
● 1999/02[1998/09]
『
歳をとって物忘れがだんだん増えてくるのは、自分にとって未知の新しい領域に踏み込んでいくわけで、けっこう盛り上がるものである。
人生に突入し、幼年域--少年域--青年域、と何とか通過しながら、中年域からいよいよ老年域にさしかかる。
そうすると、いままでにたいけんされなかった「老人力」というのが身についてくる。
それが次第にパワーアップしてくる。
がんがん老人力がついてきて、目の前にどんどん「物忘れ」があらわれてくる。
ボケの波は迫って来ている。
名前を思い出せない、用事を思い出せない、日にちを思い出せない、ということが日常化してくる。
長老(ぼくはこの仲間<路上観察学会>ではそう呼ばれている)をボケ老人と呼ぶのはちょっとマズイな、自分たちも無縁ではなくなってきているし、みんなどうせボケていくんだから、もっと良い言葉を考えよう。
ボケ老人というの何かダメなだけの人間みたいだけど、ボケも一つの新しい力なんだから、もっと積極的に、老人力、なんてどうだろう。
いいねえ、老人力。
「老人力」
ということになり、人類ははじめて、ボケを一つの力と認知することになったのである。
物忘れ・イズ・ビューテイフル。
もう何でも忘れてしもう。
覚えるのはやめよう。
老人力のパワー全開。
いくらでも忘れ放題。
老人力はエネルギーではあるけど。かなり複雑なエネルギーである。
簡単にそれを手にすることはできない。
命からがらたどり着いたフトンの上で、やっと手にいれることのできる秘密の力、とでもいうようなのが老人力というものだ。
刑務所にいったり、離婚したり、倒産したり、夜逃げしたり、糖尿病になったり、肝硬変になったり、立ち食いソバを食べたり、立ち小便を他人に見られたり、とにかくありとあらゆる苦労の末にやっと手に入れられるのが「老人」である。
あ、老人か、なるほど恰好いいなあとかいって、5万円払って老人になる、というわけにはいかないのである。
そういう貴重な得がたい老人力なんだけど、ひどくみんな嫌がられている。
みんな物を忘れたり、ヨボヨボするのが嫌いだからである。
みんな者を覚えたい、できるだけ情報をたくさん欲しい、と思っている。
老人力の特徴としては
〇 物を忘れる
〇 体力を弱める
〇 足どりをおぼつかなくさせる
〇 ヨダレを垂らす
〇 視力のソフトフォーカス、あるいは目の前の物の二重視
〇 物語の繰り返し
などいろいろあるのだが、それをみんなが’嫌がる。
とかく世間の風潮としては、
〇 物を覚えたい
〇 体力をつけたい
〇 足どりをしっかりしたい
〇 ヨダレを垂らさない
〇 視力ははっきり
〇 お話は簡潔に一度で
ということをモットーにしている。
いわゆる「プラス志向」ということだけど、プラスが全部プラスになるとは限らないのだ。
老人力はプラス志向などでは決してつかめないものである。
じゃ「マイナス志向」がいいかというと、これが難しい。
プラス志向のまま早とちりして、マイナスに向かったものは、そのまま人生のどん底に落ちてしまう。
これは「プラスの悲劇」といわれている。
』
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
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● 1994/12
『
オレの芸人としての生活が大きな曲がり角にきたことは確かだし、大袈裟にいえば、経済を含めた日本の社会も、おなじような角を曲っているのかもしれない。
偶然だけど、オレが時代のカナリアのような役を演じているって思うときがある。
団塊の世代とその前の世代が頑張って世界に胸をはれる経済を築き上げてきたことがあるんだけれども、それはかなり無理して作ったもんだから、オレたちの老後を、今の調子の経済のまんまで行こうっていうのは、そもそも無理だろう。
無理だとすると、自分たち団塊の世代生まれたときの貧乏だった頃の意識に戻るっていうか、そのスタートラインの感じで生きられれば幸せだ、と思えなければダメなんじゃないか。
例えば、今まで30万円のマンションに暮らしていたのが、老後を考えた時に10万円のマンションで暮らすような気力がないといけない。
そのためには、お金をかけなくてもいいような趣味を見つけるとかしないとね。
この先、60歳までなんとか働いたとしても、その時期に生活のレベルを落として、60歳から70歳までの10年間を遊んで暮らせるような生活レベルに落とすような努力をしないとヤバイかもしれないね、我々は。
