2009年7月10日金曜日

:現地調査と調査項目


● 1994/05[1981/07]



 宇田(道隆)は言った。

 気象台の気象記録だけでなく、できるだけ現地を実地調査をして、災害の全貌を科学的に把握して、総合的な報告書をまとめよということで、具体的な調査項目や方法は一任されています。
 現地の気象台では、できるだけ多くのデータを集めて、ありのままの実態を明らかにするという調査方法がよいのではないか。
 実態を調査するといっても、この焼け野原に観測機械を配置しておいたわけではないのだから、私の考えでは、できるだけ多くの体験者に会って聞き取りをして、原爆当日の地域別の状況を再現してみる意外に、研究の手がかりはないのではないかと思う。
 聞き取った内容を、地域別、時間別に地図の上にプロットすれば、いろいろなことがわかってくるのではないか。

 台風の方も同じだ。
 災害地に行って、罹災者から当日夜の状況について聞き取りするのだ。
 大変な作業だが、誰かがやって記録に残さなければ、この世界に前例のない原子爆弾と台風の二重災害の体験はいつしか忘れ去られてしまう

 北は「こういう調査は、人々の記憶に生々しいうちにやらないと、正確な聞きとりができませんから、今日からでも始めたいですね」と申し出た。

 宇田は熱心になってきた。

 実は僕はすでに一人で市内を歩いて聞きとりを始めているのだ。
 なかなか大変なことだ。
 原爆であれだけひどい目にあって、まだ2ケ月と経っていない、話を聞こうとすると、怒り出す人もいてな、人が死ぬような苦しみをしたのに何が面白いのだ、もうあんなことは結構だ、というのだ。
 こちらの趣旨を説明して理解してくれる人もいるが、なぐられそうになったこともあるよ。
 ともかく、話を聞く前に、こちらの調査の重要性についてよく納得してもらわなければ、協力は得られない。
 それから、聞き取りの要領だが、相手の話をそのまま記すことが、いちばん大切なことだ。
 こちらの先入観を入れたり、相手の話に食い違いがあったときに無理に辻褄をあわせようとしたりしてはいけない。
 人間の記憶というものは、誤りを含んでいることが多いから、無理に辻褄をあわせようとすると、誤りに誤りを重ねることになりかねない。
 話に矛盾があると思っても、そのときはそのまま記録して、あとで検討すればよい。
 調査研究の聞きとりというのは、そういうやりかたをするのだ。


 北も新たな提案をした。

 いろいろな調査をするうえで、いちばん基本になるのは、やはり爆心の正確な位置だろうと思うのです。
 爆心地がどこで、爆心の高度がどれ位だったのかを決めておかないと、爆風や気象変化などを解析するための原点があいまいになってしまいます。
 街を歩いていますと、ピカの熱線を受けた壁や橋に影が残っているのに気づきました。
 遮蔽物と影の位置から熱線の入射角を測量すれば、爆心の方位と仰角がわかります。
 これを数箇所でやって地図上に方位を記入し、各方位の延長線が交差したところが爆心地、爆心地がわかれば仰角から爆心の高度を計算で求めることができます。
 爆心の決定については、学術会議の物理の専門の方がおやりになるとは思いますが、この程度の調査なら私たちの手でもできますから、まず爆心地の計測から手をつけたいと思うのです。
 公式の爆心決定を待っていたのでは、私たちの調査研究をまとめるのに間に合わないですから。


 こうして話し合った結果、調査項目として考えられた主なものは次の通りであった。
◆爆発当時の景況----爆発の瞬間の火の玉の状況から、キノコ雲の発生、積乱雲の発達に至る過程を明らかにする。
◆爆心の決定。
◆爆心地を中心にした周辺の風がどう変化したか。
◆爆発後の降雨現象----降雨域と降雨の強度、時間の経過に伴う雨域の移動、黒い雨となった原因と黒い雨の性質などを明らかにする。
◆飛撤降下物の範囲と内容。
◆爆風の強さと破壊現象----爆心からの距離による破壊状況の変化を調べる。
◆火傷と火災----熱線による火傷は、どの範囲まで及んだか。
建物などへの自然着火状況、延焼、火災の盛衰、焼失地域などを明らかにする。

 膨大な作業量になりそうだったが、気象台が行うべき調査として、どれ一つとして欠かすこのとできないものばかりであった。

 このように調査の狙いをはっきりさせておけば、聞きとりをするとき、何を聞き出せばよいかがわかってよい。
 漫然と体験談を聞いて’いたのでは、科学的調査のてがかりを掴むことはできんから。

 宇田は、最後にこういって話を締めくくった。

 調査は始まった。
 芋弁当を下げて、焼け跡のバラックを訪ね、あるいは焼け残った周辺部の傾きかけた家を訪ね、被爆当日の体験談を聞くという、文字通り足で調べる調査がコツコツと続けられた。
 歩きながら、鉄塔の破損や倒れ方、建物の倒壊状況、墓石の倒壊状況、なども詳しく調査され、写真も撮られた。






【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_