子核はこのように非常に小さいのですが、質量の99.9%以上は原子核にあるのです。




 このように「原子核」は非常に小さく、重いものですが、それでも構造をもっています。
 原子核は複数の粒子である「陽子(記号:p)」と「中性子(記号:n)」からできているのです。
 陽子と中性子の質量はほぼ等しく、化学ではこれらの重さを一種の「単位」と考え、それぞれ「1質量数」とします。
 すなわち、陽子も中性子も「質量数=1」です。
 中性子は名前の通り、電気的に中性です。
 しかし、陽子はプラスの電荷をもっており、その電荷は電子の「-1」に対して、「+1」になっています。

 中性の原子では、原子核を構成する陽子の個数(Zとする)と、「電子雲を構成する電子」の個数はZと等しくなっています。
 そのため、原子核の電荷+Zと、電子雲の電荷-Zはつり合いますので、原子の電荷は0となります。

 原子核を構成する「陽子の個数」を「原子番号」といい、「記号Z」で表します。
 また、「陽子と中性子の個数の和」を「質量数」といい、「記号A」で表します。
 原子の種類は「元素記号」で表されますが、ZとAは、それぞれ元素記号の左下と左上につけて表します。






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2009年6月19日金曜日

:地球は金属からできている


● 2008/06


 一定の体積と質量(重さ)をもったものを「物質」という。
 原子は非常に小さいものですが物質です。
 「原子」と同じような意味で使われる用語に「元素」というものがあります。
 元素は物質ではありません。
 元素は原子の集合を表す言葉です。
 私たち一人ひとりの個人を”原子”だとすれば、それがたくさん集まった日本人全体を”元素”と呼ぶ、というような関係です。

 それでは金属というのは、どういうものなのでしょうか?
 ある元素が「金属」として分類されるためには、満たされなければならない性質があります。
 それは次の3つです。

①.金属光沢があること
②.展性・延性があること
③.電気伝導性があること

 この3つの定義にしたがって分類すると、約90種類の元素のうち、70種類ほどはすべて金属なのです。



 宇宙にはいろいろな「元素」があります。
 図1は宇宙に存在する元素の種類と、その相対的な量を表したものです。
 ビッグバンで最初にできた水素が最も多く、次にヘリウムが多くなっています。
 一般に原子番号の小さい元素が多く、大きい元素は少なくなっていますが、それは小さい元素から大きい元素が生まれたことを考えれば当然でしょう。



 地球もいろいろな元素からできています。
 図2は地球を構成する元素が震度によって変わることを表しています。
 表面に近い地殻や上部マントルには半金属のケイ素がありますが、内部になると液体や固体の金属になっていることがわかります。
 すなわち、地球は金属の球の上に半金属の殻をかぶせたような構造になっているのです。

 このような重層構造になったのは、地球が誕生した当初には全体がドロドロに溶けた灼熱の溶液(溶岩)状態だったためと考えられています。
 つまり、溶液状態で流動的だったため、徹夜ニッケルのような重い金属が下部に沈み、軽いケイ素やマグネシウムが上部に浮いたのです。

 最も多量に存在するのは酸素です。
 「気体の酸素がなぜ大地にあるの?」と思うかもしれませんが、酸素はほとんどすべての元素と反応します。
 ほとんどすべての金属は、地中にあるときか酸化物になっています。
 このため酸素が多くなるのです。
 2番目はケイ素です。
 ケイ素は岩石をつくるものです。
 軽いから地球表面に多く存在するのです。
 3番目は軽い金属のアルミニュウムで、4番目は金属の代表ともいうべき鉄です。
 その後、8番目までは金属で、9番目に地殻に含まれている地下水などをつくる水素が登場します。
 しかし、そのあとまた金属になります。
 このように、地球は金属でできていることがよくわかります。




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:すべてはビッグバンから始まった


● 2008/06


 宇宙は物質でできています。
 宇宙には年齢があります。
 「137億歳」というとんでもない年齢です。
 宇宙は137億年ほど前の「ビッグバン」によって出来たと考えられています。
 このとき「物質の素」とでもいうようなものが爆発して飛び散ったのが、「宇宙の始まり」です。
 ですから、物質はもとより、それが入る空間、飛び散っている時間、すべてがビッグバンから始まったのです。

