2009年11月11日水曜日

:武士道の源


● 2004/01[2003/09]



 武士道とは、武士の守るべき掟として求められ、あるいは教育された道徳的原理である。
 それは成文法ではない。
 せいぜいのところ口伝で受け継がれたものか、著名な武士や学者の筆から生まれた、いくつかの格言によって成り立っていることが多い。
 いや、それはむしろ不言不文の語られざる掟、書かられざる掟であったというべきであろう。
 それだけに武士道は、いっそうサムライの心の肉襞に刻み込まれ、強力な行動規範としての拘束力を持ったのである。

 また、武士道は、いかに有能な武士であったとしても、その人、一人の頭脳が創造したものでもない。
 あるいは特定の立派な武士の生涯を基にするものでもない。
 それは数十年、数百年もの長きにわたる日本の歴史の中で、武士の生き方として自発的に醸成され、発展を遂げたものなのである。

 武家や武士(戦う騎士)は特権階級であって、元来は戦闘を職業とした猛々しい素性だったに違いない。
 この階級は、長い年月にわたって続けられた戦乱の世にあって、もっとも勇敢で、もっとも冒険的な者の間から自然に選びぬかれ、臆病者や弱い者は捨てられていった。
 やがて彼らは支配階級の一員として、身に付ける名誉と特権が大きくなるに従い、それに伴う責任や義務も重たくなってきた。
 それと同時に、彼らは行動様式についての共通の規範というものが必要になってきた。
 年を重ねるに従い生活範囲が広がり、人間関係が多方面にわたってくると、当初の信念はそれ自身を正当化し、満足させ、発展させるために、より高き権威や合理的な支持を求めるようになる。
 もし、武士が殺し合いの軍事的なものだけに頼り、より高き道徳的な拘束力なしに生きたとするならば、武士の生活の中に、武士道なる崇高な「道徳律」は生まれなかったであろう。

 まず仏教から論じよう。
 仏教は武士道に運命を穏やかに受け入れ、運命に静かに従う心を与えた。
 それは危難や惨禍に際して、生に執着せず、死と親しむことであった。
 「禅」とはデイアーナ(Dhyana)の日本語訳であり、それは
 「言語による表現を範囲を超えた思想の領域へ、迷走をもって到達しようとする人間の努力を意味する」(ラフカデイオ・ハーン「異国的なものと回顧的なもの」より)。
 その方法は座禅と瞑想であり、その目的は私の理解する限りでいえば、あらゆる現象の根底にある原理について、究極においては「絶対」そのものを悟り、その「絶対」と自分を調和させることである。
 このように定義すれば、その教えは一宗派の教義を超えている。
 この「絶対」を認識し得た者は誰でも、世俗的なことを超越して「新しき天地」を自覚することができる。

 仏教が武士道に与えられなかったものは、神道がそれを十分に補った。
 忠誠、尊敬、孝心などの考え方は神道の教義によって武士道へ伝えられた。
 それによってサムライの傲慢な性質に忍耐心や謙譲心が植えつけられた。
 神道の理論にはキリスト教でいうところの「原罪」という教義はない。
 むしろ逆に、人間の魂の生来の善良さと、神にも似た純粋さを信じ、「
」を神の意志が宿る「至聖所」として崇めている。
 神社にはその礼拝物がきわめて少ない。
 奥殿に掲げられている「
一枚の鏡」だけが主要なものである。
 なぜ鏡だけなのか。
 すなわち、鏡は人間の心を表している。
 心が完全に平静で澄んでいれば、そこに「神」の姿を見ることができる。
 古代ギリシャのデルフォイの神託、「汝自身を知れ」に通じるものがある。
 国民の崇敬と民族的感情の枠組みとなっている神道は、体系的な哲学や合理的な教義を装うようなことは決してない。
 神道は信者に、何の信仰上の約束も命じない。
 直截で単純な「行為の基準」を与えたにすぎない。

 武士道は、道徳的な教義に関しては、孔子の教えがもっとも豊かな源泉となった。
 君臣、親子、夫婦、長幼、朋友についての「五倫」は、日本人の民族的本能が認めていたもので、中国からもたらされた儒教の書物は、それを確認したにすぎなかった。
 冷静で穏和な、しかも世故にたけた孔子の政治道徳の教えは、支配階級のサムライにとっては、とりわけ相応しいものであった。
 孔子の貴族的で保守的な教訓は、武士階級の要求に、著しく適合した。
 儒教では人間と宇宙はひとしく精神的かつ道徳的なものであるとされた。







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2009年11月10日火曜日

武士道:武士道とは:新渡戸稲造


● 2004/01[2003/09]



第一版の序文
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 十年ほど前、ベルギーの著名な法学者ド・ヴレー氏の家に招かれ、歓待をうけて数日を過ごしていたときのこと。
 ある日の散歩の途中で、宗教の話題が出た。
 「日本の学校では宗教教育がない、とおっしゃるのですか」
 と、この尊敬すべき教授が尋ねられた。
 私が「ありません」と返事すると、教授は驚いて、突然立ち止まり、ビックリするような声で再度問われた。
 「宗教教育がない!
 それでは、あなた方はどのようにして道徳教育を授けるのですか」
 私はその質問に愕然とし、すぐに答えることができなかった。
 なぜなら、私は子どものころ学んだ人の倫(みち)たる道徳の教えは、学校で習ったものではなかったからである。
 そこで、私は善悪や正義の観念を形成しているさまざまな要素を分析してみて初めて、そのような観念を吹き込んだものは「武士道」だったとことに気づいたのである。