だからサラリーマンの人が必要経費を使って、ワイワイ夜の街で騒いでいたとして、リタイアした時に、それと同じような生活レベルは決して出来ない、と覚悟していないとね。
若いときからそういうことを考えて努力して、金をもっているヤツはそれでもいいけど、のほほんとやっているヤツが、老後を今までと同じようなレベルで送ろって、そもそもそれは間違いだよね。
で、気がつくのは50歳からでもいいけど、50歳からの10年というのはシュミレーションだよね。
自分がリタイヤした後にどういう生活をするのかのシュミレーションを働きながらやっていって、生活レベルを落としていかなきゃしょうがないよ。
オレは月5万円のアパートでも大丈夫だってところがあるね。
寝られる場所さえあればいいって感じがする。
結局は、女房子どもとか家族のことを考えて、
「生活のレベルが低いと家族がかわいそうだ」
とか思っているんだろうが、まあ女房ってのは別だけど、本来、子どもってのは何もないとこから「成り上がっていく」ものだよ。
ある程度のレベルで子どもを育てると、それから下に落としたくないし、もしも落ちたときのショックってすごいでしょ。
人間は、自分が働いた分で食っていくのが基本だから、子どもは親の金で生きていくべきじゃない。
親は子どもに大したものを残すべきじゃないし、財産としてはごく一般的な教育っていうか、世間が大学まで出すから大学まで出してやったことで、いいんであってそれでじゅうぶんだよ。
しかし、こんなことを言っていられるいのも、オレが芸人として成功したからであって、まあまあの余裕があるからだ。
もし、オレが普通のサラリーマンで家族があるとしたら、長期入院でいつ仕事ができるか分からないって立場はとてつもなく辛いものだよ。
40代50代の事故や病気って、そういう危機になるね、確実に。
』
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
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● 1994/12
『
年寄り連中が食い物にこだわって、あれが食べたい、これが食べたいっていう気持ちがよくわかる。
「その楽しみしかなくなる」し、それだけを頼りにして、生きていけるんだ。
なんだね、余分な金はいらないけれど、歳をとったとき、食いたいものを食えるだけの金を用意しておかないと、まずいかもしれない。
ガキみたいなことを言うけどさ、
「人生ってなんだろう」
て感じるね。
そして、「なんの意味もない」ってことがよくわかる。
事故のまんま死んでいれば、日々に疎くなっていく、間違いなくね。
いや、非難しているんじゃなくて、人間ってそいうもんだから’。
死んだヤツにいちいちこだわり続けていたら、ニッチもサッチもいかなくなるぜ。
しかも、死なずに済んで、こうやってベッドに寝ながらあれこれ考えていて、今までの人生、何が楽しくて、何は大切で、何に執着してきたのか、まるで分からない。
あってもなくてもよかったものばかり、そんな気持ちになってしまう。
どれもがゴミと泡みたいなもんんだよ。
人生、何ものこらないな。
いろいろ忙しくやってきたけど、単なる人生の騒ぎに乗っかって、乗っけられてきただけのような気がするの。
ちょっとは立ち止まって、考えないと、まずいよな。
どうもね、妙な感覚なんだけど、瞬間瞬間に世界が生まれていて、前の瞬間の世界と、次の瞬間の世界とは、必ずしも繋がっていない、瞬間瞬間に別々の方向に世界が続いているんじゃないかって思うことがあるんだ。
瞬間瞬間に泡のように無限に世界が生まれている。
それをたまたま無意識で’選んで、結果、今の世界が目の前にあるってことのような気がする。
別の世界で、別のオレが何をやってるんだろう。
あれだね、人生ってのは、そういう瞬間の数珠つなぎのようなものなんじゃないかな。
『だからどうした』
と突っ込まれると、返す言葉はないんだけど。
まあ、そういう感覚ね。
この日の夜に見舞ってくれた友人が、オレの話のメモを」残している。
「ガキみたいなこと言うけど、お釈迦様とかキリストの言葉をジックリ読んでみたいね。
オレの生きる目的っていうのは、つまるところ、どういう風に考えたらいいんだろう。
オレが生き残ったのも、あるいは死んでいたかもしれないのも、ほんの気まぐれで決められている。
それは否定しようがないよね。
そういう「アッケなさの上にある人生」ってやつに、本質的な意味を求めていいもんだろうか、って思うんだ。
飯を食って寝て、一日が終わり、そうして寿命が尽きるまで、ただやり過ごす、動物のような生き方が本質なのかもしれない。
病人として入院しているのが、芝居の役をやっているだけだって感じがしてさ。