 飛び散った物質は「水素原子」になりました。
 したがって、この水素原子の存在する空間が「宇宙」であり、水素はいまだ飛び続けていますから、いまでも「宇宙は膨張し続けている」ものと考えられます。
 「宇宙を埋め尽くす水素」には、やがて場所によって濃淡ができ、万有引力のおかげで、濃いところにはさらに水素が集合しました。
 高密度で集合した水素は熱を持ち、その熱はやがて非常な高温になりました。
 これが「ヘリウム原子」であり、この反応を「核融合反応」といいます。
 核融合反応は膨大なエネルギーを発生します。
 このような状態にある「水素の集合体」が太陽のような「恒星」なのです。

 時間がたつと、恒星の水素はほとんどがヘリウムになってしまいます。
 すると今度はヘリウムが融合して、さらに大きな原子が誕生します。
 このようにして、恒星では次々に大きな原子が誕生しました。
 しかし、恒星にも寿命があります。
 いつか恒星は爆発して粉々に飛び散ります。
 このようにして、宇宙にはさまざまな原子が存在するようになったのです。
 
 地球はこのようにして原子が集まってできた物体です。
 地球は物質でできています。
 物質はすべて原子でできています。
 物質の種類は無限です。
 しかし、「原子の種類」は有限です。
 有限どころではありません。
 わずか「90種類ほど」にすぎません。
 この約90種類の原子がいろいろに組み合わさって、無限大種類ともいえる「分子」を形づくり、その分子が集まって物質を作っているのです。














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金属のふしぎ:はじめに:斎藤勝裕




● 2008/06


 本書では金属の種類や性質、用途などを、わかりやすくお話ししていきます。
 金属にはまったくの素人と自負(?)なさる方、あるいは金属とは無縁と思われる仕事の方にも、楽しく、おもしろく、金属の知識を身につけていただくために書かれた本です。

 ですから、約70種類の金属ほとんどすべてをひと通り扱っています。
 そして、一般の方々になじみの深い金属をより多くご紹介しています。
 鉄、アルミニウム、銅、亜鉛、鉛など「汎用金属」あるいは「コモンメタル」と呼ばれる一群や、金、銀、白金などの「貴金属」です。

 本書ではまず、金属を含めて原子とはどうしてでき、どのような大きさで、どういう形をしているのか?という疑問から見ていきます。
 宇宙や地球はどのような元素、あるいは金属がどのような割合で存在するのでしょう?
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 このように、金属の話題は尽きることがありません。
 本書はこのような話題をわかりやすく、かつ楽しく説明したものです。
 きっとみなさんの知的好奇心を満足させ、読んでよかったと思っていただけるものと思います。

 最後に、サイエンスアイ編集部のみなさん、また楽しく分かりやすいイラストを描いてくださった保田正和さんに感謝します。

   平成20年5月  斎藤勝裕


 この本のカバーのタイトル部分に図書館のバーコードシールが貼ってある。
 そのため題名が消えて、どういう本かわからなくなっている。
 よって本体のタイトル部分を載せておいた。
 どうしてこうなってしまったか。
 図書館に2,500冊という膨大な新本が入った。
 そのうちの大人向けの本はすべて文庫本・新書本で単行本はない。
 また、発行日付はすべて「2008年」である。
 つまり「2008年に発行された文庫本」のいくらかが図書館向けの書籍として開架されたというわけである。
 これらの本の大半というより、99%が縦書き本である。
 縦書き本は右開きである。
 右側にページをめくる。
 よってバーコードシールは本を開いた状態から見ると、左側の背表紙に貼られる。
 ところがである。
 この本「横書き」本なのである。
 科学関係の本なので、横書きの方が化学式などを挿入するときに便利であるから、こうなることはやむ得ない。
 横書き本は当然「左開き」になる。
 とすると、開いた状態から見ると、右側の背表紙にバーコードが貼られるはずである。
 ふつう、カバーの表表紙と裏表紙は明確に違っていて、一見してウラが分かるようになっている。
 ところがこの本、下記のようにウラにも文字が躍っており、それも絵柄風になっていて、さらには目次までついている。



 書籍分類バーコードがついていることで唯一これがウラだとわかるが、それに気を止めないと表だと言われても、疑問になることはない。

 「金属を知ろう!」

 が、この本の題名だとしても、別段おかしくはない。
 著者は誰だろう、などと考える人はいないだろう。
 まして日本語を知らない人たちだと、日本語の本はすべて右開きだという先入観をもっているだろうから、ウラのほうが表と考えても間違ってはいない。
 そんなことで、表のタイトルに図書館シールが貼られてしまい、題名が消えてしまったのである。
 海外だと、ときどき想像しなかった「ホーッツ」という面白いことが起こるが、これもその一つであろう。
 とりたてて大仰な間違いではないので、ちょっとホットほほえましい。
 ニヤリ、としてしまう。



