2009年12月29日火曜日

:耐える男の失敗


● 2008/12


 告白するが、わたしは教えるのが苦手だ。
 犬に「お手」を教えることだってできたたためしがない。
 犬だけではない。
 何人かの人間に試してみたが、やはり「お手」を教えることができなかった。

 結婚後も、妻に「妻のあり方」を教えることに失敗した。
 夫への尊敬心を教えようともしたが、
 「尊敬される夫になれ」
 と、言われただけだ。
 いま思うと、そういうことを教えようとしていたころは、まだ希望に燃えていた。
 最近は妻に「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利が憲法で保障されている」と説いているが、「憲法で保障されているなら安心よね」と言われただけだった。
 今後は、児童虐待防止法を持ち出し、動物愛護法に訴えるつもりだが、見通しは暗い。

 今こそ妻に説教するときだ。
 こんなチャンスは生涯に一度あるかどうかだ。
「人間、忍耐が大切だ。
 古今の偉人を見てみろ。
 忍耐しないでエラくなった人はいないんだ」
 --------
「わたしは何かを決めるときは、まず<我慢できないか?>と自問する。
 しかし、お前は何をするにも<我慢する>という選択肢を考慮だにしない。
 わたしは我慢できることは何でも我慢しているんだ。
 お前に足りないのは忍耐心だ」
 こう諭すと、妻が言った。
「ヘー、そんなに我慢強いとは知らなかった。
 あなたがエラくないのは、忍耐が足りないからだと思っていた」
「冗談言っちゃ困る。
 わたしは耐えに耐えているけど、エラくなれないだけなんだ。
 世の中、耐えてもエラくならないこともある。
 わたしの場合は、エラくないことにも耐えているから、ただエラいだけの人よりも忍耐力が強いんだ」
 ---------
「本の整理はどうなったの?
 いつも<体調が悪い>とか言ってやらないじゃないの。
 忍耐強いのなら、体調が悪いくらい耐えられるでしょう」
「わたしだって、すっきり整理されている方がずっと気分がいい。
 でも、わたしはあえてこの乱雑さに耐えているんだ。
 お前が小言をいうのは分かっているけど、あえて小言にも耐えているんだ。
 むろん、体調の悪いことにも耐えている」
「結局、ただの自堕落なだけじゃないの」
「自分の自堕落なところにも耐えているんだ」

 自分がどんな失敗をしたかは後にならないと分からないのだから、速断は禁物だ。
 成功か失敗かも後になってみないと分からない。
 結婚に失敗したと思っても、死に際になって、実は成功だったというということがわかる可能性も、想像を絶しているが、皆無ではない。
 しかし、それを一般化して、
 「人生の成功失敗は、死ぬ間際にならないと分からない」
 と言えるだろうか。
 「言えない」
 と、わたしは思う。
 「人生」全体には成功も失敗もない、と思うからだ。

 成功・失敗は、何らかの目標に照らして決まることだ。
 的がなければ当たりも外れもないのと同じである。
 人生には「目標達成」以外に多くの面がある。
 たとえば日曜日の朝、テレビを見て外出し、公園に行ってのんびり散歩して、ベンチで昼寝し、その後、喫茶店で論文とミステリを読んで帰宅した場合、
 この日曜日は成功だったのか、失敗だったのか
 この問いに意味があるだろうか。

 そう思いながら帰宅する。
 と、妻が激しい剣幕で
「今日は本棚を整理するといっていたでしょっ」
 と言った。
 日曜日は、明らかに失敗だった








【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】


_

:「死亡リスク」


● 2008/12



 情報は必ずしも有益なものとはかぎらない。
 ある朝、新聞を広げると、赤鉛筆で記事を二重三重に囲ってある。
 明らかに自然現象ではない。
 最近、新聞がカラー化したといっても、記事を赤で囲うとは考えられない。
 妻のしわざに決まっている。
 不吉だ。
 妻はすでに外出した後だ。
 読むと、60歳以上の夫婦を調査した結果を報じたもので、妻が夫と暮らすと、死亡リスクが2倍になるという記事だった。
 一方、夫は妻と暮らすと死亡リスクは半分になるという。

 衝撃的な記事だ。
 「死亡リスク」の意味が分かっていたら、もっと衝撃的だろう。
 要するに、男女が同居すると、一人で暮らすより女の寿命は縮み、男の寿命は延びるというのだ。
 以外だった。
 私の考えでは、男女が同居すると、男はストレスがかかって早死にするが、女はストレスが少ないから長生きすると思っていたから、逆の結果だ。

 この記事の影響は大きい。
 かなりの数の中高年の女が離婚しようかと迷っている。
 この記事を読んで、離婚しないと早死にすると考えて、離婚に踏み切る女もでるのではないかと思う。
 もちろん、男からすれば、そんな女はいない方がいい。
 長生きのために去っていくような身勝手な女が去ってくれるもは大歓迎だ。
 だが、この記事によれば、そういう女は長生きし、去られた男は早死にするのだ。

 女は記事を読んだ後は、夫を見るたびに
 「こんな男のために命を縮めているのか
と確実に思うようになる。
 下手すると殺意が芽生えるかもしれない。
 殺人まではいかなくても、身体に悪いものを食べさせるようになる可能性は高い。
 男の寿命は短くなる。

 問題は、なぜ妻がこの記事を赤で囲ったかだ。
 別れるつもりなら、こんな回りくどい方法を使う女ではない。
 たぶん妻のメッセージは
 「命を縮めてまで一緒にやっているのだから、もっとわたしを大事にしろ」
 というものだろう。
 今まで以上に無茶な要求が増えるに違いない。
 それを考えると、寿命が縮む思いだ。

 翌日の新聞に、ある男がその記事を妻に読まれないように切り抜いた話が載っていた。 
 新聞を切り抜くのは、通常、後で読み返したり、保存しておくためだが、人に読ませないために切り取るということもあるのだ。
 切り抜くと、かえって怪しまれるのではないかと思う人もいるかもしれないが、-----
 情報隠匿が悪いと言っている場合ではない。
 自分の命がかかっているのだ。
 とにかく、女が先に読むと赤で囲み、男が先に読むと切り抜くほど、その記事は男にとって迷惑な記事なのだ。

 数日後、朝刊を広げると一部が切り抜かれていた。
 明らかに妻のしわざだ。
 わたしに読まれると、非常に困る記事があったのだ。
 もしかしたら、「死亡リスク」の記事が誤報だったという記事かもしれない。

 





【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_

2009年12月28日月曜日

ツチヤの貧格:500回に思う:土屋賢二

_


● 2008/12



 本連載が500回を迎えた。
 週一回、かかさず500回続けたことといえば、連載のほかには、毎週日曜日を迎えたことぐらいしかない。

 最初、連載の話をいただいたとき、わたしは賢明にも、書けることは数回で尽きるだろうと予想し、お断りした。
 だが、
 「書くことがなくなって初めて真価が出る」 
 と言われて、真価が出ては困ると思いながら、愚かにも引き受けたのだ。
 わたしの場合、500回続けるのは人一倍困難だった。

 こうみえても、わたしは
  忍耐力がない、
  根性がない、
  無責任だ
 と言われ続けてきた男だ。
 これだけのハンデを背負いながら500回続けるのは、快速電車に乗って千駄ヶ谷で降りるぐらい難しいのだ。
 わたしをいい加減な男だと非難している連中は、この数字をかみしめてもらいたい(連載内容はかみしめないでもらいたい)。

 さらに、わたしには弱点が相当あり、わたしの文章を読んでも分からないかもしれないが、弱点の中には文章力も含まれる。
 文章力がない者が書くのだから、サルが「キラキラ星」を歌うようなものだ。
 一回分書くのも人一倍困難なのだ。
 それを500回続けるのは、わたしの場合、快速電車に乗って水道橋で降りるぐらい難しいのだ。

 しかもそれまで論文か論文調のエッセイしか書いたことがなかったのだ。
 -------
 わたしには1回1ページのコラムは未知の分野だった。
 当時50歳を過ぎていたわたしには、これは困難な挑戦だった。
 それでも連載を引き受けたのは、その困難さに気づかなかったからだ。
 (人間が困難なことに挑戦するのは、たいてい事情を知らないからで、わたしに予知能力があったら、執筆も結婚もしなかっただろう)。
 
 うまく書けないのは論文調でないからだと、わたしはずっとそう思っていた。
 だが、わたしは論文を書くのも苦手だということを、つい最近気がついた。
 どっちみち、困難は避けられなかったのだ。

 その上、わたしは変化に乏しい生活を送っている。
   旅行に行くこともなく、
   一日警察署長を務めたりすることもなければ、
   臨死体験をするわけでもなく、
   宇宙人と遭遇するわけでもない。
   行動範囲は狭く、
   刑務所に入っているのと大差ない、
 だから書く材料が乏しい。

 もちろん変化のない生活でも、問題は次々起こる。
 だが、何が起こっても、書けることと書けないことがある。
 書くと被害が及びそうなことは書けないし(妻のことは、遠慮なく書いているように思われるかもしれないが、本当に言いたいことは書けていないのだ)、
 表現力がなくてかけないこともあれば(チャルメラの音やギョーザの匂いの描写など)、
 想像力がなくて書けないこともあり(ミドリガメになった気持ち)、
 知識がなくて書けないこともある(タンザニアの法大系など)。
 人の悪口を書きたくても、相手に落ち度が一つもなかったりするのだ。

 これだけの障碍を考えれば、500回続いたのは新幹線に乗って田町で降りるのに等しいと思う。
 』






【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_

2009年12月16日水曜日

冥府回廊:後書:杉本苑子


● 1984/11



 だいぶ前に、私は『マダム貞奴』という小説を書きました。
 題名が示す通り、女優の草分けと言われる井上貞奴を主人公にした作品です。
 このとき、もし将来機会が得られたら、福沢桃介を間に挟んで、貞奴とはライバルの関係にあった房子(桃介の妻)の視点から、もう一度、同じ素材をみつめ直してみたいと考えました。
 ところがたまたま昨秋、貞奴をテレビドラマ化したいとの要望がNHKからもちこまれたため、かねての念願を実現すべく「オール読物」誌上に、短期集中連載の形で発表したのがこの『冥府回廊』です。
 単行本にまとめるに当たり、さらに80枚ほど加筆しましたが、つまり貞奴側から書いた『マダム貞奴』と、房子側から書いた『冥府回廊』の二作品が、昭和60年度NHK大河ドラマ『春の波涛』の原作ということになります。

