2009年11月30日月曜日

:死んでからも楽しい老人力


● 1999/02[1998/09]



 老人力とはまず、ボケですね
 ボケて名前を忘れたり、約束を忘れたりする。
 忘れるけど、それで頭はかえって開かれるってこともあるんです。
 なんていうか、警戒心がなくなってくるんです。
 歳をとると頭のガードが緩んで、「もういいや」って感じになってくる。
 すると、むしろ吸収がよくなって、逆に活性化する。
 新しいものが入りやすくなる。
 忘れることの
しょうがなさ、と言うか、面白さと言うか。

 もう見栄も体裁もいいやって感じになる。
 若いころって、そういうものがいろいろ気になるものでしょう。
 老人力で踏み込む世界というのは、次から次、
死ぬまで未知の局面が現れてくるということでもあります。
 けっこう新鮮な思いができるんじゃないかって気がする。
 臨死体験じゃないけだ、ヘタすれば
死んでからも楽しいんじゃないかって、なんて考えたりして。
 老人力の極大は、死んじゃうことだから。
 老人力を100%発揮したときは、この世のことはすべて忘れてしまうということ。

 自意識っていうのは、ないと困るけれども、自意識過剰の空回りは健康によくない。
 歳をとると鈍ってきて、オレってまたこんなことやってるぞ、みたいに自分を客観的に見る余裕が出てくる。
 どこかで人間チョボチョボ、みたいに思っているんじゃないかな。
 そのところはたぶん誰でも一度は通るんじゃないかな。
 「ちょぼちょぼ」についても分かってくると、自分の限界が分かってくる。
 面白いことに、限界がわかってからの方が、かえって自分のやりたいことができるようになったりする。
 中年のころは、あれもできる、これもできるはずだって思っている。
 ところが、現実は厳しい上に、周りを見渡せば、自分よりすごいことを、どんどんやっているやつがいる。
 ああ、オレはこの程度のものだったんだって、がっかりする’時期がある。
 自分が万能だと思っているうちは、足が地につかない。
 それが自分の「ちょぼちょぼ」を知って、逆に無駄な力が抜ける。
 限られた部分に集中力が発揮できるようになる。
 その細かいところから逆に、面白さがどんどん広がっていく。

 若い人たちは情報社会にひたってるんですね。
 
情報社会って、みんなケチがなるんです。 
 情報を全部抱き抱え込もうとするから、捨てられなくなる。
 僕ももともとはケチなんだけど、老人力って、捨てていく気持ちよさを気づかせてくれる。
 ボンボン忘れていくことのおもしろさ。
 情報的にスリムになると、自分が見えてきて、もとのもとの自分がムキダシになってくる。
 情報で身の回りをかためていると、情報が自分を支えてくれる代わりに、生(なま)じゃなくなってくる。
 自分が何だか、干からびてくんですね。
 だから、いまの人たちって、コツコツ情報をためこんで、けっこう苦しそうだったりするんです。
 使い捨て文化とは違う意味で、情報はガンガン捨てていったほうがいいんです。
 情報は、ドブに捨てる、宵越しの情報はもたねえ、みたいな江戸っ子老人力。
 これいいねえ、
江戸っ子老人力って。
 
テレビなんて、情報のゴミ箱ですよ。
 ゴミの中にも、たまに掘り出し物はありますが。
 
 昔は品格とか志みたいなものが尊ばれたから、計算で動くなんて軽蔑されることだった。
 それがいまはなんでも「
プラス志向」だ。
 計算ずくでも何でも勝てばいい、みたいになっている。
 計算だけが生きて、人が死んでしまったら、元も子もない。
 自分の人生を楽しめるかどうか、だからね。
 計算で果たして気分豊かに生きられるのかなって。

 気品は捨てる潔さから生まれるんだと思います。
 人間も同じで、お金持ちでカッコいい人はお金を超えている。
 貧乏人でも気品ある人は貧乏を超えていますもん。
 気品も老人力も同じです。







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:地球のボス、アメリカには老人力はない


● 1999/02[1998/09]



 お茶の世界で、「侘び」とか「寂び」とかいう言葉がある。
 作りたての新品ツルピカではなく、長年使われて、少し壊れたところが補修されたり、少し汚れがついたり、染みが広がったりして、えもいえぬ味わいが生まれる。
 日本的な美の感覚というか、美意識というか、あれは実は老人力だと気づいて、なんーだと思った。
 物体に味わいをもたらす力というのは、
物体の老人力なのである。
 とすると、老人力というのは
日本文化そのものだ。

 老人力のはじまりは70年代の温泉ブームあたりからで、その後に骨董ブームとか競馬ブームとかになり、そのリーダーであるギャル層にしみ込み、「
おじん趣味」と命名された。
 世に言う「
おじんギャル」である。
 これが世間一般の体内に深く発した老人力の、まだその名も持たぬ受胎告知であったのだろう。
 おおよそ6,7年前にということになるのか。
 世間一般のギャルが老人力を受胎したのである。

  老人力のはじまりは70年代の温泉ブームあたりからからかと思ったが、とんでもない、実は桃山時代まで遡るのだ。
 人間の
ボケ味とも言われる老人力は、古来営々と日本文化の底流として流れ続けていたのである。
 老人力というのは人間に広がるだけでなく、物体にも作用する。
 長年愛用しているシャープペン。
 指の当たるところがだんだん艶アリになってきて、ルーペでのぞくと極細のひっかき線のザラ目で艶消しのところが、長年の指の辺りで擦り減り、このザラ目が消えかけているのだ。
 物体にも老人力がついてくるのだ。
 マイナスの力が作用し、それが独特の味わいになってきている。
 老人力は「
味わいを生む力」だということ。
 だが、古くなってダメになれば、それはみな老人力、というわけではない。
 
古さゆえの快さ、人間でいうとボケ味、つまりダメだけど、ダメで終わらない味わい、というのが出るところが老人力だ。

 このところは、アメリカ人には絶対にわからないだろう。
 アメリカは
老人力理解不能の国である。
 若さとパワーだけを頼りの全員ライフルを片手に、ひたすら前のめりの一つ覚えでやってきた国だ。
 いきなり
 「老人力」
 といわれても、え?、といって、キョトンとした顔しかできず、とりあえずライフルをぶっ放すくらいだろう。
 日本も成金趣味というのはそういう風で、ちょっとでも古くなるとすぐ嫌う。
 古くなって擦り減ったのは
即、貧乏と考える。
 古いのを貧乏と考える点で、非常にアメリカ文化だ。
 特に戦後の特徴。
 正しくは、明治以降か。

 
貧乏問題は一度考え直す必要がある。
 貧乏はたしかにダメだけど、ダメな一方で味わいがある。
 ということを主張するのは難しい。
 みんな貧乏はキライで、金に目が眩むから。
 「清貧」ということなら、アメリカ人も一応分かる。
 だいたいの宗教は清貧はいいものだと教えている。
 アメリカ人だって、物欲の後ろめたさが少しはあるだろうから、宗教から言われたら少しは耳を傾ける。
 宗教というのは、いわば「あの世の税務署」だ。
 あの世の税務署の出張所の、一種の予定納税みたいなもので、それをしないと地獄へいくから、アメリカ人といえども無視しにくい。
 宗教に言われるから「「清貧」までは理解する。
 でも、「侘び寂び」はムリだ。

