2009年10月17日土曜日

:一刻一刻を


● 1990/06[1984/07]



 32年前に手術を受けた直後、十日近くも続いた堪えがたい苦痛がよみがえり、息苦しくなった。
 私の場合は肋骨を切除することによって肺の上部を潰したにとどまったが、弟は左肺をすべて切除され、苦しみの度合いはさらに激しいはずである。
 手術を受けた年の日記を取り出し、ページを繰ってみた。

 手術は9月17日で、その夜、
「呼吸困難。三兄、一晩中起きていてくれる。」
 と、ある。
 窒息状態に近い呼吸困難と胸部の激痛で呻き声もあげられRず、二日後には、
「床ずれと呼吸困難で気も狂いそう。痛くて、動かうにも動けぬ。寝返りが出来たら、と思う。」
 と記され、三日後の日記には、
「床ずれで骨が折れそう、輸血200cc、悪寒40度4分の発熱。ベッドが音をたてて揺れる、看護婦が来て、注射。」
 と書かれている。
 翌日になって、
「痛い、痛い。やっと左手が胸のところへ持っていけるようになった。」
 とあり、少し体を動かすことができるようになったことが知れる。が、
「夜はまだ一睡も出来ぬ。」
 と書かれ、五日後に、
「痛い、痛い、泣きたくなる。明け方トロトロとする。朝が待遠しい。」
 と記されていて、ようやく眠ることができるようになったことがわかる。
 4時間の睡眠がとれたのは八日後で、その日、看護婦に強引に上半身を起こされたが、呼吸が出来ず、再びベッドに横たわった。
 同じ日、手術後初めて食物を口にしている。
 これらの記述は、手術後十日目に記憶をたどって鉛筆で書きとめたものであった。
 
 私が受けた手術は、健康を恢復できる期待のこめられたもので、事実それはかなえられたのだが、弟の場合は、リンパ腺に癌の転移がみられ、やがて死亡する確率が高い。
 死がほとんど定まっているのに、そのような苦痛を味あわねばならぬことが不当に思えた。

 終戦後、手術をうける前、あと五年、日数にして1,800余日生きることができれば、どのような苦痛もいとわない、と思った。
 その折、死というものがいつかは必ず訪れ、ある瞬間に糸が切れるように自分の生命が断たれるのだ、ということも自覚した。
 その時から歳月を日数で数えることが習性化し、あと十年生きられるとしても3,650日だと考えると、残された時間がわずかなものに思え、一刻一刻を自分のためにのみに費したかった。







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