 『冥府回廊』執筆のさいは、大西利平氏の福沢桃介翁伝、宮寺敏雄氏の財界の鬼才福沢桃介の生涯など、桃介研究の定本と評してよいご労作をはじめ、桃介はかくの如し、桃介式、無遠慮に申し上げ候など福沢桃介自身の著述、同じく川上音二郎・貞奴漫遊記、欧米漫遊記などの音二郎自身の著述、福沢諭吉の書簡集、杉浦翠子の兄桃介を悼むの歌、純愛三十年斉藤茂吉の手紙などなど、小説の登場人物みずから筆をとったもの、また比較的新しい著作物では宮岡謙二氏の旅芸人始末書、山口玲子氏の貞奴に関する評伝、あるいは演劇画法はじめ雑誌や新聞、大同製鋼、関西電力、北海道炭鉱汽船株式会社などの社史や出版物、慶応義塾百年史など、個人法人を問わずおびただしい資料の恩恵にあずかりました。

 さらに貞奴の養女川上富司さま、房子のお孫さんの福沢直美さま、-------など、有縁のかたがたから貴重なお話や御教示をたくさん頂戴できたことも、感謝のほかありません。
 ご遺族としては、登場人物の性格設定や扱いなどに、トキにご不満、ご不快もあったろうとお察しいたします。
 しかし、小説というものをよくご理解くださり、お心ひろくお力添えいただけたのは、身に余る仕合せでした。

 上村松皇画伯が、すばらしい白孔雀のお絵の、表紙への流用をこころよく許してくださったのもありがたいことです。









【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_

2009年12月12日土曜日

:運命が許してはくれない時が


● 2006/04[2005/06]



 孤独は、その人の感傷を気持ちよく酔わせ、漠然とした不安は、夢を語るにおいて一番必要な肴になる。
 ひとりで孤独にさいなまれながら、不安を携えて生きている時。
 実はそれは何にも恐れてはいない時なのであり、心、強く生きているときなのである。
 句読点もなくめくれゆく日々。
 見飽きてしまった四季の訪れ。
 それは止めどもなく繰り返されてくれるのだろうと、うんざりした眼で眺めている。
 毎日は、ただ緩やかに、永遠にループしていくのだと考えている。

 まだ、何も始まってはいない。
 自分の人生の始まるべきなにか。
 その何かが始まらない苛立ち。
 動き出さないあせり。
 しかし、その苦しみも、何かが始まってしまった後で振り返ってみれば、それほどロマンチックなことでもない。
 
 本当の孤独は、ありきたりな社会の中にある。
 本物の不安は平凡な日常の片隅にある。
 酒場で口にしても、グチにしかならない重苦しくて特徴のないもの。
 どこに向かって飛び立とうかと、滑走路をぐるぐる回り続けている飛行機よりも、着陸する場所がわからずに空中をさまよう飛行機の方が数段心もとない。

 この世界と自分。
 その曖昧な間柄に、流れる時間が果てしなくなだらかに続くが、誰にでもある瞬間から、時の使者の訪問をうける。
 道化師の化粧をした黒装束の男が無表情に現れて、どこかにあるスイッチを押す。
 その瞬間から、時間は足音を立てながらマラソンランナーのように駆け抜けてゆく。
 それまで、未だ見ぬ未来に想いを傾けて穏かに過ぎていった時間は、逆回転を始める。
 今から、どこかにではなく。
 終わりから今に向かって時を刻み、迫り来る。

 自分の死、誰かの死。
 そこから逆算する人生のカウントダウンになる。
 今までのように、現実を回避することも、逃避することもできない。
 その時は、必ず誰にでも訪れる。
 誰かから生まれ、誰かと関わってゆく以上。
 自分の腕時計だけでは運命が許してくれない時が。

 五月のある人は言った。
 「東京でも、田舎町でも、どこでも一緒よ。
 誰と一緒におるのか、それが大切なこと」
 と。







【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_

:自由らしき幻想


● 2006/04[2005/06]



 東京には、街を歩いていると何度も踏みつけてしまうくらいに、自由が落ちている。
 落ち葉のように、空き缶みたいに、どこにでも転がっている。
 故郷をわずらわしく思い、親の眼を逃れて、その自由という素晴らしいはずのものを求めてやってくるけど、あまりにも簡単に見つかる自由のひとつひとつに拍子抜けして、それをもてあそぶようになる。
 自らを戒めることのできない者の持つ、程度の低い自由は、思考と感情をマヒさせて、その者を身体ごと道路際のドブに導く。
 ぬるくにごって、ゆっくりと流されて、すこしづつ沈殿してゆきながら、確実に下水処理場へと近づいていく。

 かって自分が何を目指していたのか、なにに涙していたのか。
 大切だったはずのそれぞれは、その自由の中で、薄笑いと一緒に溶かされていった。
 ドブの中の自由には、道徳も、法律も、まはや抑止する力はなく、むしろ、それを犯すことくらいしか、残された自由がない。

 漠然とした自由ほど不自由なものはない。

 それに気づいたのは、様々な自由に縛られて身動きがとれなくなった後だ。
 大空を飛びたいと願って、それが叶ったとしても、それは幸せなのか、楽しいことなのかは分からない。
 結局、鳥籠の中で、今居る場所の自由を、限られた自由を最大限に生かしている時こそが、自由である一番の時間であり、意味である。

 就職、結婚、法律、道徳。
 面倒で煩わしい約束事。
 柵に区切られたルール。
 自由は、そのありきたりな場所で見つけて、初めてその価値がある。
 自由めかした場所には、本当の自由などない。
 自由らしき幻想があるだけだ。

 故郷から、かなた遠くにあるという自由を求めた。
 東京にある自由は、素晴らしいものだと考えて疑いがなかった。
 しかし、誰もが同じ道を辿って、同じ場所へ帰っていく。
 自由を求めて旅立って、不自由を発見して帰ってゆくのだ。

 五月のある人は言った。
 「あなたの好きなことをしなさい。
 でも、そこからが大変なのだ」
 と。







【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_





_

:ひまわり畑のおばけ


● 2006/04[2005/06]



 子どもの一日、一日は濃密だ。
 点と点の隙間には、無数の点がぎっちりと詰まり、密度の高い、正常な時間が正しい速さで進んでいる。
 それは、子どもの順応性が高く、
後悔を知らない生活を送っているからである。
 過ぎたるは残酷までに切り捨て、日々訪れる輝きや変化に、節操がないほど勇気を持って進み、変わってゆく。
 「なんとなく」時が過ぎることは、彼らにはない。
 
 大人の一日、一年は淡白である。
 単線の線路のように前後しながら、突き出されるように流れて進む。
 前進なのか、後退なのかも不明瞭のまま、スローモーションを早送りするような時間が、ダリの描く時計のように動く。
 順応性は低く、振り返りながら、過去を捨てきれず、輝きを見出す瞳は曇り、変化は好まず、立ち止まり、変わり映えがない。
 ただ、「なんとなく」時が過ぎてゆく。

 自分の人生の予想できる、過去と未来の分量。
 未来の方が自分の人生にとって重たい人種と、もはや過ぎ去ったことの方が重たい人種と。
 その2種類の人種が、同じ環境で、同じ想いを抱いていても、そこには明らかに違う時間の流れ、違う考えが生まれる。


 人間の能力は、まだ果てしない可能性を残している、のだという。
 その個々の能力の半分でも使えている人はいない、らしい。
 それぞれが自分の能力、可能性を試そうと、家から外に踏み出し、世に問い、彷徨う。
 その駆け出しの勢いも才能。
 弓から引き放たれたばかりの矢のように、多少はまっすぐに飛ぶものだから、それなりの成果は生んでしまう。
 全能力の1,2パーセントを弾きだしただけでも、少しは様になってくる。

 ところが、矢の軌道も孤を描き始める頃、どこからか、得たいのしれない「感情」が滲んでくる。
 肉体もやつれ、なにかしら考えはじめる。
 この先に「幸福」 があるのだろうか、と思い始める。
 能力は成功をもたらしてくれても、幸福を招いてくれるとは限らない。
 こんなことを想い始めたら、もう終わりだ。
 人間の能力に果てしない可能性があったにしても、人間の「感情」はすでに、大昔から限界がみえている。

 日進月歩、道具が発明され、延命の術が見つかり、今の私たちは過去の人類からは想像もできないような「素敵な生活」をしている。
 しかし、数千年前の思想家たちが残した言葉や、大昔の人々が感じた「感情」や「幸福」についての言葉や価値は、笑えるくらいに何も変わっていない。
 どんな道具を持ち、いかなる'環境に囲まれても、「ヒト」の感じることはずっと同じで変わっていない。
 感情の受け皿には、もう可能性はない。
 だから、人間はこれから先も永遠に潜在する能力を出し切ることはできない。
 「幸福」という、ひまわり畑にいるオバケを意識した時から、まだ見ぬ己の能力など一銭の価値もなくなる







【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_


2009年12月7日月曜日

:淋しいのではなく、悲しいのでもない


● 2006/04[2005/06]



 「親子」の関係とは簡単なものだ。
 はなればなれに暮らしていても、ほとんど会ったことすらないのだとしても、親と子が「親子」であることに変わりはない。
 ところが、「家族」となると、その関係は「親子」はど手軽なものではない。
 親子関係は未来永劫に約束されるが、「家族」とは生活という息苦しい土壌の上で、時間をかけ、努力を重ね、時に自らを滅しても培うものである。
 しかし、その賜物も、たった一度、数秒のいさかいで、いとも簡単に崩壊してしまうことがある。
 「親子」は足し算だが、「家族」は足すだけでなく引き算もある。