 アメリカ人は老人力はないけど、屈託がないし、やはりモノを持っているから人気絶大だ。
 ぼくらの子どものころは、金に目が眩むというけど、モノに目が眩んで、ころっとアメリカバンザイになってしまった。
 だが、いま地球のボスとなっているアメリカには老人力はない。
 そのことに、自分に老人力がついてきて、やっと気がついた。
 物体に老人力がついてくる。
 茶碗や皿に老人力がついてくると、骨董と呼ばれはじめる。
 アメリカにも骨董屋はあるのだろうか。
 あることはあるが、それはみなネウチもののような気がする。
 金で解決する、例えばトラの敷皮、象牙の何とか----。
 ネウチ以外に面白みのないもの。
 アメリカの骨董屋にはそれ的なものばかり並んでいるように思うが。

 侘びた茶碗にしろ、侘びたペンにしろ、それはアメリカ人にいわせるとダメな茶碗、ダメなペンだ。
 すぐにそれを捨ててしまうアメリカ人がいて、それをすぐ真似したがる日本人がいる。
 いや、いてもいいんだけど、捨ててどうなる。
 でもどの道、終末は近いのだ。
 』






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:テキトーにして、反努力の力


● 1999/02[1998/09]



 重要なことは「テキトー」である。
 テキトーであることが、ぼくらを根村してくれて、物忘れを実現してくれる。
 では、そのテキトーとはなんなのか。
 どう定義すればいいのか。
 これが難しい。
 
定義するとは、テキトーを排除することである。
 だから、テキトーを定義するとなると、テキトーがなくなってしまう。
 困りましたね。
 でも定義しよう。
 テキトーとは「
反努力」のことだ。
 眠る、忘れるということは反努力の力である。
 そういう努力しない力というのが、この世のどこかにあるはずなのだ。
 この反努力という力というのが、老人力の実体ではないのか。

 昔は学校に行かずに働く子を可哀想だといった。
 いまはむしろ働けずに学校に行っている子が可哀想。
 昔は可哀想だった売春が、いまやそれ自体がファッションになっている。
 この時代に、一元的な努力のとどく範囲は知れている。
 反努力を現実の問題として考えないといけないんじゃないだろうか。

 いまの世の中は
自力思想というか、自主独立というか、個人の自由というか、とにかく「」というものが正義のシンボルになっている。
 独自の考えで、自由な発想で、ということをすぐに言われる。
 自分がちゃんとある人は、それでもいい。
 でも大方は自分が大してない人であり、そんな人が「自由」な発想でやると、単にめちゃくちゃになるだけである。
 人間の頭というのは、いったん「主義」に頼ると、その主義以外は判断停止の状態に陥ってしまう。
 おしなべて、自分なんてちゃんとしていない人が世の中には多い。
 それがほとんどだ、といっていい。
 本当は、「他」にまかせないといけない、ことが多くあるんだけど、それを逆にこの世の中の自由主義というものが許さない。
 というわけで世の中、とんどん自由主義のパワーで硬直化していってしまう。
 
 老人力の場合はあくまで微弱な現象である。
 まあ、老人力というのはその程度のものである。
 
複雑系というこのところ脚光を浴びてかけている学問がある。
 そこで東大の先生のところに取材にいったが、チョットしたこと、取るに足りないこと、を問題にしていた。
 もっとも何でも、新しい物や新しい考えというのは、ちょっとした取るに足らないことからはじまる。
 ふとした考え、ふとした出合い、取るに足りない冗談から、大発見大発明が生まれたりする。
 これは人間の
頭のクセにかかわることで、
 「
人間の頭というのは、いつも最上の一つの考えにたどりつこう
 としている。
 だからいつも撮るに足らぬ考えが、下の方には無数に堆積しているのだ。
 最上の考えが崩れさえすれば、その先にいくらでもフッとした考え、フッとした出合いが待ち構えている、はずなのだ。
 世の中にはわからないことが、たくさんあるのである。







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:小さな楽しみを繋ぎ繋ぎしないと生きていけない


● 1999/02[1998/09]



 思想が偉い。
 感覚よりも頭の方が偉いと思っていた。
 これは若い頃の特徴ということもあるけど、時代の特徴でもある。
 どのころかというと、ソ連崩壊以前の時代。
 革命信仰とか、共産主義信仰の生きていた時代。
 思想信仰が強くあった時代。
 思想の信仰、当時はそれが世の中に強くあった。
 それともう一つ、科学が信じられていた時代ということもある。
 ソ連の人工衛星が飛び、初の宇宙飛行士ガガーリンが飛び、初の女性宇宙飛行士が「ヤーチャイカ」とメッセージを送ってきた。
 その頃が、思想信仰と科学信仰の頂点だった。

 その後はアメリカが意地で頑張って、共産主義は資本主義に抜かれた。
 その辺からちょっと思想信仰の力が衰えはじめた。
 でも科学信仰の方はアメリカが引き継いで、月面までもっていったのである。
 でもこの信仰も、頂点はそこまでだった。
 科学信仰の崩壊を悟らざるを得ないのは、オゾンホールの出現であろう。
 科学のもたらす力が地球を実際的に破壊する現象を見て、科学信仰は崩れはじめた。
 科学はもちろん必要である。
 ただ、その信仰が危ないのだ。

 歳をとると趣味が出てくる。
 趣味に向かうようになる、というのは一般的にそうだろう。
 現役引退という物理的条件もあるし、もう一つ、その人の内部的問題も大きい。
 何といっても若いものの思想信仰が挫折し、挫折ということに関しては思想に限らず他にもいくつも散見することになり、「挫折」は何も特殊なことではなく世の常なんだ、ということを知るようになる。
 「
挫折の効用」とは何か。
 それは「力
の限界」が分かってくることである。
 若いときは何でもできると思ってしまうけど、挫折をめぐって自分の限界が見えてくる。
 世の中での
可能性の限界も見えてきてしまう。
 でも自分は生きている。
 何かやらないと生きていけない。
 お金を稼ぐこともそうだけれど、生きる楽しみでもそうだ。

 小さな楽しみを繋ぎ繋ぎしないと生きていけないもんだ。
 自分の力の限界が見えた後になって、そういう
小さな楽しみが、にわかに切実に感じられてくる。
 それまで思想とか理想とかに君臨されて、趣味なんてそんな小さなものなど、とむしろ軽蔑的に見ていたものが、抑えるフタがなくなると目の前に突然アップされ、細密にアリアリと見えてくる。

 歳をとると、どうしても人生が見えてきてしまう。
 つまり、有限の先が見えてくる。
 その有限世界をどう過ごすか、という問題が出てきてしまう。
 若いころは人生の先がまだ遠く、有限性がわかりにくい。
 だから自分の人生への切実さが少なく、思想の世界のために自分の人生を寄付できると考えてしまう。
 歳をとると、やけに
自分というものが濃厚になってくる。
 他の誰でもない「自分」の人生という
有限時間が確実なものとして、一本の棒のように認識されてくるのだ。

 いまの時代は、改革はともかくとして、革命信仰を持つことができない。
 科学信仰を持つことができない。
 ために、時代そのものにも有限の先がある、ということが見えてきてしまう。
 そういう時代に生まれているため、いまの若者はすでに基礎控除のようにして、みな一律に「
年の功」なるものを持ってしまっているのだ。
 だから年齢的には若者でありながら、一気に老人世界の趣味に走れる。
 ミーイズムとかマイブームという言葉は、その代表だろう。
 本来なら、現役引退の老人が口にすべき言葉である。
 それが、若年層から湧き上がってくるのだ。