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2009年6月7日日曜日

::新境地を得る心


● 2008/02



 武術の進歩は、人間や犬などの哺乳類の身体が大きくなるような、同形の中での成長過程ではないらしい。
 芋虫が蝶になるような「脱皮や変化」---つまり「変態」のような激変をともなった進展なのだ。
 だから、同じ論理や質の中で稽古を積むだけでは、単なる「慣れ」になってしまい、そこそこ有効でも、大きな躍進がない。
 「慣れ」は、積もり積もると「悪癖」にもなりかねない。 
 脱皮を求めるとき、我々は、次に向かうべき新しい自己イメージを予めもっているのだろうか。
 稽古とは新しい領域に挑むことであり、今の自分に100%理解できるような状態に至っても、たかが知れている。
 自分のまだ知らない世界、境地があると認識することが、進歩の大前提だ。

 しかし、全くイメージが沸かない世界や状態へ行こうとしても、手がかりがない。
 師匠の手本を見ても、理解や納得ができなければ、「見れども見えず」になってしまう。
 蝶にとって、サナギの殻へ戻るという選択肢は全くない。
 そのことは誰でも知っているが、いざ自分の成長ということになると、「以前の自分」を、いつまでも残してしまいがちなのだ。
 殻を引きずり、いつまでも飛べない蝶----それは、まさに人がしばしな陥る状態なのである。
 自分はすでに蝶であるのに、それに気づきもしないケースもある。
 周りの人に「飛べ」と言われても、「いや、まだまだです」と言う。
 一見、つつましく謙虚にも思えるが、それは自然の摂理にも反し、不適切といえるだろう。

 とにかく過去の形を潰し、捨て去る。
 それだけで、何かが見え始める場合もあるのだ、と。
 過去や現在を捨てると、すべてがなくなるようで怖い。
 が、捨てることで、自動的に「無」の状態が出来上がり、必要なものが新たに創造されるのだ、と信じればよい。
 「戻る場所はない」
 過去の自分のイメージが壊され、消滅する。
 こうしたことは、実は飛躍的成長の鍵と考えられる。
 できるだけ先手を打って、新しい自分を生み出しておき、そこに「立場がついてくる」ようにしたい。

 しかし、薄々分かっていることを、なかなか実行しないのがまた、人でもある。
 社会の諸問題を見てもあきらかだ。 
 皆、薄々何かおかしいと気づいているし、どうしたらいいかも分かりかけているのに、今の状態を思い切って改めることはしない。
 それは、今の形にそれなりの「うまみ」があるからだろう。

 辻本氏は言う。
 「壁にぶつかったときは、穴のあけ方を師っていることが’大事だ」と。
 小さな穴でもいいし、その向こうへすぐにいけなくてもいい。
 いつできるかは、個人によっても違うのだ。
 いくつの壁を破っても、結局、すごい境地にはたどり着けないかもしれない。
 それでも、穴のあけ方を知っているのが、一番なのだ、と。

 よく古武術の考え方は、「目から鱗」の発想だという。
 実際、そうだと私も思う。
 目からウロコがおちた瞬間を、我々は知ることができるのだが、、一方で、目にウロコが着く瞬間というのは分からない。
 おそらく、放っておけば長年のうちにウロコがどんどん重なり、目が曇るということだろう。
 目が曇り、身が錆びつき、感覚が死んでいる----これは、とり立てて非難すべきことではない。
 そういう部分があって当然なのだ。

 現代人は、大昔、ヒトの身体が形成された時代とはかけ離れた生活を送っている。
 特にデイスクワークなどしていると、座った姿勢でいることが異様に長い。
 生きる感覚が鈍っている。
 素直な目でものを見るとバカにされ、自分の限界を知ることが利口であるかのように教えられる場面も多い。
 そんな時代が続いてきた。

 目からウロコをはがし続けられるような経験や稽古をしよう。
 はがれたら、次のウロコを着けずに、素直な目でものを見、感心してみよう。 
 これだけ古武術が注目されたのは喜ばしいことだが、ある意味、問題も生まれている。
 古武術に関して、新しく固定的なイメージができつつあるようにも思うのだ。










