2009年12月2日水曜日
ブラウン監獄の四季:井上ひさし
● 1977/03[1977/02]
『
巷談俗説によるNHK論
ぼくは24歳の秋から38歳の春まで、主にNHKの仕事をして口を糊してきた。
また昨夏から昨秋にかけては、「NHK基本問題調査委員会」の構成員のひとりでもあったため、この放送局についてはかなり関心を抱いている。
ぼくの私的な調査によれば、テレビに番組を提供したり、コマーシャル・メッセージを流したりしている会社は、平均2%から4%のテレビ宣伝費を商品の値段に含めているようだ。
さる高級化粧品会社の重役からこっそり耳打ちされたところでは、化粧品の場合は商品値段の1割近い額がテレビ宣伝の方へさかれているという。
だが、もしここに次の如き別のタイプの人間がいたらどうなるか。
彼は、米、麦、魚、肉、野菜などの基本的な生活資材のみで暮らしている。
(
これらの、人間が生きていくにために欠かせないヒナモノは、ぜったいにCMの時間には登場しない。
これはたいへん重要な事実である。
つまり、テレビを宣伝媒体としている商品は、われわれの生活に必ずしも欠かせないモノではない。
いやむしろ、なくてもすむような商品ばかりが、民放のテレビに番組を提供している。
といってもいいだろう。
)
朝、ヒゲを剃るときは彼はジレットは使わない。
どこかで手にいれた小刀式のカミソリを用いている。
剃ったあとに「ブラバス」など塗らない。
真水で軽く顔を洗うだけである。
食事もテレビで宣伝している類は一切しりぞける。
そんな人間がいるものか、とおっしゃる読者もあるだろうが、実は大勢いるのだ。
だいたい、かく言うぼくがこのタイプである。
「国民のNHK」、これを日本放送協会は好んで口に出すが、これはたわごとである。
だいたい国民などというものは存在しない。
顔も背も考え方もそれぞれにちがう1億1千万人の人間がいるだけである。
大は天皇制についての考え方から、小は山口百恵がいいか桜田淳子がいいかとという考え方までそれぞれに違う。
それを「国民」などとひとまとめにくくってしまう神経は雑である。
せめて
「政府と自民党と、それを支えけしかけ励ます財界官界のためのNHK」
と言ってくれればまだ正直でよろしいが。
いまの日本放送協会は、説明の要もあるまいが、少数派の、言ってみれば日本の支配階級の私有物である。
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だらだらと巷談俗説をあげつらってきたけど、ぼくはテレビも見世物である以上は、
「お代は見てのお帰り」
という考え方に立って、あれこれの判断をくだすべきである、と考えている。
《視聴者のためのNHK》
《全国民放送》
と言いたいのであれば、どうかそのような番組を見せてもらいたい。
なるほどそうだ、と思えれば代金(受信料)はきちんと払おう。
そして、
《NHKはたしかに、われわれのために番組を作っている。
すくなくともその努力はしているようだ》
と考えた者が、NHKと受信契約を結び、その人たちがこの局の出費を負担すればよろしい。
このために、まず、テレビ受像機を改造しなくてはならぬ。
A型は「NHKも民放も受信できるもの」
B型は「民放しか受信できないもの」
という具合に。
そしてA型テレビの価格の中には、5年間のNHK受信料を加算してしまう。
NHKはみたくないという人はB型にすればよろしい。
突飛なようだが、NHKが生まれ変わるには、こういった方法しかないと思われる。
この方法をとったら、A型テレビを買う人は少なく、NHKがたちゆかぬ、ということになれば、それはそれで仕方がない。
そういう放送局なら、一時も早くなくなるのがいいのだ。
ぼくはA型テレビを買う部類だろう。
さる人が、「いったい、NHKの番組に、観るに値するものがあるかね」と聞いてきた。
この局にも少しはいい番組もあるのだ。
番組の好き嫌いは各人の好みによる。
ある番組がなぜいいかは私の「偏見」が決めるのだ。
アタリマエだが。
まず、放送終了前の「天気予報」番組のフィルムと音楽がいい。
あのフィルムを眺め、あの音楽を聴いていると、なんとなく「ああ、これで一日おわったわい」と思う。
つぎに「新日本紀行」のテーマ音楽がよい。
「おれも、やっぱり日本人だわなあ」という気分になる。
いつだったか、夏の終わりの夜、山形のイナカの縁先でエダマメを噛みながらこのテーマを聞いたときは、心の底からしみじみとなり、思わず涙がこぼれたものだ。
「日本史探訪」はおもしろい。
選挙のときのNHKはじつにおもしろい。
これは選挙そのものがおもしろいのあって、NHKがおもしろいわけではないが。
』
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
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