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2009年11月29日日曜日

:脳社会における死に至る寿命


● 1999/02[1998/09]



 世の中これからどうなるのだろう。
 文明の発達はいいのだけれど、すべてが計算され、管理され、平均化され、ツルピカになり、その先にあるのはもう退屈だけだといわれていある。
 いままで
 文明の発達を望んで、
 民主主義を望んで、
 自由を望んで
 努力してきたのに、その望みが実現した先に町かめていたのが「
退屈」であるとなると、いったいどこで間違ってしまったのか。
 
望みを持つ、ということそもそもが間違いだったのだろうか。
 人間の世なんて、いつも不完全なものだから、それを何とかしようと望みを持つ。
 努力して、運にも恵まれたりすれば、望みがかない、そうすると次は
退屈地獄
 いや
退屈天国に落ち込むんだとなると、人生とはいったいナンなのか。
 あまり哲学すると嫌われるけど、でも今の世の中、ツルピカの退屈に向けて進路をとっているのは間違いないだろう。
 いったい、この先どうすればいいんだ。

 こういう時、老人力が発見されて、この発見は人々に大喜びで迎えられた。
 必ずしも望んだわけでもない
ツルピカ退屈気分が、老人力によってぼろぼろ削りとられた。
 老人力なんてもともとは冗談なんだけど、老人力と聞いたとたん、みんな一気にそれを理解して冗談じゃなくなってしまった。
 いやあくまで冗談なんだけど、冗談を保持したまま、冗談じゃない世界に突入していくという、ちょっと何といおうか、そういう風なのである。
 そういうとても複雑系の冗談を、みんな一気に獲得する。
 でも根が冗談という人はなかなか少ないもので、日ごろの暮らしはマジメ系で過ごすのが基本となっているのだから、理解はしたが応用はまだ、という場合が多い。

 あぶないですね、老人力は。
 甘く見てはいけない。
 老人力はマイナスのパワーだとかいう逆説を楽しんだりするんだけど、非常に危険な力を含んでいる。
 「死に至る病」とかいうけど、老人力というのは「
死に至る寿命」である。
 この危険を裏返しにして縫い付けているからこそ、ボケ味をはじめとする老人力は精彩を放つのだ。
 老人力の探求は、実は大変なことで、命がけでボケているのだ。
「えーと、そうそう、あれですよ。ほら、あの、あれ‥‥‥」
 といってなかなか名前が出てこないけど、名前は、命がけで忘却の彼方へ遁走しているのである。
 いいですね、命がけは。

 今の世は「脳社会」とかいわれて、どんどん論理におおわれてきている。
 人々のそれぞれの感覚的思考が萎縮してしまって、
 安いから、
 得だから、
 便利だから
 というような論理だけで物事が進み、「隙とか嫌い」はとるに足りないものとして、どんどんゴミ箱へ放り込まれている。
 なかなかうまくいえないんだけど、一つ一つの論理は正しい。
 人権とか民主主義とか、いくつもの正しい論理がズラリと揃っている。
 全部正しいはずなんだけど、その全体が、気がつくと、いつの間にか傾いている。
 論理的には全部正しいはずの世の中の全体が、論理的には見えない落とし穴にズルズルと吸い込まれてはじめている。
 でも幸いなことに、歳をとると人間には老人力がついてくる。
 老人力がつくと、どうしても論理を支える力が抜けてくる。
「まあ、いっか‥‥‥」
 という本音が。







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老人力:物忘れ・イズ・ビューテイフル:赤瀬川原平


● 1999/02[1998/09]



 歳をとって物忘れがだんだん増えてくるのは、自分にとって未知の新しい領域に踏み込んでいくわけで、けっこう盛り上がるものである。
 人生に突入し、幼年域--少年域--青年域、と何とか通過しながら、中年域からいよいよ
老年域にさしかかる。
 そうすると、いままでにたいけんされなかった「
老人力」というのが身についてくる。
 それが次第にパワーアップしてくる。
 がんがん老人力がついてきて、目の前にどんどん「
物忘れ」があらわれてくる。

 ボケの波は迫って来ている。
 名前を思い出せない、用事を思い出せない、日にちを思い出せない、ということが日常化してくる。
 
長老(ぼくはこの仲間<路上観察学会>ではそう呼ばれている)をボケ老人と呼ぶのはちょっとマズイな、自分たちも無縁ではなくなってきているし、みんなどうせボケていくんだから、もっと良い言葉を考えよう。
 ボケ老人というの何かダメなだけの人間みたいだけど、ボケも一つの新しい力なんだから、もっと積極的に、老人力、なんてどうだろう。
 いいねえ、老人力。
 「
老人力
 ということになり、人類ははじめて、ボケを
一つの力と認知することになったのである。
 
物忘れ・イズ・ビューテイフル

 もう何でも忘れてしもう。
 覚えるのはやめよう。
 老人力のパワー全開。
 いくらでも忘れ放題。

 老人力はエネルギーではあるけど。かなり複雑なエネルギーである。
 簡単にそれを手にすることはできない。
 命からがらたどり着いたフトンの上で、やっと手にいれることのできる秘密の力、とでもいうようなのが老人力というものだ。
 刑務所にいったり、離婚したり、倒産したり、夜逃げしたり、糖尿病になったり、肝硬変になったり、立ち食いソバを食べたり、立ち小便を他人に見られたり、とにかくありとあらゆる苦労の末にやっと手に入れられるのが「
老人」である。
 あ、老人か、なるほど恰好いいなあとかいって、5万円払って老人になる、というわけにはいかないのである。

 そういう貴重な得がたい老人力なんだけど、ひどくみんな嫌がられている。
 みんな物を忘れたり、ヨボヨボするのが嫌いだからである。
 みんな者を覚えたい、できるだけ情報をたくさん欲しい、と思っている。
 
老人力の特徴としては
〇 物を忘れる
〇 体力を弱める
〇 足どりをおぼつかなくさせる
〇 ヨダレを垂らす
〇 視力のソフトフォーカス、あるいは目の前の物の二重視
〇 物語の繰り返し
 などいろいろあるのだが、それをみんなが’嫌がる。

 とかく世間の風潮としては、
〇 物を覚えたい
〇 体力をつけたい
〇 足どりをしっかりしたい
〇 ヨダレを垂らさない
〇 視力ははっきり
〇 お話は簡潔に一度で
 ということをモットーにしている。

 いわゆる「プラス志向」ということだけど、プラスが全部プラスになるとは限らないのだ。
 老人力はプラス志向などでは決してつかめないものである。
 じゃ「マイナス志向」がいいかというと、これが難しい。
 プラス志向のまま早とちりして、マイナスに向かったものは、そのまま人生のどん底に落ちてしまう。
 これは「
プラスの悲劇」といわれている。





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2009年11月28日土曜日

:生活レベルを落していかなきゃ


● 1994/12



 オレの芸人としての生活が大きな曲がり角にきたことは確かだし、大袈裟にいえば、経済を含めた日本の社会も、おなじような角を曲っているのかもしれない。
 偶然だけど、オレが
時代のカナリアのような役を演じているって思うときがある。