どうも、リアルなものに思えないんだ。
こんな体験したんだから、退院したら、今までとは違う生き方を少しはやりたいと思うけど、それが何であるのか分からない。
この先、日本ではどんどん年寄りが増えて、しかも長生きしたいっていう連中ばかりでさ。
そんな「長生き自慢の動物」があふれかえったらどうしようもないよ。
自分の健康に、異常に気を使っているヤツが多くてさ、どうして、もっと
「死ぬことを考えないのだろう」。
右上がり神話は崩壊したっていうのに、
「寿命だけは右上がりだと信じているヤツ」
がいっぱいいる。
』
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
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● 1994/12
『
今度の事故は、「変えろ」っていうお告げだよ。
オレからすべてが発していることなんだから、自分でケツを拭いていくしか方法がない。
お医者さんの判断を頼りに、オレの生活を変えてはいけない。
オレの勘でいくしかない。
そうやって、結果がダメだったら、「オレがそれだけのヤツだったってこと」さ。
もうね、オレ変わらないといけないんだ。
オレはあの事故で死んだって不思議じゃないんだ。
死んでいたと考えれば、この先、オレのやり方で通せばいいってことだね。
他人のいう通りにやったら、お終い(おしまい)ってことだ。
他人の言うことを聞いてだめだったらどうにもならないよ。
やり過ぎだったんだから、いい潮時だよ。
だからさ、手術はもうやらない。
現代的な大病院を患者としてみると、医療システムがものすごいほどの検査道具のアンサンブルだってことがよくわかる。
素人の考えでいうと、ほとんどの病院の人たちは、人間の意志力とか精神力とかを、最初から全く相手にしてないんだよ。
検査による分析データとその解釈によって治療するという方法論が、実に徹底して、個人の顔が違うように異なるはずの個体差とか気持ちの部分は相手にされないんだ。
それはどこの病院でもおなじだろうが。
大病院に入ったら、その瞬間に、先生に自分の体を預けちゃっているんだよね。
「お願いします」
なんだよ。
その時点でもう負けている。
病気になった個人なんて、病院という制度の前にはえらく弱いものなんだ。
「これ手術しなくちゃいけない」
って医者から’言われたら、答えは、
「はい」
しかないんだよ。
看護婦さんから、
「偏食して肉類食べていないから、タンパク質の上がりが遅い」
って叱られても、
「オレは今までこれで生きてきたんだ。
病院が勧めるものなんか食わねえよ。
じょうだんじゃない、それで死ぬならそれで’かまわない」
ってワガママを言えばいい。
それで死んだとしてもしょうがないだろう。
病院の中でも、どっかに自分を出して、自分の色をつけないと駄目なんだよ。
「全部よろしくお願いします」
ってのは対極的なものだ。
これはオレの持論だけど、オレは自分の色を押し通すんだ。
だから、手術は嫌だっていったの。
確かに普通は、1%の可能性にでも賭けて、
「何をやってもいいから、治してくれ」
っていうももかもしれない。
そりゃあ、オレだって、あんまり腹が痛くて、腹を切れば治るってのなら頼むけど、オレの顔面麻痺は痛くないし、普通の生活するに何の問題もないんだ。
オレが納得すればいいだけの話だから。
手術を決めるってことは、医者の先生が決定権を持つってことになるわけで、そんなことまで医者に主導権もたれたら、オレが駄目になる。
運よく生き残ったこの先の人生、それをどう生きるかは自分の意志が決めるもので、手術をどうするかってことに、オレの精神力がかかっていると思ったんだ。
』
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
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● 1994/12
『
一番なさけなかったのは、尿道に管を突っ込まれて垂れ流し状態を続けたというのが、どうにもならない。
これ情けない。
自分の排泄物まで他人に管理されてしか生きられない、っていう事実に圧倒されたよ。
ほんとうにどうにもならないんだもも。
顔がどうなろうとも、とにかく「歩かせて欲しい」って言ったんだ。
二足歩行をはじめれば、他のことはどうにでもなるって思ったんだ。
野生というか人類が歩き始めた頃というか、要するに動物そのものに。
傷ついたライオンが餌にありつけず、結局ほかの動物に倒されて、その餌になっていくわけで、それが自然界の掟であって、例外はない。