 「親子」よりも、さらに、簡単になれてしまうのが「夫婦」と言う関係。
 ふざけた男と女が、成り行きで親になり、しかたなく「家族」という難しい関係に取り組まなくてはいけなくなる。
 ことなかれにやり過ごし、ホコリは外に掃きださずとも、部屋の隅に寄せてさえおけば、流れてゆく時間がハリボテの「家庭」くらいは作ってくれる。
 しかし、ひびの入った茶の間の壁に、たとえ見慣れて、それを笑いの種に変えられたとしても、そこから確実にすきま風は吹いてくる。
 笑っていても、風には吹かれる。
 立ち上がって、そのひび割れを埋める作業をしなくてはならない。
 そのひび割れを、恥ずかしいと感じなければいけない。

 恐ろしく面倒で、重苦しい「自覚」というもの。
 その自覚の欠落した夫婦が築く、家庭という砂上の楼閣は、シケ(時化)ればひと波でさらわれ、砂浜のに家族の残骸を捨ててゆく。

 砂にめり込んだ貝殻のように、子どもたちはその場所から、波の行方を見ている。
 淋しいのではなく、悲しいのでもない。
 それはとてつもなく冷たい眼である。
 言葉にする能力を持たないだけで、子どもはその状況や空気を正確に読み取る感覚にたけている。
 そして、自分がこれから、どう振舞うべきかという演技力も持っている。
 それは、弱い生き物が身を守るために備えている本能だ。

 「夫婦にしかわからないこと」、よく聞く言葉だ。
 しかし、「夫婦だけがわかってない、自分たちのふたりのこと」を、子どもや他人は涼しい眼で、よく見えているということ、もありうるのだ。





【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_


東京タワー:リリー・フランキー


● 2006/04[2005/06]



トンネルを抜けるとそこはゴミタメだった

 春になると東京には、掃除機の回転するモーターが次々と吸い込んでいくチリのように、日本の隅々から、若い奴らが吸い集められてくる。
 暗闇の細いホースは、夢と未来へ続くトンネル。
 転がりながらも胸躍らせて、不安は期待がおさえこむ。
 根拠のない可能性に心ひかれる。
 そこへ行けば、何か新しい自分意なれる気がして。
 しかし、トンネルを抜けると、そこはゴミ溜めだった

 埃がまって、息もできない。
 薄暗く狭い場所。
 ぶつかりあってはかき回される。
 ぐるぐるぐるぐる、ぐるぐるぐるぐる。
 愚鈍にみえる隣の塵も、無能に思える後ろの屑も、輝かしいはずの自分も、ただ同じ、塵、屑、埃。
 同じ方向に回され続けるだけ。
 ぐるぐるぐるぐる、同じゴミだ。
 ほらまた、やってくる。
 一秒前、一年前の自分と同じ。
 瞳を輝かせた
塵、屑、埃。
 トンネルの出口からこの場所へ。
 ここは掃除機の腹の中。
 東京というゴミタメ。
 集めて、絞って、固められ、あとはまとめてポイと捨てられる。

 こんな時代の若い奴らに、自分自身の心の奥から、熱くたぎり出る目的なんかありはしない。
 「夢」という言葉に置き換えて、口にする奴がいたにしても、その「夢」の作り方は、その辺のテレビや雑誌のページをとりあえず、自分のくだらなさに貼り付けただけのもの。
 日本の片隅からのこのこやって来た者などに、目的と呼べるものがあるとすれば、それはただ、東京に行くということだけ。
 それ以外に、本当は何もない。
 東京へ行けば、何かが変わるのだと。
 自分の未来が勝手に広がっていくのだと。
 そうやって、逃げ込んで来ただけだ。


 「貧しさ」は比較があって、目立つもの。
 この街で生活保護を受けている家庭、そうでない家庭、社会的状況は違っても、客観的にどちらがゆとりのある暮らしをしているのかもわからない。
 金持ちが居なければ、貧乏も存在しない、
 東京の大金持ちのような際立った存在がいなければ、あとはドングリの背比べのようなもの。
 誰もが食うに困っているでもないなら、必要なものだけあれば貧しくは感じない。
 
 しかし、東京にいると、必要なものだけしか持っていない者は、貧しい者になる。
 「必要以上」のものを持って、初めて一般的な庶民であり、「必要過剰」な財を手に入れて、初めて
豊かなる者になる。
 "貧乏でも満足している人はお金持ち、
  それもひじょうな金持ちです。
  金持ちでも、いつ貧乏になるかとびくついている人は、「冬枯れ」のようなものです"
 「オセロー」の中のこんなセリフも、東京の舞台では平板な言葉にしか聞こえない。

 必要以上を持っている東京の住人は、自分のことを「貧しい」と決め込んでいる。
 あの町で暮らしていた人々は、金がない、仕事がないと悩んでいたが、自らを「貧しい」と感じていたようには思えない。
 「
貧しさたる気配」が、そこにはまるで漂っていなかったからである。

 搾取する側とされる側、そういう気味の悪い勝ち負けで明確に色分けされた場所で、個性や判断力を埋没させてしまっている自が姿に、貧しさが漂うのである。
 
必要以上になろうとして、必要以下に映ってしまう
 そこにある東京の多くの姿が貧しく悲しいのである。
 「貧しさ」とは美しいものではない。
 醜いものでもない。
 東京の「見どころのない貧しさ」とは、醜さではなく、「汚」である。





【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_


2009年12月2日水曜日

ブラウン監獄の四季:井上ひさし


● 1977/03[1977/02]



巷談俗説によるNHK論

 ぼくは24歳の秋から38歳の春まで、主にNHKの仕事をして口を糊してきた。
 また昨夏から昨秋にかけては、「NHK基本問題調査委員会」の構成員のひとりでもあったため、この放送局についてはかなり関心を抱いている。

 ぼくの私的な調査によれば、テレビに番組を提供したり、コマーシャル・メッセージを流したりしている会社は、平均2%から4%のテレビ宣伝費を商品の値段に含めているようだ。
 さる高級化粧品会社の重役からこっそり耳打ちされたところでは、化粧品の場合は商品値段の1割近い額がテレビ宣伝の方へさかれているという。

 だが、もしここに次の如き別のタイプの人間がいたらどうなるか。
 彼は、米、麦、魚、肉、野菜などの基本的な生活資材のみで暮らしている。

 これらの、人間が生きていくにために欠かせないヒナモノは、ぜったいにCMの時間には登場しない。
 これはたいへん重要な事実である。
 つまり、テレビを宣伝媒体としている商品は、われわれの生活に必ずしも欠かせないモノではない。
 いやむしろ、なくてもすむような商品ばかりが、民放のテレビに番組を提供している。
 といってもいいだろう。

 朝、ヒゲを剃るときは彼はジレットは使わない。
 どこかで手にいれた小刀式のカミソリを用いている。
 剃ったあとに「ブラバス」など塗らない。
 真水で軽く顔を洗うだけである。
 食事もテレビで宣伝している類は一切しりぞける。
 そんな人間がいるものか、とおっしゃる読者もあるだろうが、実は大勢いるのだ。
 だいたい、かく言うぼくがこのタイプである。

 「国民のNHK」、これを日本放送協会は好んで口に出すが、これは
たわごとである。
 だいたい国民などというものは存在しない。
 顔も背も考え方もそれぞれにちがう1億1千万人の人間がいるだけである。
 大は天皇制についての考え方から、小は山口百恵がいいか桜田淳子がいいかとという考え方までそれぞれに違う。
 それを「国民」などとひとまとめにくくってしまう神経は雑である。
 せめて
 「政府と自民党と、それを支えけしかけ励ます財界官界のためのNHK」
 と言ってくれればまだ正直でよろしいが。
 いまの日本放送協会は、説明の要もあるまいが、少数派の、言ってみれば日本の支配階級の私有物である。
 ----

 だらだらと巷談俗説をあげつらってきたけど、ぼくはテレビも見世物である以上は、
 「お代は見てのお帰り」
 という考え方に立って、あれこれの判断をくだすべきである、と考えている。
《視聴者のためのNHK》
《全国民放送》
 と言いたいのであれば、どうかそのような番組を見せてもらいたい。
 なるほどそうだ、と思えれば代金(受信料)はきちんと払おう。
 そして、
《NHKはたしかに、われわれのために番組を作っている。
 すくなくともその努力はしているようだ》
 と考えた者が、NHKと受信契約を結び、その人たちがこの局の出費を負担すればよろしい。

 このために、まず、テレビ受像機を改造しなくてはならぬ。
 A型は「NHKも民放も受信できるもの」
 B型は「民放しか受信できないもの」
 という具合に。
 そしてA型テレビの価格の中には、5年間のNHK受信料を加算してしまう。
 NHKはみたくないという人はB型にすればよろしい。
 突飛なようだが、NHKが生まれ変わるには、こういった方法しかないと思われる。
 この方法をとったら、A型テレビを買う人は少なく、NHKがたちゆかぬ、ということになれば、それはそれで仕方がない。
 そういう放送局なら、一時も早くなくなるのがいいのだ。
 ぼくはA型テレビを買う部類だろう。

 さる人が、「いったい、NHKの番組に、観るに値するものがあるかね」と聞いてきた。
 この局にも少しはいい番組もあるのだ。
 番組の好き嫌いは各人の好みによる。
 ある番組がなぜいいかは私の「偏見」が決めるのだ。
 アタリマエだが。
 まず、放送終了前の「天気予報」番組のフィルムと音楽がいい。
 あのフィルムを眺め、あの音楽を聴いていると、なんとなく「ああ、これで一日おわったわい」と思う。
 つぎに「新日本紀行」のテーマ音楽がよい。
 「おれも、やっぱり日本人だわなあ」という気分になる。
 いつだったか、夏の終わりの夜、山形のイナカの縁先でエダマメを噛みながらこのテーマを聞いたときは、心の底からしみじみとなり、思わず涙がこぼれたものだ。
 「日本史探訪」はおもしろい。
 
 選挙のときのNHKはじつにおもしろい。
 これは選挙そのものがおもしろいのあって、NHKがおもしろいわけではないが。









【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_


2009年11月30日月曜日

:死んでからも楽しい老人力


● 1999/02[1998/09]