 団塊の世代とその前の世代が頑張って世界に胸をはれる経済を築き上げてきたことがあるんだけれども、それはかなり無理して作ったもんだから、オレたちの老後を、今の調子の経済のまんまで行こうっていうのは、そもそも無理だろう。
 無理だとすると、自分たち団塊の世代生まれたときの貧乏だった頃の意識に戻るっていうか、そのスタートラインの感じで生きられれば幸せだ、と思えなければダメなんじゃないか。
 例えば、今まで30万円のマンションに暮らしていたのが、老後を考えた時に10万円のマンションで暮らすような気力がないといけない。
 そのためには、お金をかけなくてもいいような趣味を見つけるとかしないとね。

 この先、60歳までなんとか働いたとしても、その時期に生活のレベルを落として、60歳から70歳までの10年間を遊んで暮らせるような生活レベルに落とすような努力をしないとヤバイかもしれないね、我々は。
 だからサラリーマンの人が必要経費を使って、ワイワイ夜の街で騒いでいたとして、リタイアした時に、それと同じような生活レベルは決して出来ない、と覚悟していないとね。
 若いときからそういうことを考えて努力して、金をもっているヤツはそれでもいいけど、のほほんとやっているヤツが、老後を今までと同じようなレベルで送ろって、そもそもそれは間違いだよね。
 で、気がつくのは50歳からでもいいけど、50歳からの10年というのはシュミレーションだよね。
 自分がリタイヤした後にどういう生活をするのかのシュミレーションを働きながらやっていって、生活レベルを落としていかなきゃしょうがないよ。

 オレは月5万円のアパートでも大丈夫だってところがあるね。
 寝られる場所さえあればいいって感じがする。
 結局は、女房子どもとか家族のことを考えて、
生活のレベルが低いと家族がかわいそうだ
 とか思っているんだろうが、まあ女房ってのは別だけど、本来、子どもってのは何もないとこから「成り上がっていく」ものだよ。
 ある程度のレベルで子どもを育てると、それから下に落としたくないし、もしも落ちたときのショックってすごいでしょ。
 人間は、自分が働いた分で食っていくのが基本だから、子どもは親の金で生きていくべきじゃない。
 親は子どもに大したものを残すべきじゃないし、財産としてはごく一般的な教育っていうか、世間が大学まで出すから大学まで出してやったことで、いいんであってそれでじゅうぶんだよ。
 
 しかし、こんなことを言っていられるいのも、オレが芸人として成功したからであって、まあまあの余裕があるからだ。
 もし、オレが普通のサラリーマンで家族があるとしたら、長期入院でいつ仕事ができるか分からないって立場はとてつもなく辛いものだよ。
 40代50代の事故や病気って、そういう危機になるね、確実に。








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:アッケなさの上にある人生に意味などない


● 1994/12



 年寄り連中が食い物にこだわって、あれが食べたい、これが食べたいっていう気持ちがよくわかる。
 「
その楽しみしかなくなる」し、それだけを頼りにして、生きていけるんだ。
 なんだね、余分な金はいらないけれど、歳をとったとき、食いたいものを食えるだけの金を用意しておかないと、まずいかもしれない。
 ガキみたいなことを言うけどさ、
「人生ってなんだろう」
 て感じるね。
 そして、「
なんの意味もない」ってことがよくわかる。

 事故のまんま死んでいれば、日々に疎くなっていく、間違いなくね。
 いや、非難しているんじゃなくて、人間ってそいうもんだから’。
 死んだヤツにいちいちこだわり続けていたら、ニッチもサッチもいかなくなるぜ。
 しかも、死なずに済んで、こうやってベッドに寝ながらあれこれ考えていて、今までの人生、何が楽しくて、何は大切で、何に執着してきたのか、まるで分からない。
 あってもなくてもよかったものばかり、そんな気持ちになってしまう。
 どれもがゴミと泡みたいなもんんだよ。
 人生、何ものこらないな。

 いろいろ忙しくやってきたけど、単なる人生の騒ぎに乗っかって、乗っけられてきただけのような気がするの。
 ちょっとは立ち止まって、考えないと、まずいよな。
 どうもね、妙な感覚なんだけど、瞬間瞬間に世界が生まれていて、前の瞬間の世界と、次の瞬間の世界とは、必ずしも繋がっていない、瞬間瞬間に別々の方向に世界が続いているんじゃないかって思うことがあるんだ。
 瞬間瞬間に泡のように無限に世界が生まれている。
 それをたまたま無意識で’選んで、結果、今の世界が目の前にあるってことのような気がする。
 別の世界で、別のオレが何をやってるんだろう。
 あれだね、人生ってのは、そういう瞬間の数珠つなぎのようなものなんじゃないかな。
 『だからどうした』
 と突っ込まれると、返す言葉はないんだけど。 
 まあ、そういう感覚ね。

 この日の夜に見舞ってくれた友人が、オレの話のメモを」残している。
「ガキみたいなこと言うけど、お釈迦様とかキリストの言葉をジックリ読んでみたいね。
 オレの生きる目的っていうのは、つまるところ、どういう風に考えたらいいんだろう。
 オレが生き残ったのも、あるいは死んでいたかもしれないのも、ほんの気まぐれで決められている。
 それは否定しようがないよね。
 そういう「
アッケなさの上にある人生」ってやつに、本質的な意味を求めていいもんだろうか、って思うんだ。
 飯を食って寝て、一日が終わり、そうして寿命が尽きるまで、ただやり過ごす、動物のような生き方が本質なのかもしれない。
 病人として入院しているのが、芝居の役をやっているだけだって感じがしてさ。
 どうも、リアルなものに思えないんだ。
 こんな体験したんだから、退院したら、今までとは違う生き方を少しはやりたいと思うけど、それが何であるのか分からない。
 この先、日本ではどんどん年寄りが増えて、しかも長生きしたいっていう連中ばかりでさ。
 そんな「
長生き自慢の動物」があふれかえったらどうしようもないよ。
 自分の健康に、異常に気を使っているヤツが多くてさ、どうして、もっと
死ぬことを考えないのだろう」。
 右上がり神話は崩壊したっていうのに、
寿命だけは右上がりだと信じているヤツ
 がいっぱいいる。







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:病院という制度


● 1994/12



 今度の事故は、「変えろ」っていうお告げだよ。
 オレからすべてが発していることなんだから、自分でケツを拭いていくしか方法がない。
 お医者さんの判断を頼りに、オレの生活を変えてはいけない。
 オレの勘でいくしかない。
 そうやって、結果がダメだったら、「
オレがそれだけのヤツだったってこと」さ。
 もうね、オレ変わらないといけないんだ。
 オレはあの事故で死んだって不思議じゃないんだ。
 死んでいたと考えれば、この先、オレのやり方で通せばいいってことだね。
 他人のいう通りにやったら、お終い(おしまい)ってことだ。
 他人の言うことを聞いてだめだったらどうにもならないよ。
 やり過ぎだったんだから、いい潮時だよ。
 だからさ、手術はもうやらない。