オレもその例外じゃない。
人間の体はそういうもんだ。
死んだり身障者になったりしても、じつに自然なことじゃないか。
野生ってのはそういうことだ。
いまの時代、医療技術が発達しているから、オレも怪我ぐらいはちゃんと治してもらえるわけで、それはすごくありがたいことなんだけど、精神的にはとても辛いことだったね。
人間、歩けず動けずっていうことは決定的にピンチだよ。
カミさんに食い物を口に入れてもらったことあるけど、こんなことしていたら駄目だって、生理的に感じたね。
人の力でものを食わせてもらっているのは「動物じゃない」よ。
自分で生きるための糧を、自分の力で運べなくなったら終わりだよ。
自分で食って自分で排泄する、これが「動物としての人間」の条件だと思う。
動物としての人間が根本だとして、自分の力で食べて排泄して歩く、これが三大条件だ。
それが満たされないと、意識とか意志とかが、動き回る余地がない。
人間らしさがのっかている基盤が失われてしまうと思うね。
辛いといえば、点滴にはどうしても馴染めなかった。
薬も含めて栄養を点滴で入れているんだけど、これはどう考えても「人間的でない」んだよ。
点滴している姿って、動物として不完全なヤツってこと。
つまりさ、点滴しているってのは、それをしないで放っておくと死んでしまうぞ、ということと同じだ。
やっぱり、生命力が駄目になった動物は死んでいくべきだと思うね。
日本のような先進国の人間は、医学の力で死んで当然なところを生かしてもらえるわけだ。
どうもそのへんが納得できない。
傷ついたライオンに点滴してやって、
「お前はまだライオンだ」
と言ってやったって、それはもうライオンじゃないよ。
「寝たきりライオン」とか聞いたことないぜ。
いくら文化というクッションが人間を支えているにしろ、やっぱり自分で歩いてエサをあさるという基本形を忘れてしまうのは、人間でも辛いものがあるよ。
だけど、そういう強がり言っても、いずれは点滴様におすがりすることになるわけで、ほんとの最期は弱ったもんだと思うけど。
誰にでも、もうすぐ、そういう時期が来るんだから。
』
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
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● 1994/12
『
記者会見はさ、マスコミとしては、オレが瀕死状態で口がきけないぐらいで出てくるのを本当は期待しているんだ。
人間、やっぱり他人の不幸が楽しいんだ。
とにかく入院が長引いて、できれば容態が悪化して死んでくれないかって思っているに間違いないね。
そういう魂胆だよ、連中は。
「早くよくなって、普通の生活と仕事を初めてください」
なんて口では言うけどさ、お決まりの儀礼的な挨拶にすぎないよ。
関係ないヤツが死んだ時でも「ご愁傷さま」っていうのと同じ、その程度のことだよ。
容態悪化で危ないって記事の方が売れるんだから、絶対に。
それでメシを食って、生きているんだ。
そうやっていても、少しもバチは当たらない。
「他人の不幸を記事にするなんてことはしてはいけない」
なんてことを考えるヤツはいない。
他人の不幸を見て楽しんじゃってる、もっと不幸を見せてくれっていう部分があるよ。
それがいま生きている人たちの心の基本形じゃないかと思うね。
「ありがとうございました。皆様のご支援のおかげです」
といっている姿を見るよりは、
「たけしは廃人になってタレント生命が終わった」
という方を見たいわけだよ。
他人の不幸を見ることによって、いまの自分がどんな位置にいても慰められる。
他人の不幸を糧にして生きているヤツはいっぱいいるわけよ。
そう考えてくると、人間自体が出来損ない、だっていうことよ。
だからオレは共産主義は理想的宗教だと思っているけど、共産主義の考え方は間違いじゃないと思っているんだ。
問題は、そういう立派な道具を扱えないってことだよ、人間ていうヤツは。
「みんは平等で、みんなで働いて、なるだけ分かちあおう」
なんてことは、誰でも納得するじつに当たり前のことだよ。
しかし、それが自分のものにできないのが人間なんだよ。
オレはこの顔面麻痺を背負っていくしかないだろう。
この、ムンクの『叫び』のようになった顔で歩いていくしかないよ。
どうにかこうにか、ボロボロの縫いぐるみだった体に、オレがなじみ始めていることだし。
記 者:あの、今回、奥様がたいへん献身的な看病をされた
ようですけど。
たけし:ウーン、本当に、カミサンに今さら挨拶したってしょう
がないし。
記 者:お嬢さんも途中からお見舞いにきてたんですか?