 老人力とはまず、ボケですね
 ボケて名前を忘れたり、約束を忘れたりする。
 忘れるけど、それで頭はかえって開かれるってこともあるんです。
 なんていうか、警戒心がなくなってくるんです。
 歳をとると頭のガードが緩んで、「もういいや」って感じになってくる。
 すると、むしろ吸収がよくなって、逆に活性化する。
 新しいものが入りやすくなる。
 忘れることの
しょうがなさ、と言うか、面白さと言うか。

 もう見栄も体裁もいいやって感じになる。
 若いころって、そういうものがいろいろ気になるものでしょう。
 老人力で踏み込む世界というのは、次から次、
死ぬまで未知の局面が現れてくるということでもあります。
 けっこう新鮮な思いができるんじゃないかって気がする。
 臨死体験じゃないけだ、ヘタすれば
死んでからも楽しいんじゃないかって、なんて考えたりして。
 老人力の極大は、死んじゃうことだから。
 老人力を100%発揮したときは、この世のことはすべて忘れてしまうということ。

 自意識っていうのは、ないと困るけれども、自意識過剰の空回りは健康によくない。
 歳をとると鈍ってきて、オレってまたこんなことやってるぞ、みたいに自分を客観的に見る余裕が出てくる。
 どこかで人間チョボチョボ、みたいに思っているんじゃないかな。
 そのところはたぶん誰でも一度は通るんじゃないかな。
 「ちょぼちょぼ」についても分かってくると、自分の限界が分かってくる。
 面白いことに、限界がわかってからの方が、かえって自分のやりたいことができるようになったりする。
 中年のころは、あれもできる、これもできるはずだって思っている。
 ところが、現実は厳しい上に、周りを見渡せば、自分よりすごいことを、どんどんやっているやつがいる。
 ああ、オレはこの程度のものだったんだって、がっかりする’時期がある。
 自分が万能だと思っているうちは、足が地につかない。
 それが自分の「ちょぼちょぼ」を知って、逆に無駄な力が抜ける。
 限られた部分に集中力が発揮できるようになる。
 その細かいところから逆に、面白さがどんどん広がっていく。

 若い人たちは情報社会にひたってるんですね。
 
情報社会って、みんなケチがなるんです。 
 情報を全部抱き抱え込もうとするから、捨てられなくなる。
 僕ももともとはケチなんだけど、老人力って、捨てていく気持ちよさを気づかせてくれる。
 ボンボン忘れていくことのおもしろさ。
 情報的にスリムになると、自分が見えてきて、もとのもとの自分がムキダシになってくる。
 情報で身の回りをかためていると、情報が自分を支えてくれる代わりに、生(なま)じゃなくなってくる。
 自分が何だか、干からびてくんですね。
 だから、いまの人たちって、コツコツ情報をためこんで、けっこう苦しそうだったりするんです。
 使い捨て文化とは違う意味で、情報はガンガン捨てていったほうがいいんです。
 情報は、ドブに捨てる、宵越しの情報はもたねえ、みたいな江戸っ子老人力。
 これいいねえ、
江戸っ子老人力って。
 
テレビなんて、情報のゴミ箱ですよ。
 ゴミの中にも、たまに掘り出し物はありますが。
 
 昔は品格とか志みたいなものが尊ばれたから、計算で動くなんて軽蔑されることだった。
 それがいまはなんでも「
プラス志向」だ。
 計算ずくでも何でも勝てばいい、みたいになっている。
 計算だけが生きて、人が死んでしまったら、元も子もない。
 自分の人生を楽しめるかどうか、だからね。
 計算で果たして気分豊かに生きられるのかなって。

 気品は捨てる潔さから生まれるんだと思います。
 人間も同じで、お金持ちでカッコいい人はお金を超えている。
 貧乏人でも気品ある人は貧乏を超えていますもん。
 気品も老人力も同じです。







【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_


:地球のボス、アメリカには老人力はない


● 1999/02[1998/09]



 お茶の世界で、「侘び」とか「寂び」とかいう言葉がある。
 作りたての新品ツルピカではなく、長年使われて、少し壊れたところが補修されたり、少し汚れがついたり、染みが広がったりして、えもいえぬ味わいが生まれる。
 日本的な美の感覚というか、美意識というか、あれは実は老人力だと気づいて、なんーだと思った。
 物体に味わいをもたらす力というのは、
物体の老人力なのである。
 とすると、老人力というのは
日本文化そのものだ。

 老人力のはじまりは70年代の温泉ブームあたりからで、その後に骨董ブームとか競馬ブームとかになり、そのリーダーであるギャル層にしみ込み、「
おじん趣味」と命名された。
 世に言う「
おじんギャル」である。
 これが世間一般の体内に深く発した老人力の、まだその名も持たぬ受胎告知であったのだろう。
 おおよそ6,7年前にということになるのか。
 世間一般のギャルが老人力を受胎したのである。

  老人力のはじまりは70年代の温泉ブームあたりからからかと思ったが、とんでもない、実は桃山時代まで遡るのだ。
 人間の
ボケ味とも言われる老人力は、古来営々と日本文化の底流として流れ続けていたのである。
 老人力というのは人間に広がるだけでなく、物体にも作用する。
 長年愛用しているシャープペン。
 指の当たるところがだんだん艶アリになってきて、ルーペでのぞくと極細のひっかき線のザラ目で艶消しのところが、長年の指の辺りで擦り減り、このザラ目が消えかけているのだ。
 物体にも老人力がついてくるのだ。
 マイナスの力が作用し、それが独特の味わいになってきている。
 老人力は「
味わいを生む力」だということ。
 だが、古くなってダメになれば、それはみな老人力、というわけではない。
 
古さゆえの快さ、人間でいうとボケ味、つまりダメだけど、ダメで終わらない味わい、というのが出るところが老人力だ。

 このところは、アメリカ人には絶対にわからないだろう。
 アメリカは
老人力理解不能の国である。
 若さとパワーだけを頼りの全員ライフルを片手に、ひたすら前のめりの一つ覚えでやってきた国だ。
 いきなり
 「老人力」
 といわれても、え?、といって、キョトンとした顔しかできず、とりあえずライフルをぶっ放すくらいだろう。
 日本も成金趣味というのはそういう風で、ちょっとでも古くなるとすぐ嫌う。
 古くなって擦り減ったのは
即、貧乏と考える。
 古いのを貧乏と考える点で、非常にアメリカ文化だ。
 特に戦後の特徴。
 正しくは、明治以降か。

 
貧乏問題は一度考え直す必要がある。
 貧乏はたしかにダメだけど、ダメな一方で味わいがある。
 ということを主張するのは難しい。
 みんな貧乏はキライで、金に目が眩むから。
 「清貧」ということなら、アメリカ人も一応分かる。
 だいたいの宗教は清貧はいいものだと教えている。
 アメリカ人だって、物欲の後ろめたさが少しはあるだろうから、宗教から言われたら少しは耳を傾ける。
 宗教というのは、いわば「あの世の税務署」だ。
 あの世の税務署の出張所の、一種の予定納税みたいなもので、それをしないと地獄へいくから、アメリカ人といえども無視しにくい。
 宗教に言われるから「「清貧」までは理解する。
 でも、「侘び寂び」はムリだ。

 アメリカ人は老人力はないけど、屈託がないし、やはりモノを持っているから人気絶大だ。
 ぼくらの子どものころは、金に目が眩むというけど、モノに目が眩んで、ころっとアメリカバンザイになってしまった。
 だが、いま地球のボスとなっているアメリカには老人力はない。
 そのことに、自分に老人力がついてきて、やっと気がついた。
 物体に老人力がついてくる。
 茶碗や皿に老人力がついてくると、骨董と呼ばれはじめる。
 アメリカにも骨董屋はあるのだろうか。
 あることはあるが、それはみなネウチもののような気がする。
 金で解決する、例えばトラの敷皮、象牙の何とか----。
 ネウチ以外に面白みのないもの。
 アメリカの骨董屋にはそれ的なものばかり並んでいるように思うが。

 侘びた茶碗にしろ、侘びたペンにしろ、それはアメリカ人にいわせるとダメな茶碗、ダメなペンだ。
 すぐにそれを捨ててしまうアメリカ人がいて、それをすぐ真似したがる日本人がいる。
 いや、いてもいいんだけど、捨ててどうなる。
 でもどの道、終末は近いのだ。
 』






【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_


:テキトーにして、反努力の力


● 1999/02[1998/09]



 重要なことは「テキトー」である。
 テキトーであることが、ぼくらを根村してくれて、物忘れを実現してくれる。
 では、そのテキトーとはなんなのか。
 どう定義すればいいのか。
 これが難しい。
 
定義するとは、テキトーを排除することである。
 だから、テキトーを定義するとなると、テキトーがなくなってしまう。
 困りましたね。
 でも定義しよう。
 テキトーとは「
反努力」のことだ。
 眠る、忘れるということは反努力の力である。
 そういう努力しない力というのが、この世のどこかにあるはずなのだ。
 この反努力という力というのが、老人力の実体ではないのか。

 昔は学校に行かずに働く子を可哀想だといった。
 いまはむしろ働けずに学校に行っている子が可哀想。
 昔は可哀想だった売春が、いまやそれ自体がファッションになっている。
 この時代に、一元的な努力のとどく範囲は知れている。
 反努力を現実の問題として考えないといけないんじゃないだろうか。

 いまの世の中は
自力思想というか、自主独立というか、個人の自由というか、とにかく「」というものが正義のシンボルになっている。
 独自の考えで、自由な発想で、ということをすぐに言われる。
 自分がちゃんとある人は、それでもいい。
 でも大方は自分が大してない人であり、そんな人が「自由」な発想でやると、単にめちゃくちゃになるだけである。
 人間の頭というのは、いったん「主義」に頼ると、その主義以外は判断停止の状態に陥ってしまう。
 おしなべて、自分なんてちゃんとしていない人が世の中には多い。
 それがほとんどだ、といっていい。
 本当は、「他」にまかせないといけない、ことが多くあるんだけど、それを逆にこの世の中の自由主義というものが許さない。
 というわけで世の中、とんどん自由主義のパワーで硬直化していってしまう。
 