 この小著を著すにいたった直接の理由は、私の妻から、なぜこのような思想や道徳習慣が日本でいきわたっているのか、という質問を何度も受けたからである。
 ド・ヴレー氏や私の妻に、納得のいく答えをしようと考えているうちに、私は「封建制と武士道」が解らなくては、現在に日本の道徳観念はまるで封をした"巻物"と同じことだとわかったのである。
 そこで私の長い闘病生活期間を利用して、家庭内で交わした会話の中で得られたいくつかの回答を、ここで整理して読者に述べることにする。
 それらは主として封建制度がまだ盛んであった若い頃に、私が教えられ伝えられたことである。
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 1899年12月 ペンシルバニア州マルヴァーンにて 新渡戸稲造




 武士道は、いまなお力と美の対象として、私たちの心の中に生きている。
 たとえ具体的な形はとらなくとも、道徳的な薫りをまわりに漂わせ、私たちをいまなを惹きつけ、強い影響下にあることを教えてくれる。
 武士道を生み、そして育てた、社会的状態が失われてからすでに久しいが、あの遥かな遠い星が、かって存在し、いつまでも地上に光を降り注いでいるように、封建制の所産である武士道の光は、その母体である封建制度よりも長く生き延びて、この国の人の倫(みち)のありようを照らしつづけている。

 ヨーロッパと日本の封建制や騎士道と武士道の歴史的な比較研究は、大変魅力的なものであるが、それを詳述するのが本書の目的ではない。
 私が試みようとするものは、
 まず第一にわが国の武士道の起源と源流であり、
 第二にその特性や教訓、
 第三はそれらの民衆におよぼした影響、
 第四はその影響と継続性、永続性
について述べるところにある。
 第一については簡単にすませよう。
 さもないと日本の歴史の入り組んだ小径に入り込んでしまうからである。
 第二の点はやや詳細に論じる。
 国債的な倫理道徳学者や比較行動学の研究者たちが、わが国の思想や行動様式についてもっとも興味を引きそうだからである。
 その他(注:第三、第四の点)は付随的に扱うものとする。

 私がおおざっぱに武士道(シバルリー:chivalry)と訳した言葉は、言語の日本語では騎士道よりも、もっと多くの意味合いを含んでいる。
 「ブシドウ」は字義的には「武士道」である。
 すなわち、武士階級がその職業および日常生活において「守るべき道」を意味する。
 一言で言えば「武士の掟」、すなわち「高き身分に伴う義務:ノーブレス・オブリージュ」のことである。
 このように文字上の意味を確認したうえで、私はこれ以降、武士道[Bushido]なる日本語を使わさせていただくことにする。

 原語を使うことは次の理由からも望ましい。
 つまり、これほど限定的で独特な、しかも独自の気風や性格を生んだわが国固有の教訓は、それとわかりうる特徴的なしるしを全面に帯びていなければならないからだ。
 加えて民族的な特性を持つある種の言葉は、国民的音色を持つものであって、たとえ最高の翻訳者であっても、その言葉の真意を正しく伝えることは至難の技なのである。





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2009年11月7日土曜日

勇魚(いさな):C・W・ニコル



● 1987/04



訳者あとがき

 C・W・ニコル、フルネームをクライブ・ウイリアムス・ニコルといい、本人は「ぼく」という。
 日本語の達者な外国人は、たいてい「わたくし」とか「わたし」というが、彼の「ぼく」は、もことに彼の人となりによく似合う。
 四畳半人間の想像などおよびもつかぬ経験を積み、修羅場をくぐってきた地球人間、もとより多数の側面をもつだろうが、まだ日の浅い付き合いで得た印象と実感をひとことで言えば、誠実と無邪気、これに尽きる。
 翻訳上の疑義百出したじゃら、宿で大セッションを行いたいむね前もって連絡しておいたら、大きなバッグに資料をいっぱい詰めてきて、8年前太地で1年間の取材生活をしたときの、びっしり書き込まれた古びたノートをつぎつぎ取り出した。
 わからなくて苦労した個所が、じつは彼の日本語固有名詞の聞き違いのせいだとわかると、「ごめん、ごめん」と、大きな肩をせいいっぱい小さくして、しきりに恐縮していた。

 「ニックの顔は、そのとき語っている動物の表情をおびる」
 とは、編集者の言である。

 わたしは「勇魚(いさな)」という言葉を恥ずかしながら知らなかった。
 音(おん)からして<漁魚>の表記が頭に浮かび、小さな魚かと思ったが、鯨(いさ)ともいい、鯨の古称だという。
 <鯨魚(いさな)取り>で、海、浜、灘の枕詞になり、万葉集にも
 「鯨魚(いさな)取り海や死(しに)する 死ぬれこそ海は潮干(しおひ)て山は枯(かれ)すれ」
 など12首が見えるそうである。
 原題も最初は”Isana”だったのだが、英語版のエデイターの意見で”Harpoon”(銛)に変わった由、まあしかたないかもしれない。

 鯨の巨大さというのは、正直、ニックの筆をもってしても、捕鯨絵巻をもってしても、なかなか実感しにくかったが、太地の<くじら博物館>に、実物大の張子が吊るされていて、だいぶ理解に近づいた。
 体長何メートルなどといわれてもだめなのだ。
 鯨体の大きさを得心させるものは、あの胴回りなのだとわかった。
 いくら遊泳中、水上に姿を見せても、潮をふいても、巨体の十分の九、いや、おそらくそれ以上が水面下なのだから、一般人に胴の太さはぴんとこむ道理である。


















