2009年7月19日日曜日

:「幽霊」と「妖怪」


● 2008/07[2008/04]



 「幽霊」と「妖怪」とはどう区別するか。
 区別されるのか、されないのか。
 このことについて学者の間で議論がある。

 小松和彦氏は、幽霊を異界に住む妖怪の一つのタイプであり、生前の形で生者の前に現れる死霊と考える(「妖怪学新孝」)。
 「異界」は、「日常生活の場所と時間の外にある世界のこと」と辞書にある。
 すなわち、現実界に対するもの、人間の存在を超えた別世界である。
 もう一つの、ではなく、「たくさんの別世界」といってもよい
 ただし、極楽や浄土を異界と呼ぶには違和感がある。
 異界とは不安や不思議さ、恐怖を伴うものだからだ。

 これに対して諏訪春雄氏は、人間であったもの、つまり死者が、人間の形をとって現れるものが’幽霊であると定義し、妖怪一般と区別する。
 諏訪氏によれば、妖怪は異界に、幽霊は他界と、それぞれ住む場所も違うことになる(「日本の幽霊」)。
 ここでは便宜上、幽霊は妖怪とは別種という説に従っておこう。

 2005年から翌年にかけて、国際交流基金の援助により、パリ日本文化会館(Paris)で「YOKAI 日本のおばけ図鑑」展が催された。


● 「YOKAI」 2005 Paris

 小松和彦氏の企画により、展示は妖怪と幽霊との共演である。
 なかなかの好評で大入りだったが、興味あることに、パリ市民に受けたのは妖怪ではなく幽霊だった。


● 幽霊


 ほとんど無名の戯作者神屋蓬州(1776--1832)の自作自画「天縁奇遇」によるこの怪談物の口絵いっぱいに描かれたのは、野風という名の悪女(図40)。



 夫の海賊横島軍藤六が殺した、赤松春時の妻咲花の怨念に祟られ、全身99カ所に口ができ、わが子を食べたりする酷悪な有様、ついには見世物に出される。
 そこへ咲花の子、米吉が通りかかると、99個の口が一斉に開き、咲花の霊がわが身と夫の悲運を米吉に訴えかける。
 このおぞましい化け物のイメージはどこからきたのだろうか。

 鳥山石燕(1712--1788)の「図画百鬼夜行」には、腕に百の目があるという「百々目鬼(どどめき)」が載せられているが、絵に描かれた女性の姿はいたって優しく、野風のイメージとは程遠い。
 これによく似たイメージとしては、水木しげるの描く「百目(ひゃくめ)」がある(図40)。



 全身に目のついた恐ろしい姿でvある。
 「百目」は銅版画風の陰影が画像の恐ろしさを印象づけているが、野風の場合もうごめく口の描写に、当時流行の銅版がの手法が応用され、ゾッとする生々しさをつくりだしている。
 野風とは元来叙情的な言葉のはずだが、この図のおかげでとんだグロテスクなイメージに置き換えられてしまった。


 ガイコツやドクロは、幽霊と妖怪の中間にあるが、ここでは妖怪の中に入れておこう。
 ガイコツはしの象徴として西洋の文学や絵画ではごくおなじみのものである。
 乾燥した気候が死者をミイラやガイコツとして保存するに適しているという事情がそのウラにある。
 これに対して湿気の多い日本では、土葬された屍は、腐敗し、骨すら満足に残らない。
 そのためだろうか、中世までドクロが絵画のモチーフになることはあまりなかった。
 だが、江戸時代後半になると、西洋から輸入された解剖書の刺激から、ガイコツやドクロがさかんに描かれるようになった。

 山東京伝・歌川豊広(?--1829)コンビが入念に描き出したのは、ガイコツの住む荒れ屋敷の様である(図50)。



 読本「浮世丹全伝」の絵である。
 磯之丞は京に留学中、女童に導かれて高貴な館で美しい姫に会い、契りを交わし通いつめる。
 いぶかった家僕があとをつけると、見たのは磯之丞が上機嫌でガイコツのもてなしを受けるという信じがたい光景で、姫は磯之丞の前世の妻の幽鬼だった。
 上田秋成の「雨月物語」を思わせるシーン。
 牡丹灯篭の下に立ってるてるてる坊主のような女の子(実は御伽ぼう子という幼児に持たせる魔よけ)は、案内した女童だろうか。




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