 老人力の場合はあくまで微弱な現象である。
 まあ、老人力というのはその程度のものである。
 
複雑系というこのところ脚光を浴びてかけている学問がある。
 そこで東大の先生のところに取材にいったが、チョットしたこと、取るに足りないこと、を問題にしていた。
 もっとも何でも、新しい物や新しい考えというのは、ちょっとした取るに足らないことからはじまる。
 ふとした考え、ふとした出合い、取るに足りない冗談から、大発見大発明が生まれたりする。
 これは人間の
頭のクセにかかわることで、
 「
人間の頭というのは、いつも最上の一つの考えにたどりつこう
 としている。
 だからいつも撮るに足らぬ考えが、下の方には無数に堆積しているのだ。
 最上の考えが崩れさえすれば、その先にいくらでもフッとした考え、フッとした出合いが待ち構えている、はずなのだ。
 世の中にはわからないことが、たくさんあるのである。







【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_



:小さな楽しみを繋ぎ繋ぎしないと生きていけない


● 1999/02[1998/09]



 思想が偉い。
 感覚よりも頭の方が偉いと思っていた。
 これは若い頃の特徴ということもあるけど、時代の特徴でもある。
 どのころかというと、ソ連崩壊以前の時代。
 革命信仰とか、共産主義信仰の生きていた時代。
 思想信仰が強くあった時代。
 思想の信仰、当時はそれが世の中に強くあった。
 それともう一つ、科学が信じられていた時代ということもある。
 ソ連の人工衛星が飛び、初の宇宙飛行士ガガーリンが飛び、初の女性宇宙飛行士が「ヤーチャイカ」とメッセージを送ってきた。
 その頃が、思想信仰と科学信仰の頂点だった。

 その後はアメリカが意地で頑張って、共産主義は資本主義に抜かれた。
 その辺からちょっと思想信仰の力が衰えはじめた。
 でも科学信仰の方はアメリカが引き継いで、月面までもっていったのである。
 でもこの信仰も、頂点はそこまでだった。
 科学信仰の崩壊を悟らざるを得ないのは、オゾンホールの出現であろう。
 科学のもたらす力が地球を実際的に破壊する現象を見て、科学信仰は崩れはじめた。
 科学はもちろん必要である。
 ただ、その信仰が危ないのだ。

 歳をとると趣味が出てくる。
 趣味に向かうようになる、というのは一般的にそうだろう。
 現役引退という物理的条件もあるし、もう一つ、その人の内部的問題も大きい。
 何といっても若いものの思想信仰が挫折し、挫折ということに関しては思想に限らず他にもいくつも散見することになり、「挫折」は何も特殊なことではなく世の常なんだ、ということを知るようになる。
 「
挫折の効用」とは何か。
 それは「力
の限界」が分かってくることである。
 若いときは何でもできると思ってしまうけど、挫折をめぐって自分の限界が見えてくる。
 世の中での
可能性の限界も見えてきてしまう。
 でも自分は生きている。
 何かやらないと生きていけない。
 お金を稼ぐこともそうだけれど、生きる楽しみでもそうだ。

 小さな楽しみを繋ぎ繋ぎしないと生きていけないもんだ。
 自分の力の限界が見えた後になって、そういう
小さな楽しみが、にわかに切実に感じられてくる。
 それまで思想とか理想とかに君臨されて、趣味なんてそんな小さなものなど、とむしろ軽蔑的に見ていたものが、抑えるフタがなくなると目の前に突然アップされ、細密にアリアリと見えてくる。

 歳をとると、どうしても人生が見えてきてしまう。
 つまり、有限の先が見えてくる。
 その有限世界をどう過ごすか、という問題が出てきてしまう。
 若いころは人生の先がまだ遠く、有限性がわかりにくい。
 だから自分の人生への切実さが少なく、思想の世界のために自分の人生を寄付できると考えてしまう。
 歳をとると、やけに
自分というものが濃厚になってくる。
 他の誰でもない「自分」の人生という
有限時間が確実なものとして、一本の棒のように認識されてくるのだ。

 いまの時代は、改革はともかくとして、革命信仰を持つことができない。
 科学信仰を持つことができない。
 ために、時代そのものにも有限の先がある、ということが見えてきてしまう。
 そういう時代に生まれているため、いまの若者はすでに基礎控除のようにして、みな一律に「
年の功」なるものを持ってしまっているのだ。
 だから年齢的には若者でありながら、一気に老人世界の趣味に走れる。
 ミーイズムとかマイブームという言葉は、その代表だろう。
 本来なら、現役引退の老人が口にすべき言葉である。
 それが、若年層から湧き上がってくるのだ。








【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_


2009年11月29日日曜日

:脳社会における死に至る寿命


● 1999/02[1998/09]



 世の中これからどうなるのだろう。
 文明の発達はいいのだけれど、すべてが計算され、管理され、平均化され、ツルピカになり、その先にあるのはもう退屈だけだといわれていある。
 いままで
 文明の発達を望んで、
 民主主義を望んで、
 自由を望んで
 努力してきたのに、その望みが実現した先に町かめていたのが「
退屈」であるとなると、いったいどこで間違ってしまったのか。
 
望みを持つ、ということそもそもが間違いだったのだろうか。
 人間の世なんて、いつも不完全なものだから、それを何とかしようと望みを持つ。
 努力して、運にも恵まれたりすれば、望みがかない、そうすると次は
退屈地獄
 いや
退屈天国に落ち込むんだとなると、人生とはいったいナンなのか。
 あまり哲学すると嫌われるけど、でも今の世の中、ツルピカの退屈に向けて進路をとっているのは間違いないだろう。
 いったい、この先どうすればいいんだ。

 こういう時、老人力が発見されて、この発見は人々に大喜びで迎えられた。
 必ずしも望んだわけでもない
ツルピカ退屈気分が、老人力によってぼろぼろ削りとられた。
 老人力なんてもともとは冗談なんだけど、老人力と聞いたとたん、みんな一気にそれを理解して冗談じゃなくなってしまった。
 いやあくまで冗談なんだけど、冗談を保持したまま、冗談じゃない世界に突入していくという、ちょっと何といおうか、そういう風なのである。
 そういうとても複雑系の冗談を、みんな一気に獲得する。
 でも根が冗談という人はなかなか少ないもので、日ごろの暮らしはマジメ系で過ごすのが基本となっているのだから、理解はしたが応用はまだ、という場合が多い。

 あぶないですね、老人力は。
 甘く見てはいけない。
 老人力はマイナスのパワーだとかいう逆説を楽しんだりするんだけど、非常に危険な力を含んでいる。
 「死に至る病」とかいうけど、老人力というのは「
死に至る寿命」である。
 この危険を裏返しにして縫い付けているからこそ、ボケ味をはじめとする老人力は精彩を放つのだ。
 老人力の探求は、実は大変なことで、命がけでボケているのだ。
「えーと、そうそう、あれですよ。ほら、あの、あれ‥‥‥」
 といってなかなか名前が出てこないけど、名前は、命がけで忘却の彼方へ遁走しているのである。
 いいですね、命がけは。

 今の世は「脳社会」とかいわれて、どんどん論理におおわれてきている。
 人々のそれぞれの感覚的思考が萎縮してしまって、
 安いから、
 得だから、
 便利だから
 というような論理だけで物事が進み、「隙とか嫌い」はとるに足りないものとして、どんどんゴミ箱へ放り込まれている。
 なかなかうまくいえないんだけど、一つ一つの論理は正しい。
 人権とか民主主義とか、いくつもの正しい論理がズラリと揃っている。
 全部正しいはずなんだけど、その全体が、気がつくと、いつの間にか傾いている。
 論理的には全部正しいはずの世の中の全体が、論理的には見えない落とし穴にズルズルと吸い込まれてはじめている。
 でも幸いなことに、歳をとると人間には老人力がついてくる。
 老人力がつくと、どうしても論理を支える力が抜けてくる。
「まあ、いっか‥‥‥」
 という本音が。







【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_


老人力:物忘れ・イズ・ビューテイフル:赤瀬川原平


● 1999/02[1998/09]



 歳をとって物忘れがだんだん増えてくるのは、自分にとって未知の新しい領域に踏み込んでいくわけで、けっこう盛り上がるものである。
 人生に突入し、幼年域--少年域--青年域、と何とか通過しながら、中年域からいよいよ
老年域にさしかかる。
 そうすると、いままでにたいけんされなかった「
老人力」というのが身についてくる。
 それが次第にパワーアップしてくる。
 がんがん老人力がついてきて、目の前にどんどん「
物忘れ」があらわれてくる。

 ボケの波は迫って来ている。
 名前を思い出せない、用事を思い出せない、日にちを思い出せない、ということが日常化してくる。
 
長老(ぼくはこの仲間<路上観察学会>ではそう呼ばれている)をボケ老人と呼ぶのはちょっとマズイな、自分たちも無縁ではなくなってきているし、みんなどうせボケていくんだから、もっと良い言葉を考えよう。
 ボケ老人というの何かダメなだけの人間みたいだけど、ボケも一つの新しい力なんだから、もっと積極的に、老人力、なんてどうだろう。
 いいねえ、老人力。
 「
老人力
 ということになり、人類ははじめて、ボケを
一つの力と認知することになったのである。
 
物忘れ・イズ・ビューテイフル

 もう何でも忘れてしもう。
 覚えるのはやめよう。
 老人力のパワー全開。
 いくらでも忘れ放題。

 老人力はエネルギーではあるけど。かなり複雑なエネルギーである。
 簡単にそれを手にすることはできない。
 命からがらたどり着いたフトンの上で、やっと手にいれることのできる秘密の力、とでもいうようなのが老人力というものだ。
 刑務所にいったり、離婚したり、倒産したり、夜逃げしたり、糖尿病になったり、肝硬変になったり、立ち食いソバを食べたり、立ち小便を他人に見られたり、とにかくありとあらゆる苦労の末にやっと手に入れられるのが「
老人」である。
 あ、老人か、なるほど恰好いいなあとかいって、5万円払って老人になる、というわけにはいかないのである。

 そういう貴重な得がたい老人力なんだけど、ひどくみんな嫌がられている。
 みんな物を忘れたり、ヨボヨボするのが嫌いだからである。
 みんな者を覚えたい、できるだけ情報をたくさん欲しい、と思っている。
 