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●).反捕鯨の論理をいくら読んでみても科学的に納得できる論拠が見当たらない。
 つまり、
 「オレたちは獲り終わった、だからオマエたちは獲るな
 と言っているだけ。
 クジラは彼らにとって「ペット」なのだ。
 鎖のついていない「海のペット」なのだ。
 どの家でも飼っている犬・ネコと同じなのだ。
 一軒家に住んでいて犬を飼っていないとこう言われる。
 「なぜ、イヌを飼わないのだ」
 大きなお世話だ。
 そして、このペットのために、1年間に日本第二の都市、横浜に匹敵するカンガルーを殺している。
 約350万頭。
 なんで殺す?
 家で飼うペットに喰わせるため。
 ドッグフード・キャットフードの原料なのである。
 犬猫はかわいい。
 カンガルーはそのエサである。
 だから殺してもいい。
 でも犬猫は殺してはいけない。
 なぜなら、「ペットだから」。
 アングロサクソンの論理など勝手なもの。
 自分でルールを作って、それを無理やり他人に押しつける。
 動物愛護の思想などこれぽっちもない。
 口先だけの動物愛護。
 この10年で殺されたカンガルーの数は約4,500万頭。
 この国の人口、2,200万人。
 たったの10年で、なんと国家人口の2倍の数のカンガルーを殺している。
 充満する「動物虐殺論理」。
 あるのは「ペット主義」。

 「クジラを殺すな」と言っているのではない。
 「ペットを殺すな」なのだ。
 「動物愛護」を掲げているわけではない。
 「ペット愛護」を拡声しているのだ。
 「グリーンピース」ではない。
 「ペットピース」なのだ。
 そんなものに左右されることはない。
 


[◇◆◇]


そのほか - 2009年12月02日
NT、害獣ラクダ駆除計画に思わぬ反対
http://www.25today.com/news/2009/12/nt_16.php
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 イギリスを初め、海外から非難
 NTの奥地では野生化したラクダが猛烈に繁殖しており、住民の生活に支障が出ているため、NT政府が$49,000を出資し、6,000頭のラクダを緊急駆除すると発表した。
 しかし、先週そのニュースが発表されると、イギリスで猛反対が起き、あるオンライン・ディスカッション・サイトではオーストラリアを第三世界と呼び、他のヨーロッパ諸国の国民にオーストラリア観光をボイコットするよう呼びかけている。
 アリス・スプリングスから500km南西のドッカー・リバーの集落では、夜になると何千頭ものラクダが町を我が物顔に荒らしまわり、水ほしさに水道栓を壊し、町の住民を震え上がらせている。
 また、群れに踏み潰されたラクダの死体が町内で腐敗し始めており、町の飲料水に利用されている地下水を汚染する可能性もあり、衛生問題にもなっている。
 イギリスではタイムズ・オンラインがこの事件を報道し、それ以来、NT政府のロブ・ナイト自治大臣のもとには世界中から嫌がらせや脅迫のメールが舞い込み、タイムズ・オンラインには読者の書き込みが続いている。
 ブロガー達は、$49,000でラクダ用の水飲み場を作れ、人間と共棲する動物に敬意を払え、オーストラリアはG20加盟の価値がない、オーストラリア人は喧嘩腰だ、オーストラリアは世界最悪の土地だから行くな、オーストラリアは第三世界で、生活水準はヨーロッパの最貧国より低いなどのコメント、ドイツからは、ショックを受けると同時に腹が立った、わずか350人の人間のために6,000頭の何の罪もない柔和な生き物が殺されるのか、ラクダにも、人間と同じように神が創った太陽の下で神の創った水を飲む権利があるはずだなどのコメント、さらにアメリカではテレビのトーク・ショー・ホストがケビン・ラッド首相を、「連続殺人犯」と呼び、ラクダ駆除を「ジェノサイド」と呼んだ。
 オーストラリア国内では、現在、野生化したラクダが100万頭いると推定され、8年から10年ごとに頭数が倍になっている。
 政府は、大陸中央部の野生ラクダの数を減らすため、「Feral Camel Action Plan(野生化ラクダ駆除活動計画)」草案を発表、一般からの意見を募っている。(AAP)


 ガンバレ、世界人民
 「Feral Camel Action Plan(野生化ラクダ駆除活動計画)」ハンターイ!
 グリンピースよ、立ち上がれ!
 たったの一頭でも、ラクダを殺すな!
 ラクダ一頭は、クジラ一頭だ!



国際 - 2009年12月13日
「調査捕鯨変更なし」と鳩山政権
http://www.25today.com/news/2009/12/post_4055.php
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「国際司法措置に訴える」とラッド首相
 12月10日、日本の鳩山由紀夫民主党政権が、「従来の科学調査捕鯨を停止する考えはない」と発表したことを受け、ケビン・ラッド連邦首相が、「日本が捕鯨活動を停止しなければ、わが国は法的措置に訴える」と声明を発表した。
 これに対して、緑の党のレイチェル・シーワート連邦上院議員が、「法的措置に訴えるという政府の威嚇はお笑いだ。
 いった、どれだけ鯨が死ねば、政府は日本に対してほんとうに法的措置に訴える決心をするのか。 ラッド政権は2年続けてその威嚇を使ってきたし、その前には保守政権が使っていた。今や、国民は誰も政府が本気だとは考えていない」と発言した。
 さらに、「ラッド首相は、今季もオーストラリアの船で捕鯨監視をする意図がないことを明らかにしている。
 わが国政府と日本政府の間の交渉はまったく何の成果も生んでおらず、日本の捕鯨船が間もなく南氷洋にやってくる。
 ラッド首相は、12月15日に日本の首相と会見する際に捕鯨問題も話し合うべきだ。
 それで解決しなければ、今度こそ本気で国際裁判所に提訴すべきだ」と語り、続けて、「今季、日本捕鯨船団は、1,000頭近いミンク・クジラと50頭のナガス・クジラ捕鯨を予定している。
 捕鯨を阻止するのは今季もシー・シェパードだけということになるだろう」と語った。(AAP)





