2009年4月14日火曜日

:高齢化と労働力不足と空洞化


● 2005/01[2004/12]




 社会の高齢化が、日本将来に関する議論のすべてに影響を与えている。
 社会の高齢化はさまざまな影響を与える。
 もっとも単純な水準では、労働供給の問題がある。
 15歳以上の、65歳未満の生産年齢人口は数年前にピークをつけ、今後数十年、減少を続けると予想されている。
 労働力不足を補う対策として、大量の移民受け入れが提案されている。
 日本が「
大量移民」を受け入れた場合にぶつかる深刻な問題を度外視しても、労働供給という観点では、少なくとも今後30年、大量の移民を受け入れる必要はない。
 今後に予想されている労働力不足を緩和する要因が働いているからだ。
 第一に、「
自動化とロボット」の利用が進んでいる。
 ロボットは低コストの労働力であり、休憩も病気休暇も有給休暇も必要とせず、労働組合を結成することもない。
 第二に、現在は六十歳が定年になっているが、平均寿命が世界一の日本には低すぎる。
 現役の期間をもっと長くし、年金の支給開始年齢を高める政策を継続すべきだ。
 第三に、適切な保育施設を整備し、出産・育児休暇などの制度を拡充するだけで、働く女性を百万人以上、楽に増やせる。
 第四に、中国やアジアなどには低いコストの労働力が余っている。
 技術水準の低い労働集約型の仕事を東アジアに移していけばいい。
 これは「空洞化」ではない。
 経済の自然な発展であり、それによって東アジア諸国の経済が成長すると共に、日本の労働力は付加価値が一段と高い分野に移行する。

 確かに高齢化は問題だ。
 若者が少なくなって社会の活力が低下するし、高齢者の医療費と年金がかさむし、人口減少で経済成長率が低くなる。
 だが、見逃されることが多いようだが、「大量移民の受け入れ」はもっと大きな問題を生み出す。
 大量の移民を吸収できる国はきわめて少なく、おそらくアメリカ、カナダ、オーストラリアのみであろう。
 だがこれらの国は国内に共通の文化基盤がなく、社会の結びつきは低水準のものにすぎない。
 物理的にも社会的にも、大量移民を吸収できる余地がある。
 日本のような社会結束の強い国では、大量移民を受け入れた場合、社会的リスクが極めて高く、あらゆる種類の社会的コストが発生する。
 結論はこうだ。
 労働力不足は差し迫った問題ではなく、大量移民受け入れは、いずれにせよ解決策として不適切である。

 人口構成の変化、社会の高齢化、それが労働力人口の規模や個人消費のパターン、社会保障のコストに与える影響はいずれも、世界先進国に起こっている「
成熟の動き」の一環である。
 人口構成の変化は、日本に特有のものではない。
 西ヨーロッパの各国でもよく似た「動き」が起こっている。
 だが、日本の動きは特に供右側であり、調整が難しい。

 日本の人口は20世紀に3倍近く増加したが、21世紀には半分になる可能性もある。

 少なくとも今後30年は、労働力不測は深刻な問題にはならない。
 人口構成が急速に成熟している。
 「成熟」は、本来、「危機ではない」。
 うまく対応すれば、成熟は安定と幸せをもたらす。

 まず注意しておくべき点をあげるなら、現時点で労働力不足の問題はない。
 失業率は5%前後と、日本の過去の水準と比較して極めて高い。
 いまのところ、労働需要に充分な余裕があり、今後何年にもわたってこの状況が続くだろう。
 将来、労働力不足が問題になることは間違いないが、現時点ではこの問題はない。
 今後数十年に「
労働力不足」が最大の問題になる、との見方は的外れだと思える。

 社会が高齢化すればもちろん、需要のパターンが変わる。
 幼稚園より成人教育が重要となるし、十代の若者の娯楽より、大人の娯楽が重要になる。
 住宅の建設より、改築と贅沢が重要になり、休暇が増え、医療サービスの需要が増える。
 需要は減るのではない。
 「変わる」のだ。
 また、人口減少によって所得水準が下がるとはかぎらず、逆に上がる可能性が高い。

 日本は国民に共通する価値観によって社会行動の決まっている国であり、アメリカの方式は日本の「
将来のモデル」にははならない。
 先進国のほとんどは共通の自国文化を基盤としており、過去数十年に、イタリア、ドイツ、スエーデン、フランスで大量の移民を受け入れの社会的コストがきわめて高く、重要な政治問題になることがはっきりしてきた。
 日本は「国の歴史が極めて長く」、文化と社会の統合が進んでいるので、移民を大量に受け入れた場合の問題は一層大きくなるだろう。
 日本が大量移民を受け入れるべきだ、とする主張はバカげている。

 製造拠点を海外に移す動きは「
空洞化」と呼ばれている。
 軽率な言葉であり、状況を正しく理解するためにはまったく役に立たない言葉である。
 日本の産業が空洞化すると言えるのは、国内産業が停滞していて、高付加価値製品に移行していないときだけである。
 日本経済が成長を収めてきたのは、技術水準が低く労働集約型で低付加価値の製品から高付加価値の製品へと着実に移行してきたからであり、今後もこの「
移行」を続けていくことが「成功のカギ」になる。
 成熟した製品の生産を海外に移すのは、実際には経済の発展なのであり、これにより日本は開発途上国に経済発展に必要な資本と技術を提供し、日本国内では「
次世代技術と製品」に力を集中する。
 この過程を「空洞化」と呼ぶのは奇怪だ。

 海外への投資は労働人口の減少に対処する方法の一つだと結論づけるべきである。
 移民の受け入れは日本にとって、さらには大部分の国と社会にとって、「答え」にならない。
 それよりも、日本は人口構成でみて、成熟した社会になり、経済面では新しい技術と製品に集中するようになり、
 過去に苦しんできた「
人口増の圧力」から開放される、
と見るべきでだろう。
 少なくとも今後30年には、日本の庶民にとって、労働力不足が生活の質の向上を妨げる要因にはならない。












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