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::歩行法


● 2008/02



 手裏剣術では、足さばきが非常に重要である。
 辻本氏いわく、「足さばきのまずさは、上体ではカバーできない」。
 「土台無理」という言葉が連想され、妙に納得してしまう。

 「足の爪先」と膝の向きが一致していると、膝関節に妙なねじれが生じない。
 しばしば、膝を痛めるのは体重が重すぎるからだ、などというが、太っていても痛めない人もいるし、痩せていても、歪んだ膝の形のまま運動を続けたり、突発的に動いたりすれば痛める。
 だから、武術に限らず、通常のウオーキングなどをする場合も、前進する方向に足の爪先を向け、それと一致した方向に膝を曲げていくことをお勧めする。
 日常の動作で、屈むときや、座ったり立ったりするときも同様だ。
 そしてできれば、足を踏ん張ったり、地を蹴ったりせず、膝の倒れてゆく方向へ重心を移すことで、難なく進みたい。

 具体的にいえば、歩く際にまず膝を緩めて腰を落とし、足を前に出す。
 そして足の踵を地につけてから、足の爪先を進行方向へ向けて地に置く。
 それから徐々に重心を移し、前足の踵を同じ側の尻に乗せてゆくような感覚にすれば、勝手に身体が前に進む。
 同時に、腰から上も力まずに前へ出してやる。

 その感覚は、あたかも、腰のベルトを他人に前から引っ張られたような感じだ。
 後ろから腰を押されたような感じでもいい。
 この時、上体が反ったようにならないで、身の中心軸を真っ直ぐ保つのがポイントだ。

 「他人に動かされているような感覚」というのは、けっこう有効である。
 自分で前に出ようとすると、どうしても力みが生じ、地面を蹴った反動で動こうとしてしまう。
 むしろ、腰と上体が前に出るから、自然に足がついてくる、というくらいのほうがいい。
 前進の主体は、足の力ではなく、重心の移動なのだ。

 上体の中心が真っ直ぐ立っているか、あるいは膝と足の爪先の向きが一致している
かは、といったことは、なかなか自分の目では確認しにくい。
 一つの手がかりはやはり「重力」だろう。
 重力の向きを感じることによって「どこに真っ直ぐの基準があるのか」が分かる。

 よく膝が痛い人などに、体重のかからない水中で歩け、と勧めたりするが、これは一長一短という気がする。
 水中は、身体が冷えるなどの弊害もあるし、歩き方自体が歪んでいる場合に、浮力のせいでその間違いが見落とされる、という危険もある。
 同じ感覚のままで地上を歩くと、また痛めるかもしれない。
 重力なくして身体の歪みを感受し治すのは難しいと思うのだ。
 
 足の親指や踵は、外の小指側と拮抗するように外へ伸ばして巻き開くような意識を働かせ、膝はそれにつられて内側に入るのを、あえて外側に開いた。
 この形で、いつもよく行うように、腰を緩め、縦にさばくように動かしてみる。
 すると---突然、腰の内側に、これまでなかった感覚がパッツと出た。
 足の親指と踵の内側が、左右それぞれ、腰の中心に近い位置へつながったのだ。
 さらにそのまま、足の先や踵をのびのびと動かし、膝と腰も独立した意識で、ぐねぐねと運動させていると、仙骨がグッツと前へ入った。
 仙骨を操り、立てたり、動かしたりすることは、武術の世界ではよく語られているが、これほどハッキリと、その骨だけが、他の部分から独立して動いたと感じたのは初めてだった。




 宮本武蔵は、『五輪書』の中で、
 「爪先を少しうけ(浮かせて)、きびす(踵)を強く踏むべし」
と、言っている。
 柳生新陰流の江戸形でも、「親指を跳ね上げて歩め」と教える。

 親指だけ跳ね上げ、他の部分がつられないで床に着いているという状態をつくると、上足底の内側の意識もより覚醒される。
 武術では、具体的な技を出す箇所から、最も遠いところで起動せよ、という理があるから、足がスイッチを押す、ということができれば、至極有効なはずだ。
 柳生新陰流の畑峯三郎老師は、足の小指の働きに基づいて剣を繰り出すという独自の感覚をもたれていたらしい。