国際 - 2009年12月14日
http://www.25today.com/news/2009/12/post_4059.php
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「国際訴訟は国益に反する」とスミス外相
 (12月12日、緑の党のレイチェル・シーワート連邦上院議員が、日本の調査捕鯨に対する即時国際司法裁判所提訴を連邦政府に要求した)。
 これに対して、12月14日、WA州パースを訪れていたスティーブン・スミス外相は、「オーストラリア政府が、南氷洋での日本の捕鯨を国際司法裁判所に提訴するのはあらゆる外交手段が尽きた時の最後の手段」と語った。
 また、捕鯨問題は、12月15日に訪日するケビン・ラッドが鳩山由紀夫首相と会談する際に否応なく話題に上るだろうとしている。
 スミス外相はさらに、「これまでのところ、外交を通じた話し合いでは、日本の科学調査捕鯨プログラムを停止させるところまで行っていないが、対話を続けることがオーストラリアの最大の利益になるはずだ。
 私の同僚(環境大臣)のピーター・ギャレット氏も、環境省職員も、国際捕鯨委員会(IWC)を通じて積極的に働きかけており、オーストラリア政府は日本に対して、外交的に問題を解決するよう圧力をかけ続けている」と語った。
 ギャレット氏、ケビン・ラッド連邦首相、それに私も明らかにしている通り、外交で万策尽きた場合にのみ、国際司法裁判所か、国際海洋裁判所に提訴するつもりだ。
 外交的努力でかなりの作業を進めてきた。
 一方では日本との二国関係で捕鯨停止に向けた努力を行ったし、IWCでは多国間的な努力も続けている。
オーストラリアの国益を考えるなら、外交的手段で日本と交渉していかなければならないと考えているし、オーストラリアその他の国が日本と外交的努力で話し合っていくことが、南氷洋での日本の捕鯨停止への近道だと考えている」と語った。(AAP)


 科学的根拠が全くないのに、「国際司法裁判所か、国際海洋裁判所に提訴する」などできるものか。
 提訴するなら、説得力ある論理を展開しないといけない。
 「ペットがかわいい」論理だけで、誰が納得するか。
 提訴すれば門前払いか、あるいは受けつけてもらえても論拠がないから負けることは解っている。
 もし門前払いをくったり、負けたりしたら、捕鯨船がおおっぴらにやってくる。
 それだけではない。
 いかにこの国の「ペット主義」がみっともなくもくだらないか、世界の物笑いの種になってしまう。
 バカにされるだけ。
 それではヤバイ。
 だから、どうにかして提訴しないようにと、ズルズルと時間延ばしをやっているだけ。

 安心しろ。
 6,000頭のラクダをぶっ殺しても日本は****裁判所などに提訴しないから。


国際 - 2009年12月24日
http://www.25today.com/news/2009/12/post_4088.php
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日本の南氷洋調査捕鯨に
 南氷洋で日本の調査捕鯨船団と反捕鯨団体シー・シェパードが新戦術と新兵器を駆使して「捕鯨戦争(ボブ・ブラウン緑の党党首の言葉)」を演じている時、オーストラリア連邦政府は、再び、「日本が捕鯨を停止しなければ国際司法裁判所に訴える用意がある」と声明を出した。
 また、国際司法裁判所に提訴する場合、日本の調査捕鯨監視のため、南氷洋に監視船を派遣するとしている。
 日本の調査捕鯨船団は、今季の調査捕鯨割り当て頭数を、ミンククジラ935頭、ナガスクジラ20頭、ザトウクジラ50頭としており、連邦政府のピーター・ギャレット環境相は、日本の捕鯨を停止させるために外交努力を続けている。
 この努力で何の進展も見られなければオーストラリアは法的措置に訴えると語った。
 12月24日付ABCラジオに出演したギャレット大臣は、「捕鯨は相変わらず大きな懸案事項だ。
 国際司法裁判所に訴えるために必要なら、何年か前のように監視船を派遣する用意があることを明らかにしてきた」と語っている。
 一方、国際捕鯨委員会(IWC)の非難決議も受けている暴力派反捕鯨団体シー・シェパードのポール・ワトソン船長がセブン・ネットワークのインタビューに答え、「第二昭南丸は、2週間にわたって、われわれを捕鯨船団に近寄らせないようにハラスメントを行ってきた。
 船は給油のためホバートに戻らなければならないが、それが済めば船団捜索を続ける。
 毎年1月初めになるまで日本の捕鯨船団を見つけることは難しい。
 まだ、1週間の余裕がある。必ず、スティーブ・アーウィン号が船団を見つけ、割当量捕獲を妨害してみせる」と語った。(AAP)




国際 - 2009年12月24日
http://www.25today.com/news/2009/12/post_4088.php

日本の南氷洋調査捕鯨に
 南氷洋で日本の調査捕鯨船団と反捕鯨団体シー・シェパードが新戦術と新兵器を駆使して「捕鯨戦争(ボブ・ブラウン緑の党党首の言葉)」を演じている時、 オーストラリア連邦政府は、再び、「日本が捕鯨を停止しなければ国際司法裁判所に訴える用意がある」と声明を出した。

