2009年12月29日火曜日

:耐える男の失敗


● 2008/12


 告白するが、わたしは教えるのが苦手だ。
 犬に「お手」を教えることだってできたたためしがない。
 犬だけではない。
 何人かの人間に試してみたが、やはり「お手」を教えることができなかった。

 結婚後も、妻に「妻のあり方」を教えることに失敗した。
 夫への尊敬心を教えようともしたが、
 「尊敬される夫になれ」
 と、言われただけだ。
 いま思うと、そういうことを教えようとしていたころは、まだ希望に燃えていた。
 最近は妻に「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利が憲法で保障されている」と説いているが、「憲法で保障されているなら安心よね」と言われただけだった。
 今後は、児童虐待防止法を持ち出し、動物愛護法に訴えるつもりだが、見通しは暗い。

 今こそ妻に説教するときだ。
 こんなチャンスは生涯に一度あるかどうかだ。
「人間、忍耐が大切だ。
 古今の偉人を見てみろ。
 忍耐しないでエラくなった人はいないんだ」
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「わたしは何かを決めるときは、まず<我慢できないか?>と自問する。
 しかし、お前は何をするにも<我慢する>という選択肢を考慮だにしない。
 わたしは我慢できることは何でも我慢しているんだ。
 お前に足りないのは忍耐心だ」
 こう諭すと、妻が言った。
「ヘー、そんなに我慢強いとは知らなかった。
 あなたがエラくないのは、忍耐が足りないからだと思っていた」
「冗談言っちゃ困る。
 わたしは耐えに耐えているけど、エラくなれないだけなんだ。
 世の中、耐えてもエラくならないこともある。
 わたしの場合は、エラくないことにも耐えているから、ただエラいだけの人よりも忍耐力が強いんだ」
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「本の整理はどうなったの?
 いつも<体調が悪い>とか言ってやらないじゃないの。
 忍耐強いのなら、体調が悪いくらい耐えられるでしょう」
「わたしだって、すっきり整理されている方がずっと気分がいい。
 でも、わたしはあえてこの乱雑さに耐えているんだ。
 お前が小言をいうのは分かっているけど、あえて小言にも耐えているんだ。
 むろん、体調の悪いことにも耐えている」
「結局、ただの自堕落なだけじゃないの」
「自分の自堕落なところにも耐えているんだ」

 自分がどんな失敗をしたかは後にならないと分からないのだから、速断は禁物だ。
 成功か失敗かも後になってみないと分からない。
 結婚に失敗したと思っても、死に際になって、実は成功だったというということがわかる可能性も、想像を絶しているが、皆無ではない。
 しかし、それを一般化して、
 「人生の成功失敗は、死ぬ間際にならないと分からない」
 と言えるだろうか。
 「言えない」
 と、わたしは思う。
 「人生」全体には成功も失敗もない、と思うからだ。

 成功・失敗は、何らかの目標に照らして決まることだ。
 的がなければ当たりも外れもないのと同じである。
 人生には「目標達成」以外に多くの面がある。
 たとえば日曜日の朝、テレビを見て外出し、公園に行ってのんびり散歩して、ベンチで昼寝し、その後、喫茶店で論文とミステリを読んで帰宅した場合、
 この日曜日は成功だったのか、失敗だったのか
 この問いに意味があるだろうか。

 そう思いながら帰宅する。
 と、妻が激しい剣幕で
「今日は本棚を整理するといっていたでしょっ」
 と言った。
 日曜日は、明らかに失敗だった








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