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::筋肉の「ブレーキ現象」


● 2008/02



 筋肉は、骨を動かすものだと考えられているだろうが、私は運動にブレーキをかけるのもまた筋肉だと感じる。
 意識と関節が解放されていない状態で、無理やりパワーを使って運動しようとすれば、体勢の崩壊を恐れた身体が、自動的にブレーキをかける。
 通常、このブレーキは急激な運動をした際に、怪我や関節へのダメージを防いでくれる安全装置の役目を果たしているのであろう。
 しかし、ブレーキが過剰に働くケースも多い。
 それはまるで、車のアクセルを踏みながら、ブレーキを踏むような状況だ。
 大変な無駄だが、ほとんどの人が、ここに陥っているのではないだろうか。
 だから、まずはアクセルを強く踏む努力より「不要なブレーキを解除する」ことのほうが重要である。。
 昔から、あらゆる運動の世界で「力むな」と教えるのは、このように関節がロックされた、不自由で、力を消耗しやすい身体の状態を脱するためだろう。

 尻を吸収するのも、背骨を真っ直ぐにするのも、力で無理にやっては意味が変わってしまい、効果は期待できない。
 身を伸ばし、不要な力を消せば、自ずと真っ直ぐになる。

 古武術の稽古は、頑張って身体を鍛えるというよりかは、注意深く感覚を研ぎ澄まし、いかに無用の動きを排除するか、という習いだと、私は理解している。
 例えば、刀を真っ直ぐ縦に振り下ろしたい場合、腕の力でで左右のブレを止めようとしても、帰って太刀筋は歪む。
 そうでなく、ただ重力を感じればよいのだ。
 重力は、常に真っ直ぐしたへ働く。
 刀と腕の重みを感じながら、その引きおろされた方向へしたがって剣を打ち下ろせば、ブレることはない。

 肉が骨と一体的に癒着したものであるという意識は、取り除きたい。
 「ブレーキ現象」を生み出しやすいからだ。
 骨と肉とは別々のものであって、関節さえ緩めて解放すれば、骨は自由に動けるのだ----という捉え方が重要だと思う。
 その意識が、筋肉へのブレーキ命令を解く。
 自分が気づきさえすれば、骨の中には非常に細かい意識を受け取ったり、発生させたりする能力がある、と思えてならない。
 骨はただの棒ではないし、筋肉に動かしてもらっている従属物でもない。

 武術の稽古は、いわゆる筋肉トレーニングのように、やっただけ比例的に伸びるのではなく、ある時、急に飛躍的に伸びると言われる。
 それは、この関節の解放、ブレーキ解除の感覚などを掴んだ瞬間にウソのように自由に身体が動くためだと考えられる。
 「コツをつかむ」つまり、「骨をつかむ」 などというが、まさに骨の意識が変わり、自律性を得たときには、驚くほど楽に技が使えるようになるだろう。

 この解放にあたっては、心理的なためらいが壁となる。
 そのために、「恐怖心の自覚と排除」が不可欠だ。
 車のブレーキならば、純粋に車体を止めるためだけに働くだろうが、人間の身体が無意識にかけるブレーキは、「止めている」働きでありながら、実は「力を使っている」状態だ。
 運動を強いられている本人は、まさか「止めている」とは思ってもいないという場合が多い。
 よい汗を流し、よい運動をしたと思い込んでいても、その多くは、自分の身体能力を制限するためのブレーキ運動に過ぎなかった----ということが、実際にあるのだ。
 恐ろしいことだが、何事によらず、この「悲しい消耗」というのは、日常的に様々な場面で私たちが陥るパターンなのである。

 屈筋、表層筋といった固い筋肉によるブレーキ作用について、辻本氏は「ギブスをはめながら動いているようなもの」と言われた。
 筋肉ブレーキを、本当に必要なときだけ適切に働かせられるように工夫することが大切だ。
 動きが荒く怪我の多い人などは、このギブスによるガードを積極的に用いてみるのもよい。













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::腰と尻と足


● 2008/02



 身体を横から見ると、ウエスト辺りの一点だけが、くびれたように前側(原側)に入り込んでいる立ち方の人がけっこういる。
 こういう形は一見、シャンとしていてよい姿勢に見えるが、実は危険だ。
 ある部分だけ反っていると、その箇所の骨に圧力が集中してかかり、椎間板ヘルニアなどを引き起こすらしのだ。


 
 たいていは尻が出て、ウエスト部分の骨が前へ入っている。
 力むことなく腹を凹ませ、その下に尻を入れ込むような、独特の吸収技術が必要となる。
 その際、脳天から腰の中心へと抜ける線(軸)を感じ、上下に引っ張られているかのように、のびのびした姿勢をつくることがポイントだ。

