2009年4月2日木曜日

:未来の物語


● 1992/10[1992/09]



 日本が真の意味で世界に進出しているいま、2つの明確な疑問が湧いてくる。

(1) 日本の世界的な役割とは何なのだろうか(あるいは、何になることなのだろうか)?
(2) 日本はいつになったら経済力に見合った国際的な責任をひきうけるのだろうか?
   そしてその責任とはどういうものになるのだろうか?

 これは誰もが抱く明確な疑問であるから、最近ではそのことに関する多くの本が出版され-----。
 しかし、どちらの問いに対しても満足な答えを出したものはまだいないし、本書の著者にも無理だろう。
 なぜだろうか?
 その理由は、いかにも明快なようだが、その疑問そのものが間違っているからである。

 日本にとっての「世界的役割」などというものはない、のだから、それが何であるかを問うても意味がない。
 国家には世界的役割などない。
 フランスの世界的役割は何か?
 中国のそれは何か?
 イギリスのそれは何か?
 こうした疑問は(わざわざ提起する者がいればの話だが、そんなことをする者はいない)、日本についての疑問と同じく無意味である。
 「国際的責任」についても同じで、そんなものは存在しないし、少なくとも独立したものとしては「存在しない」

 それでは、何があるというのだろうか?
 そこにあるのは「役割と責任」ではなく、必然的に他国のそれと衝突する行動と利害関係である。
 ありのままにいえば、国際関係は、しばしば競合する諸国間の「多様な利害関係の均等と変化」にかかわることだ。
 したがって、国家について、またこっかのために発するべき正しい問いは、「
長期的にみて、何が国の利益になる」か、ということであり、またどのような行動がその利益にもっともかなうか、その利益を損なわないためには他国との衝突をどうやって避けるべきか、ということなのである。

 日本は今後、外の世界が脅威よりも機会と利益をもたらすようにするために、いったい何ができるのか?
 日本はどうすれば、「自らの文化とアイデンテイテイと繁栄」を危険にさらすことなく、他国に好かれる国になれるのか?
 しかし、これを考える前に、別の疑問がわいてくる。
 他の多くの国には問われないのに、「
なぜ、日本だけ」そのようなことが問われるのだろうか?
 フランス人は、自分たちがしかるべき位置を占めているかどうか、好かれているかどうか、などといったことを気にしてはいない。
 だが、
日本人は気にしているのだ。

 真の課題とは、国際情勢における日本の長期的な国益となるものを見極め、そのような時刻の利益が他国の利益とどう調和するかを見極めることなのだ。
 重視すべきは「
長期」という点である。
 
 それは本書の基本理念である。
 つまり、最後には「
合理的利己主義」が勝利をおさめるということだ。
 言いかえれば、人間は個人であろうと、会社や市場、あるいは国家の一員としてであろうと、最終的には「筋の通った行動をする」ということである。
 それは非常に長い時間がかかることもある。
 しかし、最後には「論理が勝つ」場合が多いのだ。

 「
利己主義の力」を信じるからこそ、筆者は今後四半世紀の世界について、楽観的になれるのである。








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