老人力の特徴としては
〇 物を忘れる
〇 体力を弱める
〇 足どりをおぼつかなくさせる
〇 ヨダレを垂らす
〇 視力のソフトフォーカス、あるいは目の前の物の二重視
〇 物語の繰り返し
 などいろいろあるのだが、それをみんなが’嫌がる。

 とかく世間の風潮としては、
〇 物を覚えたい
〇 体力をつけたい
〇 足どりをしっかりしたい
〇 ヨダレを垂らさない
〇 視力ははっきり
〇 お話は簡潔に一度で
 ということをモットーにしている。

 いわゆる「プラス志向」ということだけど、プラスが全部プラスになるとは限らないのだ。
 老人力はプラス志向などでは決してつかめないものである。
 じゃ「マイナス志向」がいいかというと、これが難しい。
 プラス志向のまま早とちりして、マイナスに向かったものは、そのまま人生のどん底に落ちてしまう。
 これは「
プラスの悲劇」といわれている。





【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_


2009年11月28日土曜日

:生活レベルを落していかなきゃ


● 1994/12



 オレの芸人としての生活が大きな曲がり角にきたことは確かだし、大袈裟にいえば、経済を含めた日本の社会も、おなじような角を曲っているのかもしれない。
 偶然だけど、オレが
時代のカナリアのような役を演じているって思うときがある。

 団塊の世代とその前の世代が頑張って世界に胸をはれる経済を築き上げてきたことがあるんだけれども、それはかなり無理して作ったもんだから、オレたちの老後を、今の調子の経済のまんまで行こうっていうのは、そもそも無理だろう。
 無理だとすると、自分たち団塊の世代生まれたときの貧乏だった頃の意識に戻るっていうか、そのスタートラインの感じで生きられれば幸せだ、と思えなければダメなんじゃないか。
 例えば、今まで30万円のマンションに暮らしていたのが、老後を考えた時に10万円のマンションで暮らすような気力がないといけない。
 そのためには、お金をかけなくてもいいような趣味を見つけるとかしないとね。

 この先、60歳までなんとか働いたとしても、その時期に生活のレベルを落として、60歳から70歳までの10年間を遊んで暮らせるような生活レベルに落とすような努力をしないとヤバイかもしれないね、我々は。
 だからサラリーマンの人が必要経費を使って、ワイワイ夜の街で騒いでいたとして、リタイアした時に、それと同じような生活レベルは決して出来ない、と覚悟していないとね。
 若いときからそういうことを考えて努力して、金をもっているヤツはそれでもいいけど、のほほんとやっているヤツが、老後を今までと同じようなレベルで送ろって、そもそもそれは間違いだよね。
 で、気がつくのは50歳からでもいいけど、50歳からの10年というのはシュミレーションだよね。
 自分がリタイヤした後にどういう生活をするのかのシュミレーションを働きながらやっていって、生活レベルを落としていかなきゃしょうがないよ。

 オレは月5万円のアパートでも大丈夫だってところがあるね。
 寝られる場所さえあればいいって感じがする。
 結局は、女房子どもとか家族のことを考えて、
生活のレベルが低いと家族がかわいそうだ
 とか思っているんだろうが、まあ女房ってのは別だけど、本来、子どもってのは何もないとこから「成り上がっていく」ものだよ。
 ある程度のレベルで子どもを育てると、それから下に落としたくないし、もしも落ちたときのショックってすごいでしょ。
 人間は、自分が働いた分で食っていくのが基本だから、子どもは親の金で生きていくべきじゃない。
 親は子どもに大したものを残すべきじゃないし、財産としてはごく一般的な教育っていうか、世間が大学まで出すから大学まで出してやったことで、いいんであってそれでじゅうぶんだよ。
 
 しかし、こんなことを言っていられるいのも、オレが芸人として成功したからであって、まあまあの余裕があるからだ。
 もし、オレが普通のサラリーマンで家族があるとしたら、長期入院でいつ仕事ができるか分からないって立場はとてつもなく辛いものだよ。
 40代50代の事故や病気って、そういう危機になるね、確実に。








【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_



:アッケなさの上にある人生に意味などない


● 1994/12



 年寄り連中が食い物にこだわって、あれが食べたい、これが食べたいっていう気持ちがよくわかる。
 「
その楽しみしかなくなる」し、それだけを頼りにして、生きていけるんだ。
 なんだね、余分な金はいらないけれど、歳をとったとき、食いたいものを食えるだけの金を用意しておかないと、まずいかもしれない。
 ガキみたいなことを言うけどさ、
「人生ってなんだろう」
 て感じるね。
 そして、「
なんの意味もない」ってことがよくわかる。

 事故のまんま死んでいれば、日々に疎くなっていく、間違いなくね。
 いや、非難しているんじゃなくて、人間ってそいうもんだから’。
 死んだヤツにいちいちこだわり続けていたら、ニッチもサッチもいかなくなるぜ。
 しかも、死なずに済んで、こうやってベッドに寝ながらあれこれ考えていて、今までの人生、何が楽しくて、何は大切で、何に執着してきたのか、まるで分からない。
 あってもなくてもよかったものばかり、そんな気持ちになってしまう。
 どれもがゴミと泡みたいなもんんだよ。
 人生、何ものこらないな。

 いろいろ忙しくやってきたけど、単なる人生の騒ぎに乗っかって、乗っけられてきただけのような気がするの。
 ちょっとは立ち止まって、考えないと、まずいよな。
 どうもね、妙な感覚なんだけど、瞬間瞬間に世界が生まれていて、前の瞬間の世界と、次の瞬間の世界とは、必ずしも繋がっていない、瞬間瞬間に別々の方向に世界が続いているんじゃないかって思うことがあるんだ。
 瞬間瞬間に泡のように無限に世界が生まれている。
 それをたまたま無意識で’選んで、結果、今の世界が目の前にあるってことのような気がする。
 別の世界で、別のオレが何をやってるんだろう。
 あれだね、人生ってのは、そういう瞬間の数珠つなぎのようなものなんじゃないかな。
 『だからどうした』
 と突っ込まれると、返す言葉はないんだけど。 
 まあ、そういう感覚ね。

 この日の夜に見舞ってくれた友人が、オレの話のメモを」残している。
「ガキみたいなこと言うけど、お釈迦様とかキリストの言葉をジックリ読んでみたいね。
 オレの生きる目的っていうのは、つまるところ、どういう風に考えたらいいんだろう。
 オレが生き残ったのも、あるいは死んでいたかもしれないのも、ほんの気まぐれで決められている。
 それは否定しようがないよね。
 そういう「
アッケなさの上にある人生」ってやつに、本質的な意味を求めていいもんだろうか、って思うんだ。
 飯を食って寝て、一日が終わり、そうして寿命が尽きるまで、ただやり過ごす、動物のような生き方が本質なのかもしれない。
 病人として入院しているのが、芝居の役をやっているだけだって感じがしてさ。
 どうも、リアルなものに思えないんだ。
 こんな体験したんだから、退院したら、今までとは違う生き方を少しはやりたいと思うけど、それが何であるのか分からない。
 この先、日本ではどんどん年寄りが増えて、しかも長生きしたいっていう連中ばかりでさ。
 そんな「
長生き自慢の動物」があふれかえったらどうしようもないよ。
 自分の健康に、異常に気を使っているヤツが多くてさ、どうして、もっと
死ぬことを考えないのだろう」。
 右上がり神話は崩壊したっていうのに、
寿命だけは右上がりだと信じているヤツ
 がいっぱいいる。







【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_


:病院という制度


● 1994/12



 今度の事故は、「変えろ」っていうお告げだよ。
 オレからすべてが発していることなんだから、自分でケツを拭いていくしか方法がない。
 お医者さんの判断を頼りに、オレの生活を変えてはいけない。
 オレの勘でいくしかない。
 そうやって、結果がダメだったら、「
オレがそれだけのヤツだったってこと」さ。
 もうね、オレ変わらないといけないんだ。
 オレはあの事故で死んだって不思議じゃないんだ。
 死んでいたと考えれば、この先、オレのやり方で通せばいいってことだね。
 他人のいう通りにやったら、お終い(おしまい)ってことだ。
 他人の言うことを聞いてだめだったらどうにもならないよ。
 やり過ぎだったんだから、いい潮時だよ。
 だからさ、手術はもうやらない。

 現代的な大病院を患者としてみると、医療システムがものすごいほどの検査道具のアンサンブルだってことがよくわかる。
 素人の考えでいうと、ほとんどの病院の人たちは、人間の意志力とか精神力とかを、最初から全く相手にしてないんだよ。
 検査による分析データとその解釈によって治療するという方法論が、実に徹底して、個人の顔が違うように異なるはずの個体差とか気持ちの部分は相手にされないんだ。
 それはどこの病院でもおなじだろうが。
 大病院に入ったら、その瞬間に、先生に自分の体を預けちゃっているんだよね。
「お願いします」
 なんだよ。
 その時点でもう負けている。
 病気になった個人なんて、病院という制度の前にはえらく弱いものなんだ。
「これ手術しなくちゃいけない」
 って医者から’言われたら、答えは、
「はい」
 しかないんだよ。

 看護婦さんから、
「偏食して肉類食べていないから、タンパク質の上がりが遅い」
 って叱られても、
「オレは今までこれで生きてきたんだ。
 病院が勧めるものなんか食わねえよ。
 じょうだんじゃない、それで死ぬならそれで’かまわない」
 ってワガママを言えばいい。
 それで死んだとしてもしょうがないだろう。
 病院の中でも、どっかに自分を出して、自分の色をつけないと駄目なんだよ。
「全部よろしくお願いします」
 ってのは対極的なものだ。
 これはオレの持論だけど、オレは自分の色を押し通すんだ。
 だから、手術は嫌だっていったの。

 確かに普通は、1%の可能性にでも賭けて、
「何をやってもいいから、治してくれ」
 っていうももかもしれない。
 そりゃあ、オレだって、あんまり腹が痛くて、腹を切れば治るってのなら頼むけど、オレの顔面麻痺は痛くないし、普通の生活するに何の問題もないんだ。
 オレが納得すればいいだけの話だから。