 女性が、よく尻を美しく見せるためにヒップアップを試みるが、筋力トレーニングによるヒップアップは、やめるとまたすぐに尻が垂れるように思う。
 一方、背骨を直線的にし、尻を胴体に吸収できれば、頑張る必要もなく、「柳腰」になれる。
 「柳腰」とは、江戸時代に流行したスタイルの一つで、尻が小さく、ほとんど出ていない体形である。

 まるで尻を収納しているとういう感覚になるのだ。
 この「尻の吸収」を初めて試みるときには、仰向けに寝るとよい。
 通常は、背中を床につけても腰は浮き、手などを差し入れることができるはずだ。
 両足を曲げ、膝を立てるようにすると、腰と床との隙間をなくすことができる。。



 この状態から、ゆっくりと再び足を伸ばしていき、普通の仰向けにもどりながら、尻が足につられて後ろへ出ないように保つ。
 つまり、腰が反らないように保つのである。
 コツはやはり、尻を胴体下部に吸収する意識だ。


 腰の支えを放つ感覚を、「背中を抜く」とか「腰を抜く」などともいう。
 普通は、腰が抜けていれば座り込んでしまい、運動などとてもできないと思うだろう。
 それをあえて、半ば行うのが武術のようだ。

 さて、以前私は、夜、仰向けに寝ると腰が痛かった。
 が、今は腰の後ろの隙間をなくし、背中全体に重みを散らすことができるため、かなりの時間、仰向けになっていても大丈夫だ。




 そこから起き上がるときも、腰を支点に状態を持ち上げようとせずに、まず両足をまげて尻の方へ引き付け、重みが下の床などへ抜ける経路を確保する。
 腰で起きるのではなく、全身で起きる感覚だ。
 全身をもちいつつ、重みや意識を足へ集めてゆく。
 腰痛が発生する場合、多くは「足の意識」が欠けている。
 尻に引き寄せた足の方へ向かって、身を丸め込んでいくような気持ちで起きると楽である。






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2009年6月6日土曜日

:稽古者の心理と型


● 2008/02



 しばしば伝承に携わる人は、自分たちは古いものよく知っている、というつもりになるが、その思い込みに罠があるのかもしれない。
 古いものを大切にするならば、直々の師匠だけでなく、何代も前の先人にまで目を向けるとか、新しい人の研究の中に、古いものを理解するヒントがないか探してみる、というような工夫が必要だろう。

 昔の日本人は、「言葉」とういうものの「意味の受け取り方」が、個人によって違うことをよく知っていた。

 武術の術は、すべて身体の「使い方」から生まれるもので、身体の体重や質量とは、全くといってよいほど関係がない。
 そのことは「剣術使い」「槍の使い手」などという古い言葉にも示されている。
 また、昔の兵法者は、あまり引退などしなかったと考えられるから、まさに術の精度次第ということだろう。

 我々は日常的に、自分の条件的不利を理由にして、やりたいことをあきらめている。
 言い訳のように「できない理由」を並べては、現状にとどまろうとする。
 果てには、何かにチャレンジしようとする他人を見ても「どうせ無理だろう」といったりするようになる。
 だが、やりたいことはやるべきだ。
 もともと、できそうなことだけをやっていては、価値観の転換や、面白い発想とは縁遠い人生になってしまう。
 あるいは、日ごろは自信満々だが、不測の事態にはひどく脆い人間になってしまうかもしれない。
 よく考えてみれば、人は案外、不利なことに挑戦したくなる生き物かもしれないのだ。
 それが成功する例も少なくはない。
 劣等感の中にこそ、オリジナリテーや才能が潜んでいるとも言われるほどだ。
 
 人は、身体のみでなく、性格も様々なので、自分が最も納得ゆくポイントにはまったとき、新しい世界に誘われるのだと思う。

稽古は、何か「うまくなる」ためにやると思っている人も多いけれど、実は、自分の「おかしいところ」を発見するために行うのが本当ではないか、と辻本氏は言う。
 痛い目にあったり、身体を酷使すると、「とてもよく努力した」という満足感があるかもしれない。
 だが、大抵そういう時は、「もともとできる運動」を、ひたすら「たくさん」やっただけで終わってしまいになりがちだ。
 劇的な発見や飛躍は望みにくい。
 あるいは、「辛い思いに耐えたのだから、きっとうまくなって、いい思いもできるはずだ」という期待を生んだりもするが、辛い練習をやめたら不安だから、続けるしかなく、結局は辛いままとなったりする。