たけし:子どもですか?
記 者:ええ。
たけし:子どもは一切寄せつけないから。
記 者:はあ、それは何かあってですか?
たけし:オレの教育方針だから。
オヤジはいない、と思えってのは。
別に、あの、自分の親もそうですけど‥‥。
記 者:あ、お母さんもお見えになってませんね?
たけし:え? ウチの?
記 者:あ、いらしたんですか?
たけし:ウチのおふくろ?
記 者:はい。
たけし:ウチのおふくろは2回くらい来た。
「死んじまえ」
と言う。
「世間様に対して申し訳がたつか」
って言われて。
「根性がありゃ死ね」
って言われたんだけど。
ウチの母親はすごい。
』
注).ということは、生きているビートたけしは「
根性なし」ということになってしまうのだが。
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
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● 1994/12
『
8月2日(1994)の未明って時刻にバイク事故を起こし、新宿の東京医大病院に救急車で運び込まれた時、意識はなかった。
すぐに集中治療室に入れられて、検査とか投薬とかを次々にほどこされているときも、まるで意識はなかった。
両手と胸、腹をベッドにくくり付けられ、身動き一つできない状態が2日ほど続いた。
その間も意識は戻らなかった。
時々、うめいたり、うわ言のようなことや会話の切れ端を言っていたようだが、ほとんどは眠り続けていた。
集中治療室には8月9日までのほぼ1週間いて、世話をしてくれた人たちの言うには、入院3日目からはそれなりの会話をかわしていたようだが、いまとなってはまるで覚えていない。
目を覚ましている時、条件反射のように受け答えはしていても、ちゃんとした意識はなかったのだと思う。
ことの次第をそれなりに意識して、意味ある話ができるようになったのは一般病棟に移ってからのことだ。
最初の1週間は夢の中にいたようなものだ。
夢を見ていたんだと思う。
どんな夢かというと、自分で初めて運転したバイクがガードレールにガーンとぶつかって、宙を飛んだからだが道路に叩きつけられ、そのまま魂が抜けてしまって、グンニャリと死体みたいになったのが、ポンと転がっている。
それがビートたけしって男の縫いぐるみだった。
中身が抜けてヨレヨレになった縫いぐるみは、やけに軽くて片手で簡単に持ち上げれれる。
「 なんだ、これ。
ああ、顔がズタズタになっちゃってる。
頭がへこんでじゃってるじやないか」
それで、縫いぐるみを持ったまま、ちょっと考えたんだ。
「 ああ、こんな縫いぐるみを着て、この先、まだ生きていかなくちゃいけないのかな。
これを着るのかどうか、決めないといけないのか」
ってね。
どういう筋道かわからないけど、
「 まあ、しょうがないから、それはそれで着ていこうか」
って気持ちになっていた。
そういうふうにして夢から覚め、面会謝絶の病室で点滴の栄養と薬で支えられながら、一歩も歩けないクズのような体を相手にする生活が始まった。』
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
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