 現代的な大病院を患者としてみると、医療システムがものすごいほどの検査道具のアンサンブルだってことがよくわかる。
 素人の考えでいうと、ほとんどの病院の人たちは、人間の意志力とか精神力とかを、最初から全く相手にしてないんだよ。
 検査による分析データとその解釈によって治療するという方法論が、実に徹底して、個人の顔が違うように異なるはずの個体差とか気持ちの部分は相手にされないんだ。
 それはどこの病院でもおなじだろうが。
 大病院に入ったら、その瞬間に、先生に自分の体を預けちゃっているんだよね。
「お願いします」
 なんだよ。
 その時点でもう負けている。
 病気になった個人なんて、病院という制度の前にはえらく弱いものなんだ。
「これ手術しなくちゃいけない」
 って医者から’言われたら、答えは、
「はい」
 しかないんだよ。

 看護婦さんから、
「偏食して肉類食べていないから、タンパク質の上がりが遅い」
 って叱られても、
「オレは今までこれで生きてきたんだ。
 病院が勧めるものなんか食わねえよ。
 じょうだんじゃない、それで死ぬならそれで’かまわない」
 ってワガママを言えばいい。
 それで死んだとしてもしょうがないだろう。
 病院の中でも、どっかに自分を出して、自分の色をつけないと駄目なんだよ。
「全部よろしくお願いします」
 ってのは対極的なものだ。
 これはオレの持論だけど、オレは自分の色を押し通すんだ。
 だから、手術は嫌だっていったの。

 確かに普通は、1%の可能性にでも賭けて、
「何をやってもいいから、治してくれ」
 っていうももかもしれない。
 そりゃあ、オレだって、あんまり腹が痛くて、腹を切れば治るってのなら頼むけど、オレの顔面麻痺は痛くないし、普通の生活するに何の問題もないんだ。
 オレが納得すればいいだけの話だから。

 手術を決めるってことは、医者の先生が決定権を持つってことになるわけで、そんなことまで医者に主導権もたれたら、オレが駄目になる。
 運よく生き残ったこの先の人生、それをどう生きるかは自分の意志が決めるもので、手術をどうするかってことに、オレの精神力がかかっていると思ったんだ。







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:動物としての人間


● 1994/12



 一番なさけなかったのは、尿道に管を突っ込まれて垂れ流し状態を続けたというのが、どうにもならない。
 これ情けない。
 自分の排泄物まで他人に管理されてしか生きられない、っていう事実に圧倒されたよ。
 ほんとうにどうにもならないんだもも。
 顔がどうなろうとも、とにかく「歩かせて欲しい」って言ったんだ。
 二足歩行をはじめれば、他のことはどうにでもなるって思ったんだ。
 野生というか人類が歩き始めた頃というか、要するに動物そのものに。
 傷ついたライオンが餌にありつけず、結局ほかの動物に倒されて、その餌になっていくわけで、それが自然界の掟であって、例外はない。
 オレもその例外じゃない。
 人間の体はそういうもんだ。
 死んだり身障者になったりしても、じつに自然なことじゃないか。
 野生ってのはそういうことだ。

 いまの時代、医療技術が発達しているから、オレも怪我ぐらいはちゃんと治してもらえるわけで、それはすごくありがたいことなんだけど、精神的にはとても辛いことだったね。
 人間、歩けず動けずっていうことは決定的にピンチだよ。
 カミさんに食い物を口に入れてもらったことあるけど、こんなことしていたら駄目だって、生理的に感じたね。
 人の力でものを食わせてもらっているのは「
動物じゃない」よ。
 自分で生きるための糧を、自分の力で運べなくなったら終わりだよ。
 自分で食って自分で排泄する、これが「
動物としての人間」の条件だと思う。
 動物としての人間が根本だとして、自分の力で
食べて排泄して歩く、これが三大条件だ。
 それが満たされないと、意識とか意志とかが、動き回る余地がない。
 人間らしさがのっかている基盤が失われてしまうと思うね。

 辛いといえば、点滴にはどうしても馴染めなかった。
 薬も含めて栄養を点滴で入れているんだけど、これはどう考えても「人間的でない」んだよ。
 点滴している姿って、動物として不完全なヤツってこと。
 つまりさ、点滴しているってのは、それをしないで放っておくと死んでしまうぞ、ということと同じだ。
 やっぱり、生命力が駄目になった動物は死んでいくべきだと思うね。
 日本のような先進国の人間は、医学の力で死んで当然なところを生かしてもらえるわけだ。
 どうもそのへんが納得できない。

 傷ついたライオンに点滴してやって、
「お前はまだライオンだ」
 と言ってやったって、それはもうライオンじゃないよ。
 「寝たきりライオン」とか聞いたことないぜ。
 いくら文化というクッションが人間を支えているにしろ、やっぱり自分で歩いてエサをあさるという基本形を忘れてしまうのは、人間でも辛いものがあるよ。
 だけど、そういう強がり言っても、いずれは点滴様におすがりすることになるわけで、ほんとの最期は弱ったもんだと思うけど。
 誰にでも、もうすぐ、そういう時期が来るんだから。








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2009年11月27日金曜日

:退院記者会見


● 1994/12



 記者会見はさ、マスコミとしては、オレが瀕死状態で口がきけないぐらいで出てくるのを本当は期待しているんだ。
 人間、やっぱり他人の不幸が楽しいんだ。
 とにかく入院が長引いて、できれば容態が悪化して死んでくれないかって思っているに間違いないね。
 そういう魂胆だよ、連中は。
 「早くよくなって、普通の生活と仕事を初めてください」
 なんて口では言うけどさ、お決まりの儀礼的な挨拶にすぎないよ。
 関係ないヤツが死んだ時でも「ご愁傷さま」っていうのと同じ、その程度のことだよ。
 容態悪化で危ないって記事の方が売れるんだから、絶対に。
 それでメシを食って、生きているんだ。
 そうやっていても、少しもバチは当たらない。
 「他人の不幸を記事にするなんてことはしてはいけない」
 なんてことを考えるヤツはいない。

 他人の不幸を見て楽しんじゃってる、もっと不幸を見せてくれっていう部分があるよ。
 それがいま生きている人たちの心の基本形じゃないかと思うね。
 「ありがとうございました。皆様のご支援のおかげです」
 といっている姿を見るよりは、
 「たけしは廃人になってタレント生命が終わった」
 という方を見たいわけだよ。
 他人の不幸を見ることによって、いまの自分がどんな位置にいても慰められる。

 他人の不幸を糧にして生きているヤツはいっぱいいるわけよ。
 そう考えてくると、人間自体が出来損ない、だっていうことよ。
 だからオレは共産主義は理想的宗教だと思っているけど、共産主義の考え方は間違いじゃないと思っているんだ。
 問題は、そういう立派な道具を扱えないってことだよ、人間ていうヤツは。
 「みんは平等で、みんなで働いて、なるだけ分かちあおう」
 なんてことは、誰でも納得するじつに当たり前のことだよ。
 しかし、それが自分のものにできないのが人間なんだよ。

 オレはこの顔面麻痺を背負っていくしかないだろう。
 この、ムンクの『叫び』のようになった顔で歩いていくしかないよ。
 どうにかこうにか、ボロボロの縫いぐるみだった体に、オレがなじみ始めていることだし。

 
記 者:あの、今回、奥様がたいへん献身的な看病をされた
    ようですけど。
たけし:ウーン、本当に、カミサンに今さら挨拶したってしょう
    がないし。
記 者:お嬢さんも途中からお見舞いにきてたんですか?
たけし:子どもですか?
記 者:ええ。
たけし:子どもは一切寄せつけないから。
記 者:はあ、それは何かあってですか?
たけし:オレの教育方針だから。
    オヤジはいない、と思えってのは。
    別に、あの、自分の親もそうですけど‥‥。