 現代人には意外な感覚かもしれないが、古武術では「リズムに乗る」ことをあまり「よし」としない。
 むしろ「拍子を外す」ことが求められる。
 同じリズムの中では、同じ質の運動が繰り返される可能性が高く、しかも、一定になった拍子は敵から読まれ易い。
 あえてリズムをつくる場合には、そのリズムに相手を乗せて、肝心の攻防の瞬間にタイミングを外すことで、拍子を抜けさせ、混乱させるのだ。

 「不測の事態は起きるものだ」という前提が必要だと思う。
 起きたことを後から追うのではなく、まだ起きていないことを察知する、という発想がほしい。
 武術はもともと、この感覚がとても重視されていた。
 型稽古といえども、相手が動く前にそれを見抜くことが必須とされている。










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自分を生かす古武術の心得:多田容子


● 2008/02



まえがき

 古武術----不思議に興味をそそるこの言葉は近年、急速に広まった。
 そこから抽出された「身体技法」は、スポーツや介護にまで応用されている。
 いまや、古武術のカリスマとなられた甲野善紀先生のご活躍は、ますます盛んだ。
 甲野先生というだけで、「小よく大を制す」「筋力より精妙さや感受性が大事」といった武術についての大まかな考え方がすぐに伝わるという場面も増えた。
 つくづく、初めに道を拓く方は大変だが、そこを通る人間は楽だと思う。

 それでも、まだ古武術は何だか分かりにくいという声も聞く。
 古武術の影響と恩恵を大きく受けてきたわたしが、稽古を通して教えられたこと、感じたことなど書き表すことで、一般の方々の理解が進むかもしれないと思った。
 本書は、わたしの手裏剣の師であり、自称「一般人の体術研究家」辻本光男氏の話を軸に、「普通の人にできる武術」という観点で書いた。
 もちろん、身体感覚、意識のもちようなどについては、微妙な部分が大切であるため、かなり詳細に記した。
 また、古武術的な見方で、私自身が日ごろ考えていることなども綴っている。

 「自意識過剰」などというが、わたしはいわば「当事者意識過剰」な人間だ。
 何でも我がことと考え、やってみたくなる。
 剣豪小説を書いているうちに、柳生十兵衛でもないのに柳生新陰流をならい、忍者でもないのに「手裏剣術」に熱中してしまった。
 稀有な武技を披露してくださる甲野先生や辻本氏のお話にも、完全に他人事として聞かなかった。
 おこがましく恥ずかしいが、何でも味わい、理解したかった。
 だから、すべてが身に迫る経験であり、私の身体や心は絶えず変化してきた。
 稽古の過程は驚きと発見の連続で、いかなる娯楽よりも面白かった。
 この実感を、できる限り筆に尽くして明らかにしたつもりだ。

 本書を読まれた方が、何か一つでも「自分のこと」と感じていただけたら嬉しい。
 私は小柄で非力な上、「苦行は大嫌い」な文科系人間だ。
 肩凝りや腰痛を抱えている人、武術なんて怖いと思う人、自分に自信がもてない人----そんな方々は、私にとって至極、近しい存在なのである。
 ぜひ、この本を、身体と気持ちをほぐす一助にしていただきたい。

 また、本書の内容は自在な応用を歓迎する。
 日常生活にはもちろん、趣味の運動、お稽古事、ものの教え方や習い方など、なんにでもあてはまるだろう。
 むしろ、私の書いたとおりでなければ、と教科書的に固くとらえないでいただきたい。
 具体的に、図解に基づいて体を動かされるときは、ご自身の身体感覚を最優先にし、それを高める目的で試して欲しい。
 形だけ無理に真似たり、やる気がないのに頑張る必要はない。
 大切なのは、意識と感覚を限定せず、折々に新しさを加えてゆくことだと思う。
 だから、本書では考え方や真理の面にも多くのページを割いた。

 企画、構想からすでに2年近くが過ぎた。
 少しづつ書き溜めたため、途中で感覚の変化などもあったが、多少の揺れについては、それは自然なことと受けて止めていただければ幸いである。
 初めて武道袴を穿いてから15年を経た今、本書を一つの区切りにしたいと思う。









【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



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