2009年10月26日月曜日
:イスラエルの「帰還法」
● 1995/05
『
イスラエルから海外に移民する人々の数が増えている。
イスラエルは旧ソ連邦からのユダヤ人を中心とする一大移民受け入れ国であるが、同時に、主としてアメリカへ向かう一大移民供給国でもある。
世界広しといえども、おそらくイスラエルほどワシントンの日々の動向に神経をとがらせている国はないだろう。
かって国務省の高官に、「ワシントン・ウオッチ上位4カ国」説というのを聞いたことがある。
それこそ命がけで、ワシントン政治の体温と脈をとっている4カ国。
イスラエル、カナダ、イギリス、そして日本だ、と彼は言った。
ベーカー国務長官はオフレコ懇談の席で、
「アメリカ国内のユダヤ系がナニを言っても放っておけ。連中はどっちみち、われわれ(共和党)には投票しないのだから」
と、発言。
「戦後、最も親イスラエル路線をとったレーガン政権8年の後でも、ユダヤ系の共和党への投票は30%にすぎなかった」
と、言ったとも伝えられる。
PLO(パレスチナ解放機構)は「世界一金持ちの解放運動」と形容されてきた。
1980年代後半の年間予算は2億3千万ドル(約200億円)に上ったとの試算がある(別の推計は約20億ドル(約1500億円)とはじいている)。
その多くが、サウジアラビア、クウエート、カタール、モロッコ、チユニジアなどのアラブ産油国からだった。
これは、PLO上層部の腐敗をもたらしたといわれる。
イスラエルには「帰還法(The Law of Return)」の習性、ないし廃止論議が起こっている。
ひらたく言えば、ユダヤ人である限り、世界の何処に住もうともイスラエルに帰還して、市民権を得る資格を認める法律である。
「過去、3千年」の間に離散したユダヤ人を呼び戻す、イスラエル建国の精神にのっとって制定された。
ソ連が崩壊してから急増したロシアからの移民が、世論を変えることになった。
50万人近い移民のうち、1/3はユダヤ人でなかったといわれる。
また、移民の7人に1人は高齢者だった。
「本当にユダヤ人かどうか、はっきりしないのに、この法律のおかげで、イスラエルに住みつく人が増えている」
[帰還法をよいことに、移民してくる連中を養うために、国民の負担が重くなっている。無制限の移民自由原則は考え直すべきだ」
といった意見も強まっている。
1980年代後半まではPLOをはじめ、アラブ諸国が帰還法反対の急先鋒だった。
イスラエルの人口増加、軍隊強化、対アラブ攻勢の土台作りのための法律とみなした。
要するに、帰還法は世界中のユダヤ人に安全地帯を提供するというよりは、国家安全保障上、つまりアラブと戦うために必要なもの、とみなされてきた。
帰還法の問題はそれが単なる一片の法律でないところにある。
国父、デイビット・ベングリオンはこの法案を提案した際、イスラエル議会に次のように説明している。
「国家がデイアスポラ(離散したユダヤ人)に帰還の権利を与えるのではない。
この権利はイスラエルの建国以前から存在し、イスラエルをつくるよすがとなった。
この権利の源は人々と故国の間の歴史的きずなにある」
「帰還法は移民に関する法律などではない。
それは、イスラエルの歴史を永遠のものとする法律である」
法律(1970年改正法)によれば、「ユダヤ人とは、祖父祖母のいずれかがユダヤ人であればよく、またユダヤ人の配偶者も移民の権利が与えられる」
民族の範囲を決めるのに「3代前」まで遡るのはナチのゲルマン民族の規定の仕方を彷彿させる。
「ヒトラーのガス釜で処理されるのに十分なユダヤ人であれば、イスラエルに帰還するに十分なユダヤ人であるということ」と、ニューヨーク・タイムズ紙のイスラエル担当特派員、クライド・ヘイバーマンは皮肉たっぷりに書いている。
ベイグリオンの思想は、イスラエルを世界有数の多民族国家にすることになった。
ここの1/5はアラブ民族である。
アメリカが多文化主義の波に洗われ、苦悩するのと似て、イスラエルも多民族主義の挑戦に悩むことになるだろう。
どちらも土と血を超えた普遍的理念の共同体を目指すところに、歴史的価値の尊さがある。
理想が高いがゆえに、苛立ちもまた強い。
』
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
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