2009年7月11日土曜日

朗読者:あとがき


● 2000/07[2000/04]



 「ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』以来、ドイツ文学では最大の世界的成功を収めた作品」。
 2000年1月のある号で、週刊誌「シュピーゲル」はそんなふうに報じた。
 ベルンハイト・シュリンク。
 1944年生まれ、現在は伝統あるフンボルト大学(ベルリン)の教授で、専門は『朗読者』の主人公と同じ法律学(ドイツ統一後、それまで東ベルリンにあったフンボルト大学に招聘された最初の西ドイツの教授がかれだったしうだ)。
 これまでミステリー小説を3冊出版し、そのうち一作はテレビドラマにもなっているが、作家としてはまったく無名に近かった。
 周囲のとらえ方は、大学の仕事の合間に余技でミステリー小説も書いてしまう器用な先生、といった程度だっただろう。
 しかし、1995年に出版した『朗読者』の大ヒットは、彼にとって本業と余技を逆転させてしまった感がある。
 この作品は発売後5年間で20以上の言語に翻訳され、アメリカでは200万部を超えるミリオンセラーになった。
 作品の映画権利は「恋におちたシェイクスピア」などを扱った映画会社ミラマックスが獲得し、「イングリッシュ・ペイシェント」の監督でもあるアンソニー・ミンゲラがメガホンをとる予定だという。

 小説の没頭で描かれる15歳の少年と彼の母親のような年齢の女性との恋愛はたしかにセンセーショナルなテーマであるが、ナチス時代の犯罪をどうとらえるかという重い問題も含んだこの本が、ここまで国際的な成功を収めた背景は、いったいどこにあるのだろう。
 この物語の一番の特徴は、かって愛した女性が戦犯として裁かれることに大きな衝撃を受けながらも、彼女を図式的・短絡的に裁くことはせず、なんとか理解しようとする主人公ミヒャエルの姿勢にあるように思われる。
 彼女の突然の失踪に傷つき、法廷での再会後に知った彼女の過去に苦しみ、しかしそれでも彼女にまつわる記憶を断ち切ることはせず、十年間も刑務所に朗読テープを送り続けたミヒャエル。
 彼の律儀さ、粘り強さには、ある種のドイツ人らしさが表れているように思う。
 前の世代が犯したナチズムという過失を見つめ続けることを余儀なくなくされ、それによって苦しむという体験は、敗戦後の民主主義教育を受けて育った彼の世代に共通のものだといえよう。

 戦後の歴史教育が抱える困難にも、シェリンクは光を当てようとする。
 ステレオタイプ化した収容所のイメージを頭に叩き込むだけでは、本当の問題を理解することにはならない。
 主人公のミヒャエルは自分があまりに収容所の実態について知らないことを自覚し、収容所の跡地を訪れるべくヒッチハイクの旅にでる。
 しかし、いまや無人の収容所跡に立ってみても、そこが実際に運営されていたころのことを思い浮かべるのは難しい。
 残された建物の外観は、どこにでもありそうなアットホームな印象すら与えるのだから。
 当時の人々の立場に立って考え、理解することの難しさがここでも強調されている。
 
 「朗読者も場合は、1990年代初めの東ベルリンとの出会いが重要な役割を演じていました。」
 執筆の動機を聞かれ、シュリンクは右のように答えている。
 統一後の東ベルリンは灰色で、シュリンクが子ども時代を過ごした1950年代のハイデルベルグに似ていた、というのだ。
 通りを歩き、家々を眺めながら、彼の中で物語が膨らんでいった。
 シュリンクの目的は声高に物を教えることではない。
 ここで語られる事件についての判断は、読者に委ねられている。
 ハンナとミヒャエルの、その後の生涯。
 ハンナの最期を、読者はどのように受けとめられるだろうか。












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