2009年4月8日水曜日

ロゼッタストーン解読:訳者あとがき


● 2008/06[****]




● 目次

 「ヒエログリフ」の解読は、学問の世界でもひときわスリルに富む物語である。
 長年の難問をみごとに解いた一人のフランス人「ジャン=フランソワ・シャンポリオン」の生涯も波瀾万丈だった。
 本書はヒエログリフとシャンポリオンをめぐる歴史と学問と人間の物語である。
 「聖刻文字」あるいは「神聖文字」ともよばれる古代エジプトの絵文字、ヒエログリフは紀元前三千年以上も前から紀元四世紀のはじめまで使われていたという。
 人類が最も長い期間にわたって使っていた文字といっていい。
 しかし、エジプト人がギリシャ文字を使うようになると、ヒエログリフは忘れ去られ、解読できる者もいなくなってしまった。
 ヨーロッパの学者がヒエログリフの解読に向かうのは17世紀以後のことで、はじめは珍説、奇説のオンパレードだった。
 ヒエログリフは普通の文字ではなく、それぞれ神秘的な意味を含んでいて、それを明らかにするには神秘的あるいは魔術的な知恵がいると考えた学者もいた。
 ヒエログリフの秘密を解くことは不可能だという考え方が支配的だった。

 ヒエログリフ解読を飛躍的に前進させたのが、「ロゼッタストーン」の発見である。
 ナポレオンのエジプト遠征中にナイル川河口のロゼッタで発見された石には、3種類の異なった文字が刻まれていた。
 上段にヒエログリフ、中段にのちに「デモテイク」と呼ばれることになる文字、下段にはギリシャ文字。
 同一内容が3種類の文字で表記されたものと推定され(事実、その通りだった)、ヒエログリフを解読する有力な手がかりとなった。

 ロゼッタストーンのコピーがヨーロッパ中の関心ある学者の手に渡ったのは19世紀のはじめ頃で、ここからヒエログリフ解読レースが開始することになる。
 ロゼッタストーンのほかにも、ヒロエグリフの規された多くの資料がエジプトから運ばれ、学者の研究に供された。
 ここに登場するのが本書の主人公ジャン=フランソワ・シャンポリオンである。
 ロゼッタストーンが発見されたとき、彼はまだ十歳にもなっていなかった。

 遅れ馳せながらこの解読レースに加わったシャンポリオンは、1822年、31歳のとき、みごとにヒエログリフの謎の解明に成功した。
 その経過は本文に詳細に述べられているが、要点は一言でいえば、ヒエログリフは表意文字であると同時に表音文字でもあること、そして、ヒエログリフのアルファベットを発見したこと、にある。

 シャンポリオンによるヒエログリフ解読によって、いままで神秘の幕に閉ざされていた古代エジプトに光がさしこみ、その歴史や文化、社会構造などが明らかにされた。
 古代エジプトについての正しい知識は、シャンポリオンからはじまると言うことができよう。
 本書の原題は「エジプトの鍵」(The Keys of Egypt)である。
 ながいあいだとざされていた古代エジプトに通ずる扉を開く鍵の発見者、それがシャンポリオンだったというわけである。

 現在、ロゼッタストーンは大英博物館に所蔵されているが、それは、地中海での海戦でフランス軍がイギリス軍に敗れたために、戦利品としてイギリスにひきわたされたからである。

 本書は Lesley & Adkins "The Keys of Egypt:The Race to Read the Hieroglyphs"(HarperCollins,2000)の全訳である。
 原題は「エジプトの鍵 ヒエログリフ解読競争」であるが、ロゼッタストーンがヒエログリフの解読に大きなきっかけとなったこと、また、古代エジプトの絵文字のシンボルとして広く知られていることを勘案して、邦訳名を「ロゼッタストーン解読」とした。
 著者のレスリー・アドキンズとロイ・アドキンズはともにイギリスの考古学者、古代史家で、共著で考古学および古代史関係の本を何冊か出版している。









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