また、国際司法裁判所に提訴する場 合、日本の調査捕鯨監視のため、南氷洋に監視船を派遣するとしている。
 日本の調査捕鯨船団は、今季の調査捕鯨割り当て頭数を、ミンククジラ935頭、ナガスクジラ20頭、ザトウクジラ50頭としており、連邦政府のピー ター・ギャレット環境相は、日本の捕鯨を停止させるために外交努力を続けている。この努力で何の進展も見られなければオーストラリアは法的措置に訴えると 語った。
 12月24日付ABCラジオに出演したギャレット大臣は、「捕鯨は相変わらず大きな懸案事項だ。国際司法裁判所に訴えるために必要なら、何年か前のように監視船を派遣する用意があることを明らかにしてきた」と語っている。
 一方、国際捕鯨委員会(IWC)の非難決議も受けている暴力派反捕鯨団体シー・シェパードのポール・ワトソン船長がセブン・ネットワークのインタビュー に答え、「第二昭南丸は、2週間にわたって、われわれを捕鯨船団に近寄らせないようにハラスメントを行ってきた。船は給油のためホバートに戻らなければな らないが、それが済めば船団捜索を続ける。毎年1月初めになるまで日本の捕鯨船団を見つけることは難しい。まだ、1週間の余裕がある。必ず、スティーブ・ アーウィン号が船団を見つけ、割当量捕獲を妨害してみせる」と語った。(AAP)


 もったいつけずに、さっさと提訴しなさい。
 「国際司法裁判所」というところは、クジラの管理までするところか。
 もしそうならそのうち、ゴキブリの権利まで口出すことになる。
 バカにされるのがオチだ。



国際 - 2009年12月29日
http://www.25today.com/news/2009/12/post_4099.php
国際 - 2009年12月29日
「日本の捕鯨船団処罰を」
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野党保守連合環境スポークスマン
 12月29日、連邦議会野党保守連合の環境担当スポークスマン、グレッグ・ハント議員は、「日本は現在の捕鯨を科学調査捕鯨と主張できない。
 オーストラリアは、日本を国際司法裁判所に提訴すべきだ」と語った。
 今季の日本の科学調査捕鯨の捕鯨頭数割当はミンククジラ935頭、ナガスクジラ20頭、ザトウクジラ50頭となっている。
 先週、連邦政府のピーター・ギャレット環境相が、「日本の捕鯨を停止させるための外交努力は今も続いている。
 外交で何の進展もない場合には国際司法に訴えることも検討する」と語っている。
 ハント議員は、「政府は、オーストラリア領海での日本の捕鯨停止外交手続きを中止し、処罰すると何度も約束したが一度も行動していない。
 日本側が、捕鯨は食肉が目的で、科学調査ではないと認めたのだから、明らかに国際捕鯨会議(IWC)の決定に違反している」と反論している。
 12月初め、日本の岡田克也外務大臣が、ABCのインタビューに答えて、「鯨肉を食べるのは日本文化の重要な一部だ」と語り、捕鯨政策に変更はないと付け加えている。
 ハント議員は、「野党保守連合は、現在の段階でオーストラリアの政策を変更する必要はないと考える。
 日本が国際法に基づく義務に違反していることは明らかだから、オーストラリアの任務は、軍艦ではない船舶を派遣し、日本捕鯨の観察、証拠集め、監視、記録を行い、国際司法手続きを実行することだ。
 この壮大な(great)クジラを守るために現実的な手続きを取らなければならない」と語っている。(AAP)


 人の食い物にまで能書きをいうのか。
 「あれ食っちゃいけねえ」とか「これ食っちゃイケネエ」とか。
 まったく、己が食い物の好き嫌いで文句をつけるな。
 早く提訴しろ!




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2009年10月27日火曜日

:「日本最後の文人」ドナルド・キーン


● 1995/05



 Donald Keene の "On Familiar --- A Journey Across Cultures"(Kodansha International,1994)を一気に読んだ。
 これはドナルド・キーンの自伝である。
 日本文学と世界文学の交感の記録でもある。
 日本と世界が知性と感性によって結ばれてドラマといってよい。
 日本の精神が発見され、普遍化されていく20世紀の一つの精神史といってもよい。

 30年前に、中央公論社が80巻におよぶ『日本の文学』を刊行したとき、キーンは谷崎潤一郎、川端康成、大岡昇平、三島由紀夫らとともに7人の編者の一員として加わった。
 キーンを除き、いまはいずれも故人となった。
 これらの大作家たちとの交友のくだりは興味が尽きない。

 谷崎潤一郎の自宅に招かれた際、『『陰翳禮讚』で日本の伝統的な便所に美について講釈したこの大家の家のトイレはどうなのか、「何が何でも必要というわけではなかったが」トイレを借りたところ、「真っ白に光るタイルの便器だった」話。
 三島由紀夫の4部作『豊饒の海』という題名について、なぜそうしたのかというキーンの書面での質問に対して、三島は「この海は乾いた海なのです」と書いてよこした。
 三島はかってキーンに、切腹の際の介錯の練習をしていると話したことがある。
 能でも狂言でも日本では何事にも流派があるので、キーンは少しふざけて「何派のですか」と聞いたところ、三島はニコリともせずに「小笠原流です」と答えた。

