● 2008/06[****]
● 言葉と文字を与えし者
『
1833年4月、シャンポリオンの死後一年目、政府はその草稿を5万フランで購入し、全88巻からなる草稿がパリ国立図書館に収められた。
ヒエログリフ解読の衝撃はほとんど信じがたいほどだった。
事実、それはまったく新しい文明の発見を意味した。
ヒエログラフとデイモテイクで書かれた古代エジプトの文献の翻訳が本格的に行われるや、古代エジプトに関するさまざまな驚くべき情報が明らかになった。
翻訳されたものは膨大な量にのぼり、種類も広範囲に及ぶ。
パピルスや板、革に記されたテキストのほか、割れた壺や石(陶片)に刻まれた言葉、神殿や墓の壁一面の彩色の碑文、ファラオの巨大な彫像からミイラに巻かれていた布にいたるまで、さまざまなものに記された文字があった。
ナポレオンのエジプト遠征に加わった学者たちの期待が、ついにかなえられたのである。
かれらは古代エジプトの秘密を解くことを夢みたが、いまやこの夢は現実のものとなりつつあった。
● 一年間の記録
● ハンモック
● 緑色のアイシャドー
● ビール
● 嘘
● 納税者
といった言葉そのものが、エジプト文明の複雑さとシャンポリオンの偉業の結果として産み出された途方もない情報の広さを示していた。
ヒエログリフとヒエラテイクで記された古代エジプトに関する情報の量と多様性だけからみても、その翻訳はひじょうに重要である。
数多くのパピルスや陶片を含め、膨大な量の文章が残存したのは、適切な気象条件と古代エジプト人自身の態度のおかげであった。
古代エジプト人は書記ををもっとも重要な人間(ファラオは「書記」だった)とみなしていた。
書記は同時代の人々のためばかりでなく、後世の人々のためにも書いている。
このような意識は、書記の高い位置を賞賛する多くの文献に見られる。
そのうちのひとつ、少なくとも三千年の時間を生き残った、ある教訓は「書かれた言葉」はほかのあらゆる造られたものより偉大であると述べている。
それは現在、「死せる著者への賛辞」として知られている。
「
書くことの巧みなお前は、これらのことをしなければならない。
神々のあとに来る時代より
これらの書記と賢人について
その名は永遠に伝えられている。
彼らが青銅や鉄の柱でピラミッドを造らなくとも
彼らは、自分たちの書いた文字や教えを自分たちの跡継ぎそのものとした。
書記になれ! このことを忘れるな!
お前の名はかれらのように存続するのだ!
[パピルスの]巻物は彫刻された石柱よりも
囲い込まれた土地よりも貴重だ。
人々は土地から去るが
一人の語る者の口に
彼をよみがえらせるのは一冊の本である。
建てられた家よりも、西方の礼拝堂よりも
はるかに偉大であるものあ[パピルス]の巻物である。
それは立派な邸宅にも
神殿の石碑にもまさるものである
」
生き残ったさまざまな文献には、想像をはるかに超えるような内容が記され、古代エジプト文化の驚くべき実態が明らかにされた。
売買契約書、勘定書、公文書、収税簿、人口調査表、布告書、技術に関する論文、軍の指令書、王の一覧表、葬式の呪文と儀式、生者と死者への手紙、物語----ほとんどすべてが現代の社会に存在するものばかりで、特に欠けているものといえば、演劇に関わるものぐらいであろうか。
壺のかけらや小石に書きとめられたメモには、建物の材料のリストや、誰がいつ仕事についたとか、ある容器には何が入っているとかいったことが記されていた。
おそらく教材および参照文献として使われた用語集として知られているテキストは、植物や動物、自然現象、さらには水の種類といった分類によるリストである。
このようなリストからしか知られていないエジプト語の単語もいくつかある。
エジプトの社会は宗教と「死後への希望」が中心となっていて、単一された宗教とみうものは古代エジプトには存在しなかった。
というのは、エジプト人の宗教は異なる神話を持つ多くのさまざまな神々への信仰から発展したからである。
エジプト全土においては、ファラオは神々と人々との間の仲介者だった。
多くの神殿では、神官たちが神意を守り、それをくつがえす恐れのある無秩序を抑えるための儀式をファラオのために行った。
大部分の人々にとって、神々との関係は通常もっと個人的なものだった。
さまざまな方法で秩序を維持し、無秩序を阻止しようとしたが、礼拝者個人は神々が自分たちの生活に直接手をさしのべてくれることを期待した。
「魔除け」は、生きている人間に対してだけでなく、死者を守るためにミイラを包む布にも結びつけられ、そこには「死者の書」の呪文がしばしば記されていた。
この「死者の書」というのは、シャンポリオンが「埋葬儀式」と呼んだ文献に対する現代の呼称で、エジプト人は
(来るべき日の呪文)と呼んでいた。
紀元前2300年頃のファラオの場合、そこにヒエログリフが残っている限り効力があるようにと、ピラミッドの内室の壁にヒエログリフの呪文が記されていた(その呪文は現在「ピラミッド・テキスト」として知られている)。
紀元前2000年頃には、呪文は墓の壁よりもむしろ棺に記されるようになり、このような「コフィン・テキスト」の導入により、ミイラ処置と魔法の呪文によって死後の生存を求める人々が増えた。
もともとそのような処置はファラオだけの特典であり、廷臣たちはともに復活することうぇお願って、できるだけファラオの墓の近くに埋葬されることを望んだ。
それから約五百年後、現在「死者の書」として知られる呪文が「コフィン・テキスト」にとって代るようになった。
「死者の書」は、特定の内容をもった一冊の本ではなく、約二百の呪文からなるもので、その多くは「ピラミッド・テキスト」と「コフィン・テキスト」による。
「死者の書」に定本といったものはなく、そこに含まれる呪文はさまざまである。
それらの呪文はもはや棺にではなくパピルスの巻物に記されて、死者とともに墓や棺の中に葬むられる。
その多くはトリノのドロヴェッテイ・コレクションからシャンポリオンによってはじめて解読され、研究された。
死者を守る呪文の効力をできるかぎり永続させる願いは、それらの呪文が他のエジプト語の文献より多く生き残ったことでもあられている。
「死者の書」という現代の不吉なタイトルは誤解を招きやすい。
というのは、この呪文集に対する古代エジプト人の見方は、「永遠に生きる書」、あるいは「復活の書」にちかかったからである。
』
● 死者の書[Wikipedia]より
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
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