 手術を決めるってことは、医者の先生が決定権を持つってことになるわけで、そんなことまで医者に主導権もたれたら、オレが駄目になる。
 運よく生き残ったこの先の人生、それをどう生きるかは自分の意志が決めるもので、手術をどうするかってことに、オレの精神力がかかっていると思ったんだ。







【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_



:動物としての人間


● 1994/12



 一番なさけなかったのは、尿道に管を突っ込まれて垂れ流し状態を続けたというのが、どうにもならない。
 これ情けない。
 自分の排泄物まで他人に管理されてしか生きられない、っていう事実に圧倒されたよ。
 ほんとうにどうにもならないんだもも。
 顔がどうなろうとも、とにかく「歩かせて欲しい」って言ったんだ。
 二足歩行をはじめれば、他のことはどうにでもなるって思ったんだ。
 野生というか人類が歩き始めた頃というか、要するに動物そのものに。
 傷ついたライオンが餌にありつけず、結局ほかの動物に倒されて、その餌になっていくわけで、それが自然界の掟であって、例外はない。
 オレもその例外じゃない。
 人間の体はそういうもんだ。
 死んだり身障者になったりしても、じつに自然なことじゃないか。
 野生ってのはそういうことだ。

 いまの時代、医療技術が発達しているから、オレも怪我ぐらいはちゃんと治してもらえるわけで、それはすごくありがたいことなんだけど、精神的にはとても辛いことだったね。
 人間、歩けず動けずっていうことは決定的にピンチだよ。
 カミさんに食い物を口に入れてもらったことあるけど、こんなことしていたら駄目だって、生理的に感じたね。
 人の力でものを食わせてもらっているのは「
動物じゃない」よ。
 自分で生きるための糧を、自分の力で運べなくなったら終わりだよ。
 自分で食って自分で排泄する、これが「
動物としての人間」の条件だと思う。
 動物としての人間が根本だとして、自分の力で
食べて排泄して歩く、これが三大条件だ。
 それが満たされないと、意識とか意志とかが、動き回る余地がない。
 人間らしさがのっかている基盤が失われてしまうと思うね。

 辛いといえば、点滴にはどうしても馴染めなかった。
 薬も含めて栄養を点滴で入れているんだけど、これはどう考えても「人間的でない」んだよ。
 点滴している姿って、動物として不完全なヤツってこと。
 つまりさ、点滴しているってのは、それをしないで放っておくと死んでしまうぞ、ということと同じだ。
 やっぱり、生命力が駄目になった動物は死んでいくべきだと思うね。
 日本のような先進国の人間は、医学の力で死んで当然なところを生かしてもらえるわけだ。
 どうもそのへんが納得できない。

 傷ついたライオンに点滴してやって、
「お前はまだライオンだ」
 と言ってやったって、それはもうライオンじゃないよ。
 「寝たきりライオン」とか聞いたことないぜ。
 いくら文化というクッションが人間を支えているにしろ、やっぱり自分で歩いてエサをあさるという基本形を忘れてしまうのは、人間でも辛いものがあるよ。
 だけど、そういう強がり言っても、いずれは点滴様におすがりすることになるわけで、ほんとの最期は弱ったもんだと思うけど。
 誰にでも、もうすぐ、そういう時期が来るんだから。








【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_


2009年11月27日金曜日

:退院記者会見


● 1994/12



 記者会見はさ、マスコミとしては、オレが瀕死状態で口がきけないぐらいで出てくるのを本当は期待しているんだ。
 人間、やっぱり他人の不幸が楽しいんだ。
 とにかく入院が長引いて、できれば容態が悪化して死んでくれないかって思っているに間違いないね。
 そういう魂胆だよ、連中は。
 「早くよくなって、普通の生活と仕事を初めてください」
 なんて口では言うけどさ、お決まりの儀礼的な挨拶にすぎないよ。
 関係ないヤツが死んだ時でも「ご愁傷さま」っていうのと同じ、その程度のことだよ。
 容態悪化で危ないって記事の方が売れるんだから、絶対に。
 それでメシを食って、生きているんだ。
 そうやっていても、少しもバチは当たらない。
 「他人の不幸を記事にするなんてことはしてはいけない」
 なんてことを考えるヤツはいない。

 他人の不幸を見て楽しんじゃってる、もっと不幸を見せてくれっていう部分があるよ。
 それがいま生きている人たちの心の基本形じゃないかと思うね。
 「ありがとうございました。皆様のご支援のおかげです」
 といっている姿を見るよりは、
 「たけしは廃人になってタレント生命が終わった」
 という方を見たいわけだよ。
 他人の不幸を見ることによって、いまの自分がどんな位置にいても慰められる。

 他人の不幸を糧にして生きているヤツはいっぱいいるわけよ。
 そう考えてくると、人間自体が出来損ない、だっていうことよ。
 だからオレは共産主義は理想的宗教だと思っているけど、共産主義の考え方は間違いじゃないと思っているんだ。
 問題は、そういう立派な道具を扱えないってことだよ、人間ていうヤツは。
 「みんは平等で、みんなで働いて、なるだけ分かちあおう」
 なんてことは、誰でも納得するじつに当たり前のことだよ。
 しかし、それが自分のものにできないのが人間なんだよ。

 オレはこの顔面麻痺を背負っていくしかないだろう。
 この、ムンクの『叫び』のようになった顔で歩いていくしかないよ。
 どうにかこうにか、ボロボロの縫いぐるみだった体に、オレがなじみ始めていることだし。

 
記 者:あの、今回、奥様がたいへん献身的な看病をされた
    ようですけど。
たけし:ウーン、本当に、カミサンに今さら挨拶したってしょう
    がないし。
記 者:お嬢さんも途中からお見舞いにきてたんですか?
たけし:子どもですか?
記 者:ええ。
たけし:子どもは一切寄せつけないから。
記 者:はあ、それは何かあってですか?
たけし:オレの教育方針だから。
    オヤジはいない、と思えってのは。
    別に、あの、自分の親もそうですけど‥‥。

記 者
:あ、お母さんもお見えになってませんね?
たけし:え? ウチの?
記 者:あ、いらしたんですか?
たけし:ウチのおふくろ?
記 者:はい。
たけし:ウチのおふくろは2回くらい来た。
 
   「死んじまえ
    と言う。

    「世間様に対して申し訳がたつか
    って言われて。

    「根性がありゃ死ね
    って言われたんだけど。

    ウチの母親はすごい



注).ということは、生きているビートたけしは「根性なし」ということになってしまうのだが。




【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_


顔面麻痺:はじめに:ビートたけし


● 1994/12



 8月2日(1994)の未明って時刻にバイク事故を起こし、新宿の東京医大病院に救急車で運び込まれた時、意識はなかった。
 すぐに集中治療室に入れられて、検査とか投薬とかを次々にほどこされているときも、まるで意識はなかった。
 両手と胸、腹をベッドにくくり付けられ、身動き一つできない状態が2日ほど続いた。
 その間も意識は戻らなかった。
 時々、うめいたり、うわ言のようなことや会話の切れ端を言っていたようだが、ほとんどは眠り続けていた。

 集中治療室には8月9日までのほぼ1週間いて、世話をしてくれた人たちの言うには、入院3日目からはそれなりの会話をかわしていたようだが、いまとなってはまるで覚えていない。
 目を覚ましている時、条件反射のように受け答えはしていても、ちゃんとした意識はなかったのだと思う。
 ことの次第をそれなりに意識して、意味ある話ができるようになったのは一般病棟に移ってからのことだ。

 最初の1週間は夢の中にいたようなものだ。
 夢を見ていたんだと思う。
 どんな夢かというと、自分で初めて運転したバイクがガードレールにガーンとぶつかって、宙を飛んだからだが道路に叩きつけられ、そのまま魂が抜けてしまって、グンニャリと死体みたいになったのが、ポンと転がっている。
 それがビートたけしって男の縫いぐるみだった。
 中身が抜けてヨレヨレになった縫いぐるみは、やけに軽くて片手で簡単に持ち上げれれる。
「 なんだ、これ。
 ああ、顔がズタズタになっちゃってる。
 頭がへこんでじゃってるじやないか」
 それで、縫いぐるみを持ったまま、ちょっと考えたんだ。
「 ああ、こんな縫いぐるみを着て、この先、まだ生きていかなくちゃいけないのかな。
 これを着るのかどうか、決めないといけないのか」
 ってね。
 どういう筋道かわからないけど、
「 まあ、しょうがないから、それはそれで着ていこうか」
 って気持ちになっていた。

 そういうふうにして夢から覚め、面会謝絶の病室で点滴の栄養と薬で支えられながら、一歩も歩けないクズのような体を相手にする生活が始まった。






【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_


2009年11月24日火曜日

だからこうなるの:我が老後:佐藤愛子


● 1997/11



 原稿のつづきを書いているうちに深夜になった。
 雨はまだ降り続いていた。
 夜半過ぎ、庭でどさっと物の倒れるような音がしたが、気に留めずに仕事をつづけた。
 こういう時、たいていの人はすぐに見回りに出るらしいが、私はいつもほうっておく。
 夜盗のたぐいであれば、そのうち家の中に入って来るだろうから、その時に対応すればよい。
 賊と戦って勝てばそれでよいし、負けたら負けたでかまわない。
 そのときの気運に任せるのがよい。
 人生73年生きたのだ。
 たいていのことは経験してきた。
 おかげで欲しいものも、楽しいこともない代わりに、怖いものもなくなった。
 来るものは何でも来たらええ-----
 そんな気持ちになってしまった今日この頃なのである。

 「この節は新聞も雑誌も低調ですね。読みたいというものがないわ」
 などとえらそうに言っているが、読みたいと思わないのは記事が低調なためではない。
 活字が見えにくいため、読みたいと思わなくなっているのだ。
 「ものいわぬ婆アとなりて年の暮れ」
 という趣になり果てるのであろう。
 呉服屋がやって来て例によって反物見世を広げる。
 ああいい色だ、いいデキだ、とつい手に取るが、すぐ思う。
---どうせそのうち死ぬんだ。
  買ってもしょうがない-----
 「白内障の手術は簡単ですよ」
 と手術を勧められる。
 だが思う。
---あと少しの辛抱だ。
  そのうち死ぬ-----
 手術のために時間とお金を使っても、まもなく死んではつまらない。