 三島由紀夫も安部公房も、例えば『宴のあと』『サド侯爵婦人』、そして『棒になった男』『友達』のようなキーンの定訳(この言葉は英語からの翻訳なのだろうか。definitive translationのそれこそ「定訳」なのだろうか)によって、世界に広く知られるようになった。
 が、キーンによれば、どの翻訳も難行苦行の連続なのだという。
 かろうじて楽しいと感じつつ翻訳したのはわずかに2作、兼好法師の『徒然草』(Essays in Idleness)と太宰治の『斜陽』(The Setting Sun)で、この場合に限って「ほとんど自分の本を書いているような感じで翻訳した」。

 太平洋戦争中、キーンは海軍焼香として日本人捕虜の尋問に当たった。
 「生きて虜囚の辱めを受けず」という精神教育を施されていた捕虜たちに、キーンは日露戦争のとき、日本軍は捕虜になることを認めていた、という話をした。
 ハワイ大学図書館に言って、ロシア軍の捕虜となった日本兵士の話について記した本を見つけてきたのだ。
 そこでは、日本軍捕虜たちが「ウオッカの配給をお願いしたい」「スケート遊びを認めて欲しい」と陳情したなどというエピソードが書かれていた。
 これらの捕虜たちが戦後の日本の再建にとって重要な働きをするだろう、それを何とか手伝えないものかと念じての、いわば義侠心からだった。
 もっともこうした努力は「連中をなぐさめるより、かえって捕虜収容所の宙ぶらりん生活に適応するのを難しくしたかもしれないが」と、書き添えている。

 キーンはまことに日本最後の文人と呼ぶにふさわしい。
 学者にならなかったら、日本文学を生涯の伴侶としなかったら、おそらく京都の旅行ガイドになるくらいしかなかっただろう、と例によってへりくだってみせる。
 キーンの好きな言葉は芭蕉の
 「終(つい)に無能無才にして、この一筋につながる
である。
 この一筋の透明にして、まろやかな精神の糾(あざな)い。









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:毛沢東と鄧小平


● 1995/05



 カネと情報の浸透力にかけては、中国人にかなう民族は(おそらくアングロサクソンを唯一の例外として)いないだろう。
 これに味(中華料理)の浸透力を加えれば、中国人は「世界一」だろう。

 毛沢東は不眠症に悩まされていた。
 水泳を好んだが、これはもとはといえば眠りたいがために、自らを疲労困憊させるための苦肉の策だった。
 重大な政治闘争、つまり権力闘争を迎えると、眠れなくなる。
 眠れないと中国の古典をひもといた。
 そこに記されている権力操縦、術策を貪った。
 毛沢東は神経衰弱にもかかっていた。
 これは「共産党病」といってよい。
 それは、抜け道のない社会が引き起こす病気だ。
 共産党人間のパラノイアは、おそらく「何事も説明できる」との共産主義イデオロギーとも関係しているかもしれない。
 森羅万象「ただ起こった」、ということはなく「だれかが、どこかで、仕掛けた」結果だと、この教義は説く。
 ひとことで言えば、「陰謀理論」なのである。

 それぞれに、「過去を消す」衝動をもっていたことも共通する。
 ヒトラーは自分の祖父にユダヤ人の血が混じっていたのではないかと恐れていた。
 スターリンはロシア人ではなく、グルジア人だった。
 毛沢東は豊農に近い階級の出だった。
 ユダヤ人抹殺、少数民族に対する圧政、富農階級の撲滅は、こうした衝動に突き動かされたのではないか。
 3人とも家族の温もり、団欒にはまったく無縁だった。
 毛沢東は死ぬまでハーレムの女性とに淫靡な快楽と悦楽を求めた。
 
 しかし、いずれも最大の病気は、政治に対する中毒症状ではなかったか。
 宗教ではなく、政治がアヘンとなった。
 20世紀はそれによって全身中毒となった3人のモンスターによって、そしておそらくは6千万人を超える犠牲者の巨大な規模によって記憶されるだろう。


 この1993年12月26日を、鄧小平は特別の感慨を持って迎えることだろう。
 毛沢東の生誕100周年に、その日は当たる。
 北京では、1つ「
1万ドル」もする金の記念硬貨が発売された。
 中に南アフリカ産のダイヤモンドが埋め込まれている。
 毛沢東の生前の肉声演説を録音したCDも売り出され、またたく間に売り切れた。
 これは、新中国建国のとき、天安門で行った建国宣言をはじめ、7演説を収録した。
 将来の値上がり益を期待しての投機的買占めもあったらしい。
 たしかに、毛グッツ大流行には違いないのだが、どれもこれも、商売のにおいがプンプンする。
 ダレもカレもが、毛沢東にあやかって、ひと儲けしてやろうと、目の色を変えている。
 鄧小平は、「毛沢東は、7割が誤り、3割が正しかった」と総括している。
 7割までが間違いのものに、こうまで人気が集まるのは、共産党としては困る。

 しかし、どうだろう。
 当の鄧小平は、案外、一人「
ほくそ笑い」しているのではなだろうか。
 これによって、
「毛沢東神話」が蘇ることは2度となくなったと、読んでいるに違いない。
 神聖であるべき毛沢東、神妙であるべき毛沢東崇拝が、商品化され、市場化されている。
 それこそ、
鄧小平路線の毛沢東路線に対する最終的勝利でなくして、なんであろう。