記 者
:あ、お母さんもお見えになってませんね?
たけし:え? ウチの?
記 者:あ、いらしたんですか?
たけし:ウチのおふくろ?
記 者:はい。
たけし:ウチのおふくろは2回くらい来た。
 
   「死んじまえ
    と言う。

    「世間様に対して申し訳がたつか
    って言われて。

    「根性がありゃ死ね
    って言われたんだけど。

    ウチの母親はすごい



注).ということは、生きているビートたけしは「根性なし」ということになってしまうのだが。




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顔面麻痺:はじめに:ビートたけし


● 1994/12



 8月2日(1994)の未明って時刻にバイク事故を起こし、新宿の東京医大病院に救急車で運び込まれた時、意識はなかった。
 すぐに集中治療室に入れられて、検査とか投薬とかを次々にほどこされているときも、まるで意識はなかった。
 両手と胸、腹をベッドにくくり付けられ、身動き一つできない状態が2日ほど続いた。
 その間も意識は戻らなかった。
 時々、うめいたり、うわ言のようなことや会話の切れ端を言っていたようだが、ほとんどは眠り続けていた。

 集中治療室には8月9日までのほぼ1週間いて、世話をしてくれた人たちの言うには、入院3日目からはそれなりの会話をかわしていたようだが、いまとなってはまるで覚えていない。
 目を覚ましている時、条件反射のように受け答えはしていても、ちゃんとした意識はなかったのだと思う。
 ことの次第をそれなりに意識して、意味ある話ができるようになったのは一般病棟に移ってからのことだ。

 最初の1週間は夢の中にいたようなものだ。
 夢を見ていたんだと思う。
 どんな夢かというと、自分で初めて運転したバイクがガードレールにガーンとぶつかって、宙を飛んだからだが道路に叩きつけられ、そのまま魂が抜けてしまって、グンニャリと死体みたいになったのが、ポンと転がっている。
 それがビートたけしって男の縫いぐるみだった。
 中身が抜けてヨレヨレになった縫いぐるみは、やけに軽くて片手で簡単に持ち上げれれる。
「 なんだ、これ。
 ああ、顔がズタズタになっちゃってる。
 頭がへこんでじゃってるじやないか」
 それで、縫いぐるみを持ったまま、ちょっと考えたんだ。
「 ああ、こんな縫いぐるみを着て、この先、まだ生きていかなくちゃいけないのかな。
 これを着るのかどうか、決めないといけないのか」
 ってね。
 どういう筋道かわからないけど、
「 まあ、しょうがないから、それはそれで着ていこうか」
 って気持ちになっていた。

 そういうふうにして夢から覚め、面会謝絶の病室で点滴の栄養と薬で支えられながら、一歩も歩けないクズのような体を相手にする生活が始まった。






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2009年11月24日火曜日

だからこうなるの:我が老後:佐藤愛子


● 1997/11



 原稿のつづきを書いているうちに深夜になった。
 雨はまだ降り続いていた。
 夜半過ぎ、庭でどさっと物の倒れるような音がしたが、気に留めずに仕事をつづけた。
 こういう時、たいていの人はすぐに見回りに出るらしいが、私はいつもほうっておく。
 夜盗のたぐいであれば、そのうち家の中に入って来るだろうから、その時に対応すればよい。
 賊と戦って勝てばそれでよいし、負けたら負けたでかまわない。
 そのときの気運に任せるのがよい。
 人生73年生きたのだ。
 たいていのことは経験してきた。
 おかげで欲しいものも、楽しいこともない代わりに、怖いものもなくなった。
 来るものは何でも来たらええ-----
 そんな気持ちになってしまった今日この頃なのである。

 「この節は新聞も雑誌も低調ですね。読みたいというものがないわ」
 などとえらそうに言っているが、読みたいと思わないのは記事が低調なためではない。
 活字が見えにくいため、読みたいと思わなくなっているのだ。
 「ものいわぬ婆アとなりて年の暮れ」
 という趣になり果てるのであろう。
 呉服屋がやって来て例によって反物見世を広げる。
 ああいい色だ、いいデキだ、とつい手に取るが、すぐ思う。
---どうせそのうち死ぬんだ。
  買ってもしょうがない-----
 「白内障の手術は簡単ですよ」
 と手術を勧められる。
 だが思う。
---あと少しの辛抱だ。
  そのうち死ぬ-----
 手術のために時間とお金を使っても、まもなく死んではつまらない。

 私には40代の頃から「これでなければイヤ」という口紅がある。
 だがその口紅は日本橋の高島屋へ行かなければ売っていないので、出不精の私は2年に一度か、3年に一度、2,3本まとめて買うのを常としていた。
 今、使っているものは何年前に買ったものか忘れたが、最後の1本が大分減ってきている。
 たまたま高島屋に用があって出かけ、そのことを思い出した。
 そうだ、ついでに-----と思って売り場に行き、今までのように2本ください、と言いかけて、待てよ、1本でいいかと思いなおした。
 2本買っても残ったらもったいない。
 1本にしておこうか?
 しかし、と考えた。
 今、使っているものが半分と少しある。
 それを使い切るまで様子をみたほうがいいんじゃないか?
 「あッ、ごめんなさい。ちょっと」
 と言って私は売り場を逃げ出した。
 なにが「ちょっと----」だ、と思いつつ。

 この話を聞いた人はほとほと呆れ果てた、といわんばかりに、
 「どうしてそう、
ケチなんですかア」
 とため息をついた。
 うーん、やっぱりこういうのを「ケチ」というのかなあ。
 私としては「ケチ」というより「
死生観」と言って欲しいのだが。

 桃咲いて爺イなかなか死にもせず    紅緑

 死ぬ死ぬという奴ほど長生きをする、と誰もが言う。
 こんなに死ぬことばかり言いながら、「婆ア、なかなか死にもせず」と言われることになるかもしれない。







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:過剰の理論


● 1995/01[1982/10]



 バタイユの普遍経済理論の枢軸は「過剰の理論」である。
 バタイユは『呪われた部分』でこう述べている。

 生命体は。地表のエネルギーの働きが決める状況のなかで、原則としてその生命の医事に要する以上のエネルギーを受け取る。
 過剰エネルギー(富)は一つの組織(例えば一個の有機体)の成長に利用される。
 もしも、その組織がそれ以上成長いないか、あるいは成長のうちにことごとく摂取されえないなら、それを利潤抜きで損耗しなければならない。
 好むと好まざるとにかかわらず、華々しい形で、でなければ破滅的な方法で、それを消費しなければならない


 別の言い方で、この論旨を補ってみると、次のようになる。

 生命の最も普遍的な条件、つまり太陽エネルギーがその「過剰発展の根源」であるということだ。
 太陽は返報なしにエネルギーを(富)を配分する。
 太陽は与えるだけで、決して受けとらない。
 太陽光線は地球の表面にエネルギーの過多を発生させる。


