2009年4月13日月曜日

新・日本の経営:ジェームス・C・アベグレン


● 2005/01[2004/12]



「再設計の十年」



 日本は21世紀に入ったいま、そう簡単には理解できない矛盾した性格をもっている。
 日本はきわめて豊かで、類をみないほど「社会が健全な国」である。
 社会がこれほど「洗練されている国」は珍しい。
 人々は誰に強制されることもなく礼儀正しく振る舞っている。
 だが他方では、日本は常に自国を卑下している。
 自国にほとんど誇りをもてないように見えるし、世界の中で自国の地位に確信がもてず、自国について語るときは控えめな言葉を使い、海外では否定的に描かれていることが多い。

 世界に緊張のタネがきわめて多いが、日本には民族、宗教、階級の違いで社会対立の大きな源泉になるものは特にない。
 ほぼどの指数でみても、経済と社会は異例なほど健全だ。
 したがって、日本人が自国にそれほど誇りをもっていない点が、ますます不思議に思えてくる。
 21世紀に日本が直面している問題のうち最も深刻な点は、この「自信のなさ」、特に「若者の無気力」だともいえる。
 日本人はいつも「将来を悲観的に、現状を否定的」に見ており、事実を客観的に分析すれば根拠のないことがハッキリしていても、こうした見方が根強いのが確かな現実である。

 他国の人たちは逆に、外国人の前で自国を批判したり、他人の前で身内を批判したりするのをためらうのが普通であり、たいていは自慢したがるものd。
 日本人はこういう自慢が不得意だ。

 日本は「経済と社会が成熟した国」である。
 経済の成長の時代は終わった。
 現在の産業構造と人口構造からそういえる。
 1960年代や1970年代のような高成長が長期にわたって続く状況には戻らない。

 そこで問題はこうだ。
 ここまで豊かな国で、「経済成長は必要なのだろうか
 現在予想されている通り、今後50年に日本の人口が20%減少するのであれば、その間に経済がまったく成長しなくても、一人当たりの平均所得は25%増加する計算になる。

 日本は今後100年に、生産量の拡大ではなく、生活の質の向上に集中できるだろうか。
 あるいは「経済成長へのこだわり」が強すぎて、他の道を考えることすらできず、まして追求するができないのだろうか。

 日本は第二次世界大戦で完全に敗北し、極端な貧困に苦しんだが、わずか50年ほどで経済大国になり、大きな富を築いた。
 これは過去に例をみない成功であり、貧困の桎梏から抜け出そうと苦闘している国が多い中で、詳しく検討に値する事例である。
 もちろん、ここまでの成功をもたらした要因はいくつもある。
 だが、真の原動力は「日本の民間企業」であった。

 日本経済が成功を収めたのは何よりも、「日本の文化に基づいて経営システムを築き上げた」ことによるものだ。
 この基盤をから離れる動きをとる際には、リスクが極めて高いことを覚悟しなければならない。

 日本はまったく唐突に経済の高成長時代、伸び盛りの十代にあたる時代から、経済と人口構成が成熟する時代にいこうしたのだ。
 高成長の時代に使われてきた政策と方法が突然、「逆効果」になった。
 経済の健全性を取り戻し、21世紀に前進を続けるには、企業と産業の「
再設計」が緊急に必要とされるようになった。

 時間はかかったが、大量の企業と人員を整理する方法を避け、日本のシステムの基本的な強みを維持しながら、必要な変革が進められてきた。
 「失われた十年」という言葉が不用意に使われることが少なくないが、1995年から2004年までの10年間をそのように表現することはできない。
 この言葉はまったく馬鹿げている。
 この10年は失われたどころか、実に活発に効果的に使われてきた。
 [停滞の十年」という言う人もいるが、とんでもないことだ。
 この10年は、日本企業が戦略と構造を再編する決定的な動きをとってきた時期であった。
 極めて重要な「
再設計の十年」であり、停滞していたどころか、緊急に必要だった新しい制度を次々に確立した10年であった。