 外に対する好奇心と、外から学ぼうとする姿勢が鄧小平にはある。
 そこが毛沢東とは異なる。
 死の直前まで、ハーレムの女性とのセックスに明け暮れた孤独な毛沢東とは大違いだ。
 しかし、一番の違いは、鄧小平は、降格させたり、解任したり、批判した相手を、辱めることはしなかった、ということである。
 胡ヨウ邦失脚のさいには、総書記の職は解いたが、政治局常務委員には残した。
 後任の趙紫陽解任の場合も、「反党分子」として処分しようとの圧力に抵抗し、党籍は守った。
 毛沢東は、政敵には容赦しなかった。
 劉少奇を」いたぶり、辱め、殺すのを放置した。

 鄧小平は「ソク隠の情け」の大切さを、文革の教訓として心に深く刻んだのだろう。
 ただ、文革からは、もう一つの教訓も導き出したようである。
 1989年6月4日の天安門事件に先立つその年の2月、北京を訪れたブッシュ大統領に、次のように言っている。
 「もし、10億の民のこの国で、多党間の選挙が行われたら、われわれは文革のときのような大規模な内戦に、間違いなく突入するだろう」
 共産党の一党独裁を死守することにかけては、鄧小平はいささかも譲らなかったし、妥協しなかった。
 
 にもかかわらず、鄧小平は毛沢東より、はるかに広く深く、共産党の権力基盤を掘り崩してしまった、といえるだろう。
 文革は、党の威信を失墜させたが、基盤まで侵食したわけではない。
 が、経済改革と市場導入は、それを押し流そうとしている。
 市場は、いずれ党の独裁を下から突き崩すだろう。
 とどのつまり、下部構造(経済)が、上部構造(政治)を規定するのではなかったか。







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2009年10月26日月曜日

:イスラエルの「帰還法」


● 1995/05



 イスラエルから海外に移民する人々の数が増えている。
 イスラエルは旧ソ連邦からのユダヤ人を中心とする一大移民受け入れ国であるが、同時に、主としてアメリカへ向かう一大移民供給国でもある。

 世界広しといえども、おそらくイスラエルほどワシントンの日々の動向に神経をとがらせている国はないだろう。
 かって国務省の高官に、「ワシントン・ウオッチ上位4カ国」説というのを聞いたことがある。
 それこそ命がけで、ワシントン政治の体温と脈をとっている4カ国。
 イスラエル、カナダ、イギリス、そして日本だ、と彼は言った。

 ベーカー国務長官はオフレコ懇談の席で、
「アメリカ国内のユダヤ系がナニを言っても放っておけ。連中はどっちみち、われわれ(共和党)には投票しないのだから」
 と、発言。
「戦後、最も親イスラエル路線をとったレーガン政権8年の後でも、ユダヤ系の共和党への投票は30%にすぎなかった」
 と、言ったとも伝えられる。

 PLO(パレスチナ解放機構)は「
世界一金持ちの解放運動」と形容されてきた。
 1980年代後半の年間予算は2億3千万ドル(約200億円)に上ったとの試算がある(別の推計は約20億ドル(約1500億円)とはじいている)。
 その多くが、サウジアラビア、クウエート、カタール、モロッコ、チユニジアなどのアラブ産油国からだった。
 これは、PLO上層部の腐敗をもたらしたといわれる。

 イスラエルには「
帰還法(The Law of Return)」の習性、ないし廃止論議が起こっている。
 ひらたく言えば、ユダヤ人である限り、世界の何処に住もうともイスラエルに帰還して、市民権を得る資格を認める法律である。
 「過去、
3千年」の間に離散したユダヤ人を呼び戻す、イスラエル建国の精神にのっとって制定された。

 ソ連が崩壊してから急増したロシアからの移民が、世論を変えることになった。
 50万人近い移民のうち、1/3はユダヤ人でなかったといわれる。
 また、移民の7人に1人は高齢者だった。
 「本当にユダヤ人かどうか、はっきりしないのに、この法律のおかげで、イスラエルに住みつく人が増えている」
 [帰還法をよいことに、移民してくる連中を養うために、国民の負担が重くなっている。無制限の移民自由原則は考え直すべきだ」
 といった意見も強まっている。

 1980年代後半まではPLOをはじめ、アラブ諸国が帰還法反対の急先鋒だった。
 イスラエルの人口増加、軍隊強化、対アラブ攻勢の土台作りのための法律とみなした。
 要するに、帰還法は世界中のユダヤ人に安全地帯を提供するというよりは、国家安全保障上、つまりアラブと戦うために必要なもの、とみなされてきた。

 帰還法の問題はそれが単なる一片の法律でないところにある。
 国父、デイビット・ベングリオンはこの法案を提案した際、イスラエル議会に次のように説明している。
「国家がデイアスポラ(離散したユダヤ人)に帰還の権利を与えるのではない。
 この権利はイスラエルの建国以前から存在し、イスラエルをつくるよすがとなった。
 この権利の源は人々と故国の間の歴史的きずなにある」
「帰還法は移民に関する法律などではない。
 それは、イスラエルの歴史を永遠のものとする法律である」

 法律(1970年改正法)によれば、「ユダヤ人とは、祖父祖母のいずれかがユダヤ人であればよく、またユダヤ人の配偶者も移民の権利が与えられる」 
 民族の範囲を決めるのに「3代前」まで遡るのはナチのゲルマン民族の規定の仕方を彷彿させる。
 「ヒトラーのガス釜で処理されるのに十分なユダヤ人であれば、イスラエルに帰還するに十分なユダヤ人であるということ」と、ニューヨーク・タイムズ紙のイスラエル担当特派員、クライド・ヘイバーマンは皮肉たっぷりに書いている。