 「呪われた部分」とは、この過剰(豊かさ)であり、それは奢侈的浪費の瞬間に明瞭に姿を現す。
 過剰理論は二段構えになっている。
 第一に、
根源的過剰という意味での過剰概念がある。
 それは太陽エネルギーの贈与である。
 このレベルでの過剰は、アプリオリな過剰である。
 あらゆる生命体は、ひたすら受動的に、
与える者としての太陽から、過剰の富を受け取るしかない。
 それは宇宙論的アプリオリである。
 第二に根源的過剰を土台として、その上で展開する「過剰化-過少化」の運動がある。
 過剰化とは、成長蓄積である。
 過少化とは、成長蓄積で膨れ上がった過剰分を破壊し損耗することである。

 本題から逸れるが大切なことなので繰り返す。
 バタイユは『呪われた部分』の後半で、1960・1970年代でようやく気づかれだす地球人類の社会的・政治的危機の根元をえぐり出し、
地球規模での財のトランスファー(先進国による後進国への援助の先取り)、つまり「贈与」政策を提起している。
 当時、誰が「マーシャル計画」の背後にかくされている、普遍経済的贈与論の意味をバタイユ以上に気づいたものがいただろうか。
 バタイユの考えでは、過剰蓄積分は歴史上しばしば大抵は軍事・戦争にまわされてきたが、現代ではそれは破滅となる。
 それにとって代わるには、ムダにも思える宇宙競争でもやらせておいた方が危機を回避できる、といったところだろう。
 1945年頃にバタイユが予感したことは、その後、国債規模で現実化した。
 世界史はバタイユが描いた軌道を走った、とも言える。








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2009年11月23日月曜日

:謎としての貨幣


● 1995/01[1982/10]



 人類の生活史のなかには、今でも解き明かされていない数々の謎がいっぱいある。
 なかでも貨幣は最大の謎のひとつである。
 どのような意味で、貨幣は人間にとって謎なのであろうか。

 金であれ紙幣であれ、貨幣は日常的には交感手段や計算基準の役目を果たす。
 なぜそんな役目があるかといえば、貨幣があらゆるものと交換可能だからである。
 なぜ貨幣はあらゆるものと交換可能なのであろうか。
 ここまでくるとナニが何だか分からなく。
 貨幣とはそういうものだ、というしかない。
 いろいろ解釈が出されているが、つまるところはもっともらしい経済学的解釈でしかないのである。

 貨幣は原則としていつでもあらゆるものと交換可能であるという特質をもっている。
 いったいどうしてこんな神のごとき能力を貨幣がもっているのであろうか。
 貨幣の万能性はモノから来るのではなく、人間の社会関係から来ると考えるのが筋道である(金貨ならまだしも実物主義で処理できるようにみえたが、紙幣では実物で説明できるものではない。一枚の紙からどうして万能性が出てくるのか)。
 貨幣の力が人間の社会関係から出てくるという点に、「記号としての貨幣」、「貨幣の記号性」がある。
 「記号」は何事かを指示するだけでなく、「何ごとかの意味」を表す。
 だから貨幣も、商品の価値を指示するだけでなく、価値現象の社会的意味をも表現しているのである。

 価値現象は決してモノから発生しない。
 価値とは、すぐれて人間的現象である。
 価値現象は、一人の人間からは決して生まれない。
 人と人との関係、あるいはコミュニケーションからのみ価値現象は生まれる。
 価値とは社会関係に固有のもの、社会関係があってはじめて生まれる独特の現象なのである。
 この価値を代理的に表現するものが、社会関係を律するものとなる。
 社会関係は必ず価値を発生させ、同時に価値によって支配される。

 コミュニケーションの最も恐るべき実態は次のように定式化される。

 共同体の全員が心をひとつにして(心を鬼にして)、ただ一人(一つ)のものを排除すること。

 こうして排除されたナニものかと、それが生きる空間が、第一次的には「けがれ」の存在と空間である。
 この排除空間は、共同体の「内なる外」の空間であって、共同体の排出するすべてのケガレ(エントロピー)を吸収してくれる。
 排除空間を作れない社会関係は、社会関係でありえない。
 近代マーケット・システムの貨幣メカニズムは、排除空間の設定を絶妙な合理性をもって実現したともいえよう。
 貨幣は近代経済の中でも、単なる交換手段ではなく、なによりも社会に内在する「けがれ」を吸収し、解消する空間なのである。
 不可視の排除空間であることこそ、近代貨幣の本質なのである。

 近代社会は、以前のどの社会と比べてもたとえようもない莫大な過剰欲望とエネルギーを生み出している。
 また、それに応じて莫大なケガレも生み出している。
 これらの過剰分を何かが吸収し、これらのケガレを何が吸収し、流してくれるのか。
 それは、貨幣以外にはない







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2009年11月22日日曜日

暴力のオントロギー:はじめに:今村仁司


● 1995/01[1982/10]



 力と暴力、戦争と闘争といった文化現象は、社会科学と社会哲学にとって避けて通ることのできない根源的諸問題である。
 それらの現象は、社会形成と「社会体」の運動や歴史の基礎にあり、逸脱的病理現象ではない。

 社会理論の構成が精緻に仕上げられていくとき、闘争現象は抹消されることがしばしばある。
 ひとたび理論構成の前提を問うとき(これが社会哲学の課題をなす)、この抹消こそがきわめて問題的となる。

 社会思想は、常に何らかの形で、既存の秩序から「はみ出る」要素を持つことによって、社会生活と実践にとっての意義を持つ。
 いいかえれば、直接的に可視的な空間を超え出る別種の空間を産出するのが、実践的な社会思想の課題であろう。
 この超え出た何ものかを「剰余」とよべば、この剰余空間こそ最も重大な社会的思想的空間となる。

 平和の可能性は、ひとたびは暴力と闘争と戦争という地獄のなかをくぐりぬける必要がある。
 平和の思想は、何よりもまず戦争の思想(戦争を考える)をもって始まる、とういうのはやはり真実であろう。

 社会の起源は、言語の起源と同じく、科学的には処理できない。
 われわれの考察は、よって経験科学的考察ではない。
 社会形成の「仮説的で条件的な推理」、つまりあえて言えば「思弁的」考察がわれわれの課題である。
 思弁的という用語は、ここでは肯定的に使用される。
 経験的な観察材料を基に理論を構成することは、いかに注意深く科学的手続きに則るとしても、つねに思弁的を免れるものではない。
 科学的認識の前提は、つねに「思弁的」性格を有する。

 社会理論を体系的に記述しようとするとき、どの論者も社会形成の原点に精細な工夫をこらす。
 この原点の考察を導く思考のタイプは「仮説的・条件的」な推理であるほかないのである。
 これを称して「思弁的」という。





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2009年11月17日火曜日

:宇宙和食


● 1994/10[1994/09]






 1993年11月、「自慢の和食を向井さんへ」とシャトルに積む宇宙料理の募集記事が新聞に掲載された。
 「ユニークな日本の食文化を国際的に紹介し、NASAの宇宙食に和食を提案しよう」という趣旨である。
 募集期間は25日間と短かったのにも関わらず、1,730通にも上る応募があった。
 


 NASAの宇宙食はすでに百種類を越え、そのメニューも豊富である。
 今では形態も国際線ジエット旅客機の機内食並みになり、オーブンで加熱したり、湯を注入して食べられるようになった。
 飛行士はNASAの検査さえパスすれば、市販の保存食品も限られた量だけ持込ができる。

