2009年7月9日木曜日

:大衆消費から個人消費へ


● 2008/07[2008/05]



上野:
 1975年は団塊ジュニヤのベビーブームに当たります。
 1972年が団塊世代の婚姻件数のピークでした。
 「手を伸ばすと、そこに新しい僕たちがいた。」(1975)
というキャンペーン・コピーは、団塊デイアスポラ世代(漂流する民の世代)」をターゲットにして、網をかけたものですね。



 西武のマーケットは、団塊世代をターゲットにしてきた側面があります。
 この「手を伸ばすと、そこに新しい僕たちがいた。」の記号学的な分析を、私はやったことがあります。
 じつに文字どおり、背伸び型の啓蒙マーケテイングで、私は「お節介マーケテイング」 とも呼んでいました。
 当事者たちがまだ手に入れていない、あるいは当事者にとってすら未知のライフスタイルを提案するという、極めて啓蒙的な広告でしたね。
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 70年代は女性週刊誌が目白押しに出版された時代で、”友達ファミリー”が掛け声だったときです。
 結果として、団塊ファミリーは”友達ファミリー”ではなくて、「男は仕事、女は家庭」の男女別学丸出しの家父長的家族をつくってしまいましたが、この「手を伸ばすと、そこに新しい僕たちがいた。」のポスターは、絵に描いたような”友達ファミリー”でした。
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 私の世代からみると、まんまと西武にはめられた、じつにうまく乗せられたな、という感じがあります。
辻井:
 みなさん、そうなんですってね。
 わたしが「へえ、それは意外だな」というと、女性たちから
 「あなたに乗せられて私たちは大人になってきた」
のに、今になってそんなこと言われたって困りますってよく怒られます。
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上野:
 1975年9月に池袋店が単店舗で単月売り上げトップになって、1982年に百貨店業界で池袋店が年間売り上げトップになりました。
 1982年が西武百貨店のピークでした。
 その82年に「おいしい生活。」のポスターで俳優のウデイ・アレンを起用しましたが、そのとき私は「おや?」という感じをうけました。
 これはキャラクター広告です。
 CMがキャラクター広告に依存したら、CMの敗北だと思っていたからです。
 しかもウデイ・アレンは日本にはあまり知られてない俳優でした。



辻井:
 糸井(重里)君も、それまでスパッと出てきたコピーが出なくなってしまった。
 「うれしいね、サッちゃん。」(1984)あたりから次第に手ごたえがなくなってきました。
上野:
 広告の費用対効果は計算できないものだと伺いましたが、広告から手ごたえがなくなってきたと感じられるのは、具体的にはどういうことを指すんでしょうか。
辻井:
 やっぱりマーケットが変わった、としか言いようがないですね。
 パルコは写真でイメージが伝わる企業体ですから、説明がなくても通りますが、ウデイ・アレンを起用した百貨店の広告の場合は意味合いが変わってしまったんですね。
上野:
 何が変わったんでしょう。
辻井:
 消費者が小売業に対して求めるものが「なくなってきた」
 自分の生活に支障さえ来たさない程度にモノがあれば、「それで十分」だと。
 それまでの大衆消費社会から個人消費の時代になっていったわけです。
上野:
 いわゆる「成熟マーケット」、「市場飽和の時代」になったと。
 でも、そういう市場の変化は西武だけが体験しているわけじゃないですよね。
 すべての小売業gた直面したマーケットの変化です。
辻井:
 「百貨店冬の時代」とも言われ、小売業全体が衰退期に入った時期です。
 人口が減って消費者が高齢化すれば、マーケットは広がるわけがありませんから、一つのパイの食い合いしか残されてない。
上野:
 そこから、迷走期にはいるんですね。

上野:
 75年のキャンペーン広告の「手を伸ばすと、そこに新しい僕たちがいた。」に戻りますが、このメッセージで啓蒙したかったことはなんでしょう。
辻井:
 つまり「自立した消費者たれ」という思想ですね。
 少なくとも75年当時、大きくみて70年代の終わりまでは、消費者として自立することは、社会人として自立する第一歩だという考え方が、たしかにあったと思います。
上野:
 このメッセージの中には、ある種のライフスタイル・モデルが提示されています。
 自分で選ぶことができるといえども、”選択肢を示すのは私たち西武ですよ”という自負があったと思うんです。
 そう思っておられませんでしたか。
辻井:
 ありましたでしょうね。
 残念ながら、認めざるを得ませんね。
 ”選択肢を出すのはわれわれ西武である”という自負がなければ、そういうコピーをかかげませんよね。
上野:
 選択肢がどういうものだったかというと、そこのところがじつに西武的というか、うまかったなと思うのは、このあとどんどん「生活総合産業」という名のもとに、間口を広げていきました。
 消費の選択肢はA級、B級、C級、それぞれあります。
 自由に選んでもらっても、すべてOKですよ、でもそれは全部西武ブランドですよ、という仕組みです。
 私はそれを「ブラックホール型お賽銭吸収装置」と名づけたことがあります。
 チャリンとお賽銭を入れる場所は違うけど、全部同じところに集まるという装置です。
 「おお、なるほど」と感心しました。
辻井:
 いや、そう言われれば、まさにそうですね。




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