 ベイグリオンの思想は、イスラエルを世界有数の多民族国家にすることになった。
 ここの1/5はアラブ民族である。
 アメリカが多文化主義の波に洗われ、苦悩するのと似て、イスラエルも多民族主義の挑戦に悩むことになるだろう。
 どちらも土と血を超えた普遍的理念の共同体を目指すところに、歴史的価値の尊さがある。
 理想が高いがゆえに、苛立ちもまた強い。







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2009年10月24日土曜日

世界ブリーフィング 同時代の解き方:船橋洋一


● 1995/05



 映画「タクシードライバー」で最も鮮明に覚えているシーンは、ニューヨークのタクシードライバーのトラビス(ロバート・デ・ニーロ)が買い入れたハンドガンをうっとりと眺めるところだ。
 黒光りする銃身をさすり、頬につけ、愛撫する。
 鏡に向かって早撃ちのまねをしては、ガンマンを夢想していく。
 カメラがメタルの妖しげなまでの光沢をとらえて離さない。
 濡れた光沢、英語でいう「sleek」。
 大都会にひとり疎外され、漂流する男が、ひとかどになろうとする。
 巨大な管理社会、そして階級社会の壁を突き破る最後の手段は、ハンドガンだった。
 トラビスは、大統領選候補者を暗殺しようとするが果たせない。
 レーガン大統領を暗殺しようとしたヒンクリーは、この映画を見て、反抗を思い立った。

 アメリカの映画は、「拳銃片手に生まれた」ようなものである。
 西部劇の古典、「大列車強盗」が世にでたのが1903年。
 画面いっぱいに銃口が映り、引き金にかけた指がゆっくり動く。
 次の瞬間、もうもうとした煙がひろがった。
 観客は、腕で顔をおおい、身をのけぞらした。
 アメリカの映画のリールにやきつく「銃口文化:gun culture」は、この映画から始まったといわれている。
 「ウインチェスター銃73」「ガンスモーク」「OK牧場の決斗」「ライフルマン」などの拳銃映画が生まれた。
 1960年代は、「ボニーとクラウド(俺たちに明日はない)」。
 1970年代、「タクシードライバー」もこの時代の作品だが、なんといっても「ダーテーハリー」だろう。
 クリント・イーストウッドが使ったのは、「モデル129 スミス&ウェッソン」と、「.44マグナム」だった。
 封切り直後から、この2種の銃は爆発的売れ行きとなった。

 ケネデイ暗殺の後は、オズワルドが使用したライフル銃が全米のガン・マニヤの人気を博した。
 レーガン暗殺未遂の際も、ヒンクリーの用いたハンドガン(RG .22)が、その後飛ぶように売れた。
 1980年代に入ると、画面に出てくる銃はより大型化する。
 「AK-47」であり、バズーカ砲であり、ショットガン(レミントン870)である。
 その一つが「ターミネーター」で、レミントン870を肩に下げたリンダ・ハミルトンは、女性の武装化と銃文化への女性取り込みのシンボルだった。
 1990年代になると、冷戦イデオロギーの揺らぎ、軍事経済・軍事社会の解除、銃規制を求める圧力の増大が、映画にも影を落とすようになった。

 銃を「equalizer:平等屋」と呼び、かってはコルトを、80年代のレーガン時代はミサイルをいずれも「peacemaker:平和屋」と名づける国である。
 自由と平等のどちらも銃によって表現されうるとの神話を、いまなを信じたいのだろう。
 「神は人間を創りたもうたが、サミュエル・コルトが人々を平等にした」
 西部開拓史の頃、人々はそう言ったものである。
(1994/06/17)

注].サミュエル・コルト: 「コルト45」拳銃の生みの親





 この本、上記のように1992/01/31から1995/04/07にかけて発表されたもので、ほぼ15年前のものになる。
 15年といえば、はるか昔の話。
 変わりまくったのが昨今。
 要は、変わらなかった部分に今読むこの本の面白さがある。
 民主主義国家アメリカ、これまるで変わっていない。
 いまだに「スーパーチュースデイ」なるものをやっている。
 スーパーチュースデイーとは大統領選挙の投票日のこと。
 簡単にいうと「大統領選挙日は火曜日です」ということ。
 どこの民主主義国家に「火曜日」を選挙日にする国があるか。
 一般庶民が火曜日に仕事を休んで、投票するか?
 仕事を休めるか?
 誰が考えても分かること。
 それを改正しない、アメリカ人。
 あのロシアでさえ、日曜日だ。
 それで人権主義なるものを掲げている。
 民主主義ウソも休み休み言え、ということ。
 ちょっと、冷静になればすぐに分かるアメリカの身勝手主義
 つまるところ、金持民主主義、成り上がり民主主義、金融民主主義。
 ビンボー人は、選挙にはいけない、ように作られているということ。
 ビンボー人は、黙っていろ、ということ。
 ビンボー人は、金持ちの駒、でしかないということ。
 ビンボー人は、文句を言わずにもくもくと働いていればそれで十分だということ。
 ビンボー人は、銃をかついで戦地へ行け、ということ。
 戦地にはいくらでもビンボー人を送り込める、ということ。
 ビンボー人のストックを十分もてるように作られた民主主義だということ。
 それが、アメリカ式民主主義

 日本の、そして世界の民主主義とはまるで違っているということ。
 非常に特殊な民主主義の信奉者だということ。
 「超ゲテモノ民主主義」だということ。
 それを、どもマスコミも口をぬぐって言わない
 つまりマスコミもエリート主義だということ。
 マスコミなんてそんなものよ。
 ケセラセラ、の世界だということ。
 生きていくためには、正直に書き過ぎてはいけない、ということ。




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