 宇宙食には、
①.汁や粉が飛び散らないこと
②.きつい匂いを発しないもの
との制約がある。
 このため、汁のそば、ウドンは原則的に不可能とされる。



 NASAの宇宙食の製作手法はまだオープンになっていない。
 NASAの宇宙食の基本的な条件は、「軽いこと」と「保存性が高いこと」だ。
 スペースシャトルには冷蔵庫や電子レンジの調理設備がないので、37.7度で30日間以上の保存に耐えられなければいけない。
 そのために「凍結乾燥(フリーズドライ)」、あるいは「加圧加熱殺菌(レトルト)」などの方法で加工することが必要である。

 まず、応募のレシビの提案通りに調理した。
 油を使っているものは「レトルト」、それ以外は「フリーズドライ」で加工した。
 3回目の試食会は、宇宙料理を20品目に絞り、2月28日にNASA・ジョンソン宇宙センターのフード・ラボ(宇宙食研究室)で開いた。





 特に注目されたのは、果物デザートの「旬の果物の幸せ煮」だった。
 これは生の果物の味や香り、食感をそのまま活かしながら、保存性を高めるために、日本独自の超高圧処理法を使ったものである。
 海底4万メートルの圧力に相当する「4千気圧」の超高圧を10分間かけるもので、日本もマルハを含めて2社しかもっていない加工技術だ。
 NASAにもない食品加工方法が認められるかどうか不安もあったが、飛行士たちからは「ぜひとも果物が欲しい」という要望が強く、搭載が決まった。
 スプースシャトルでは、新鮮な野菜や果物は最初の2,3日しか食べられないが、超高圧処理してあれば飛行中いつでも食べることができる。
 日本の技術がアメリカの宇宙食の歴史に新たな一ページを開くことになった。

 さらにこの中から入選の9品目が選ばれ、佳作の4品目とあわせた合計「13品目」がすべてNASAのチェックをぱすし、コロンビアに搭載された。
 「和食を宇宙へ」の食品技術者たちの夢はかなえられたのだ。












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:無重力状態


● 1994/10[1994/09]



 宇宙飛行士の大半が飛行中に背中の痛みや、身長の伸びを報告している。
 重力の重みがかからないため、背骨が伸びることが原因と見られる。
 向井千秋の身長は2.5cm伸びた。



 無重力状態では、血液などの体液は頭部や上半身に偏ってしまう。
 クルーの顔がむくんだようになる「ムーンフェイス」になるのもこのためだ。
 だが、地上に戻った時には急速に体液が引き戻されるので、脳へ流れる血液が不足し、脳貧血状態を引起こすことがある。

 宇宙で気持ち悪くなって吐く現象は「宇宙酔い」であるが、この発症のきっかけは、天井や床、壁と自分の位置関係、つまり上下、左右の位置が混乱したときに起こる。



 調子がおかしくなりそうになると、5,6秒かけて上下、左右の位置を決めをし、調整した。
 こうした工夫で早期に克服した千秋は2日目からは吐いたりすることはなくなった。
 カバナが妙な提案をした。
 「天井と床をかえてみると面白い」というのだ。
 千秋は早速ためした。
 5,6秒かけると天井が床に見えてきた。
 だが、壁を天井に見ることはどうしても無図化しかった。
 人間の感覚は180度の変化はだませても、90度の変化はごまかせない。
 どうしてだろう。



 これまでの有人宇宙体験を生かして生活様式の改善はかなり進められたものの、例えば用をたすにしても、重力がないので排泄物は自然に落ちない。
 大便は電気掃除機のような装置で吸引し、それを回転羽で振り回して、密閉便器の内壁にくっつけて固定させてしまう。
 小便はホースに個人用アダプターをつけて吸引する。
 いったん排水タンクにためた後、船外に排出される。
 すると氷の塊となり、太陽光を受けて輝きだすため「宇宙ホタル」と呼ばれる。























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2009年11月16日月曜日

メダカと飛んだ15日:スペースシャトル:向井千秋


● 1994/10[1994/09]



 スペースシャトルは、飛行士が乗り組む大きな翼のついたオービター(機体)と、巨大な燃料タンク、左右2つの固体補助ロケットから構成される。
 直径約8.5メートル、高さ47.1メートルの巨大な赤色の燃料タンクにとりつけられた白と黒のオービターは、まるで巨木にセミがとまっているかのように見える。



 ロケットのように垂直に打ち上げたあと、約2分後に左右2つの固体補助ロケットを切り離す。
 約9分後に外部燃料タンクを使い切って分離し、オービターだけで宇宙飛行を続ける。



 地球への帰還は推進装置を使わずに、翼だけでグライダーのように地球に降りてくる。




 打ち上げ時と帰還時に身につけるオレンジの「フライトスーツ」にも工夫が凝らされている。
 重量が35kgと重いうえに、びっしょりと汗をかくほど暑いので、お世辞にも着心地が良いとは言えない。



 このスーツにはパラシュートからトランシーバー、救命ボート、電池、飲料水など緊急脱出後に必要なさばいばる7つ道具がとりつけられている。

 PS(搭乗科学技術者)としての訓練は、ジョンソンウチュウセンターから千キロほど離れたアラバマ州のマーシャル宇宙飛行センターで行う。
 珍しいのは船内テレビカメラの操作や写真撮影訓練である。
 巨費を使って宇宙開発だけに映像として多くの国民に伝えるのが目的だが、歴史作りの好きなアメリカ国民の記録主義の表れでもある。
 着陸訓練はカリフォルニア州のエドワーズ空軍基地で実施する。
 ヒューストンを本拠地に、各地のNASA施設を回って、宇宙飛行士のになるためのノウハウを着実に身につけていく。

 千秋は特に訓欄マニュアルに感動した。
 自動車学校の講義とよく似ており、1つのステップを終了すれば次のステップへと移る。
 できなければ何度でもおなじことを繰り返してマスターさせる。
 インストラクターも十分訓練されていて、誰が担当しても同じことを的確に説明してくれる。
 例えば、スペースシャトルから緊急脱出して海上にパラシュートで緊急着陸する「ウオーターサバイバル」訓練もそうだ。

 海上に放り出されれるのはだれでも恐怖を感じる。
 だからNASAの訓練では、最初はボートの上から海に飛び込み、徐々に難度を上げる方法をとる。
 救急車も大気していて、飛行士に何かあれば、すぐ病院に運べるようになっている。

 訓練の97%は不要だといわれている。
 それは考えられる最悪の状態を想定して作ったからだ。

 カリキラムとシステムがよくできているのです。
 一歩一歩訓練をしゅうとくしていくと、いつの間にか目の前に宇宙への旅立ちの日が待っているとのシナリオ構成には本当に驚きました

 膨大なマニュアル、きめの細かい訓練方式を作り上げたスタッフのクロウの大きさに、千秋はアメリカの宇宙開発の奥深さを見た。
 ジョンソン宇宙センターの巨大な施設には確かに圧倒される。
 だが施設を造るだけではなく、それを間違いなく何年も維持・運営していくスタッフの力にもかんしんしたのだった。
 
 日本の宇宙開発はロケットや人工衛星などの、形に現れるものには予算を出す。
 だが、スタッフの実地教育などのソフトト面の充実の投資は余りにも少なすぎた。
 日本の有人宇宙開発の体制作りが、アメリカと比べてまだ序の口にも達していないことを痛感したのもこの時だった。

 例えイヌ一匹といえど、宇宙に送り出すには全般的なシステム作りが必要です。
 それすらやっていないということは、残念ながら何も出来ない、ということになるのです
」 







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