 じつに興味深いことだが、日本企業がもっとも大きく変わったのは財務の分野であり、人事の分野、つまり会社全体の中での人間にかかわる部分は、変化が最も小さかった。
 人事に関する部分でも環境の変化に適応した変革の動きはあるが、文化のあきらかな制約の中での変革にとどまっている。

 変革ではなく、「
継続性」が主題になるのは、日本企業の仕組みのうち、「人間にかかわる部分」に注目したときである。
 これは当然である。
 他の経営システムと比較したときに日本の経営システムを特徴づけているのは、人間にかかわる部分であり、日本の企業文化は、この部分に基づいているからだ。
 日本企業はなによりも社会組織である。
 企業を構成する人間が経営システムの中心に位置している。
 会社で働く社員が利害関係者の中心である。
 会社という共同体を構成しているのは、社員なのだ。
 したがって、日本企業が社員との社会契約を守る姿勢を変えていないのは、驚くに値しない。
 「終身雇用制は終わった」という主張は過去にも常にあったし、今もある。
 だが、終身雇用制は終わってはいない。
 平均勤続年数は、経済が苦しかった過去何年かにもみじかくなっていない。
 逆に、着実に長期化しており、今でも長期化の動きが続いている。
 日本企業の経営システムは基本的な部分で「継続性」を維持しているのだ。

 日本ではほとんどの国と違って、企業の生命が極めて長い。
 日本で最もふるくからある会社は、そしておそらくは世界で最も古くからある企業は、飛鳥時代の西暦578年に創業した「金剛組」である。
 大阪に本社をおき、寺院建築を中心とする総合建設会社であり、金剛家によって40代にわたって経営されている。
 二番目に古い会社はおそらく奈良時代の西暦718年創業の「法師」であり、石川県の温泉旅館として46代にわたって経営されている。
 金剛組と法師は家業として受け継がれてきたものだが、上場企業のなかで、最も古くからあるのは和菓子の老舗の「駿河屋」であり、室町時代の1461年の創業というから、コロンブスがアメリカ大陸に向けて出発する以前から続いていることになる。

 歴史的にみても、日本経済は常にダイナミックに変化してきた。
 「再設計の10年」に起こった変化は、長年にわたって続いてきた変化に、新たな局面が加わったものにすぎない。
 高成長が長く続いたことから、日本はすべての産業で企業が多すぎる状況になり、統合が必要になった。
 そして、やはり高成長が長く続いたことから、企業は事業を極端に多角化してきた。
 この結果、日本の大企業の多くが悲惨な戦略的失敗に陥った。
 戦略の基本は「絞込み」である。
 資金と人材という資源には限りがある。
 一つの事業に絞込み、その事業で支配的地位を獲得した後、はじめて次ぎの事業に進出し、その事業で支配的な地位を獲得しなければならない。

 巨大な日本経済で、再設計の動きは程度の差こそあれ、ほぼすべての産業に影響を与えた。
 産業の構造のレベルでも、個々の企業のレベルでも、きわめて大きな変化があった。
 これだけ「大がかりな再設計」が徹底して行われ、大きな成功を収めたのは、日本の経営者から一般社員まで、いかに優秀な人材が揃っているかを示すものである。
 再設計は10年の時間を必要としたが、経済全体も個々の企業も、過去の成功を生み出し、今後の成功のために不可欠な強みを失うことなく達成できた。

 成功を収めている日本企業が売りに出されることはない。
 外国企業だから買収できないのではなく、日本企業でも買収できないのだ。
 だから、これは「参入障壁」ではない。
 日本の「経営慣行」である。
 日本は競争がはげしく、地価と人件費が高い。
 流通制度が複雑だ。
 人材を集めるのは容易ではない。
 したがって、外国企業は日本企業を買収できるが、ごく例外的な場合を除けば、経営不振に陥った企業しか買収できない。
 外資による日本企業の買収はおおむね失敗に終わっている。
 文化の違う国の企業を買収した場合には、成功率が最も低い。









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