 私には40代の頃から「これでなければイヤ」という口紅がある。
 だがその口紅は日本橋の高島屋へ行かなければ売っていないので、出不精の私は2年に一度か、3年に一度、2,3本まとめて買うのを常としていた。
 今、使っているものは何年前に買ったものか忘れたが、最後の1本が大分減ってきている。
 たまたま高島屋に用があって出かけ、そのことを思い出した。
 そうだ、ついでに-----と思って売り場に行き、今までのように2本ください、と言いかけて、待てよ、1本でいいかと思いなおした。
 2本買っても残ったらもったいない。
 1本にしておこうか?
 しかし、と考えた。
 今、使っているものが半分と少しある。
 それを使い切るまで様子をみたほうがいいんじゃないか?
 「あッ、ごめんなさい。ちょっと」
 と言って私は売り場を逃げ出した。
 なにが「ちょっと----」だ、と思いつつ。

 この話を聞いた人はほとほと呆れ果てた、といわんばかりに、
 「どうしてそう、
ケチなんですかア」
 とため息をついた。
 うーん、やっぱりこういうのを「ケチ」というのかなあ。
 私としては「ケチ」というより「
死生観」と言って欲しいのだが。

 桃咲いて爺イなかなか死にもせず    紅緑

 死ぬ死ぬという奴ほど長生きをする、と誰もが言う。
 こんなに死ぬことばかり言いながら、「婆ア、なかなか死にもせず」と言われることになるかもしれない。







【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_


:過剰の理論


● 1995/01[1982/10]



 バタイユの普遍経済理論の枢軸は「過剰の理論」である。
 バタイユは『呪われた部分』でこう述べている。

 生命体は。地表のエネルギーの働きが決める状況のなかで、原則としてその生命の医事に要する以上のエネルギーを受け取る。
 過剰エネルギー(富)は一つの組織(例えば一個の有機体)の成長に利用される。
 もしも、その組織がそれ以上成長いないか、あるいは成長のうちにことごとく摂取されえないなら、それを利潤抜きで損耗しなければならない。
 好むと好まざるとにかかわらず、華々しい形で、でなければ破滅的な方法で、それを消費しなければならない


 別の言い方で、この論旨を補ってみると、次のようになる。

 生命の最も普遍的な条件、つまり太陽エネルギーがその「過剰発展の根源」であるということだ。
 太陽は返報なしにエネルギーを(富)を配分する。
 太陽は与えるだけで、決して受けとらない。
 太陽光線は地球の表面にエネルギーの過多を発生させる。


 「呪われた部分」とは、この過剰(豊かさ)であり、それは奢侈的浪費の瞬間に明瞭に姿を現す。
 過剰理論は二段構えになっている。
 第一に、
根源的過剰という意味での過剰概念がある。
 それは太陽エネルギーの贈与である。
 このレベルでの過剰は、アプリオリな過剰である。
 あらゆる生命体は、ひたすら受動的に、
与える者としての太陽から、過剰の富を受け取るしかない。
 それは宇宙論的アプリオリである。
 第二に根源的過剰を土台として、その上で展開する「過剰化-過少化」の運動がある。
 過剰化とは、成長蓄積である。
 過少化とは、成長蓄積で膨れ上がった過剰分を破壊し損耗することである。

 本題から逸れるが大切なことなので繰り返す。
 バタイユは『呪われた部分』の後半で、1960・1970年代でようやく気づかれだす地球人類の社会的・政治的危機の根元をえぐり出し、
地球規模での財のトランスファー(先進国による後進国への援助の先取り)、つまり「贈与」政策を提起している。
 当時、誰が「マーシャル計画」の背後にかくされている、普遍経済的贈与論の意味をバタイユ以上に気づいたものがいただろうか。
 バタイユの考えでは、過剰蓄積分は歴史上しばしば大抵は軍事・戦争にまわされてきたが、現代ではそれは破滅となる。
 それにとって代わるには、ムダにも思える宇宙競争でもやらせておいた方が危機を回避できる、といったところだろう。
 1945年頃にバタイユが予感したことは、その後、国債規模で現実化した。
 世界史はバタイユが描いた軌道を走った、とも言える。








【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_


2009年11月23日月曜日

:謎としての貨幣


● 1995/01[1982/10]



 人類の生活史のなかには、今でも解き明かされていない数々の謎がいっぱいある。
 なかでも貨幣は最大の謎のひとつである。
 どのような意味で、貨幣は人間にとって謎なのであろうか。

 金であれ紙幣であれ、貨幣は日常的には交感手段や計算基準の役目を果たす。
 なぜそんな役目があるかといえば、貨幣があらゆるものと交換可能だからである。
 なぜ貨幣はあらゆるものと交換可能なのであろうか。
 ここまでくるとナニが何だか分からなく。
 貨幣とはそういうものだ、というしかない。
 いろいろ解釈が出されているが、つまるところはもっともらしい経済学的解釈でしかないのである。

 貨幣は原則としていつでもあらゆるものと交換可能であるという特質をもっている。
 いったいどうしてこんな神のごとき能力を貨幣がもっているのであろうか。
 貨幣の万能性はモノから来るのではなく、人間の社会関係から来ると考えるのが筋道である(金貨ならまだしも実物主義で処理できるようにみえたが、紙幣では実物で説明できるものではない。一枚の紙からどうして万能性が出てくるのか)。
 貨幣の力が人間の社会関係から出てくるという点に、「記号としての貨幣」、「貨幣の記号性」がある。
 「記号」は何事かを指示するだけでなく、「何ごとかの意味」を表す。
 だから貨幣も、商品の価値を指示するだけでなく、価値現象の社会的意味をも表現しているのである。

 価値現象は決してモノから発生しない。
 価値とは、すぐれて人間的現象である。
 価値現象は、一人の人間からは決して生まれない。
 人と人との関係、あるいはコミュニケーションからのみ価値現象は生まれる。
 価値とは社会関係に固有のもの、社会関係があってはじめて生まれる独特の現象なのである。
 この価値を代理的に表現するものが、社会関係を律するものとなる。
 社会関係は必ず価値を発生させ、同時に価値によって支配される。

 コミュニケーションの最も恐るべき実態は次のように定式化される。

 共同体の全員が心をひとつにして(心を鬼にして)、ただ一人(一つ)のものを排除すること。

 こうして排除されたナニものかと、それが生きる空間が、第一次的には「けがれ」の存在と空間である。
 この排除空間は、共同体の「内なる外」の空間であって、共同体の排出するすべてのケガレ(エントロピー)を吸収してくれる。
 排除空間を作れない社会関係は、社会関係でありえない。
 近代マーケット・システムの貨幣メカニズムは、排除空間の設定を絶妙な合理性をもって実現したともいえよう。
 貨幣は近代経済の中でも、単なる交換手段ではなく、なによりも社会に内在する「けがれ」を吸収し、解消する空間なのである。
 不可視の排除空間であることこそ、近代貨幣の本質なのである。

 近代社会は、以前のどの社会と比べてもたとえようもない莫大な過剰欲望とエネルギーを生み出している。
 また、それに応じて莫大なケガレも生み出している。
 これらの過剰分を何かが吸収し、これらのケガレを何が吸収し、流してくれるのか。
 それは、貨幣以外にはない







【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_


2009年11月22日日曜日

暴力のオントロギー:はじめに:今村仁司


● 1995/01[1982/10]



 力と暴力、戦争と闘争といった文化現象は、社会科学と社会哲学にとって避けて通ることのできない根源的諸問題である。
 それらの現象は、社会形成と「社会体」の運動や歴史の基礎にあり、逸脱的病理現象ではない。

 社会理論の構成が精緻に仕上げられていくとき、闘争現象は抹消されることがしばしばある。
 ひとたび理論構成の前提を問うとき(これが社会哲学の課題をなす)、この抹消こそがきわめて問題的となる。

 社会思想は、常に何らかの形で、既存の秩序から「はみ出る」要素を持つことによって、社会生活と実践にとっての意義を持つ。
 いいかえれば、直接的に可視的な空間を超え出る別種の空間を産出するのが、実践的な社会思想の課題であろう。
 この超え出た何ものかを「剰余」とよべば、この剰余空間こそ最も重大な社会的思想的空間となる。

 平和の可能性は、ひとたびは暴力と闘争と戦争という地獄のなかをくぐりぬける必要がある。
 平和の思想は、何よりもまず戦争の思想(戦争を考える)をもって始まる、とういうのはやはり真実であろう。

 社会の起源は、言語の起源と同じく、科学的には処理できない。
 われわれの考察は、よって経験科学的考察ではない。
 社会形成の「仮説的で条件的な推理」、つまりあえて言えば「思弁的」考察がわれわれの課題である。
 思弁的という用語は、ここでは肯定的に使用される。
 経験的な観察材料を基に理論を構成することは、いかに注意深く科学的手続きに則るとしても、つねに思弁的を免れるものではない。
 科学的認識の前提は、つねに「思弁的」性格を有する。

 社会理論を体系的に記述しようとするとき、どの論者も社会形成の原点に精細な工夫をこらす。
 この原点の考察を導く思考のタイプは「仮説的・条件的」な推理であるほかないのである。
 これを称して「思弁的」という。





【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_


2009年11月17日火曜日

:宇宙和食


● 1994/10[1994/09]






 1993年11月、「自慢の和食を向井さんへ」とシャトルに積む宇宙料理の募集記事が新聞に掲載された。
 「ユニークな日本の食文化を国際的に紹介し、NASAの宇宙食に和食を提案しよう」という趣旨である。
 募集期間は25日間と短かったのにも関わらず、1,730通にも上る応募があった。
 


 NASAの宇宙食はすでに百種類を越え、そのメニューも豊富である。
 今では形態も国際線ジエット旅客機の機内食並みになり、オーブンで加熱したり、湯を注入して食べられるようになった。
 飛行士はNASAの検査さえパスすれば、市販の保存食品も限られた量だけ持込ができる。

 宇宙食には、
①.汁や粉が飛び散らないこと
②.きつい匂いを発しないもの
との制約がある。
 このため、汁のそば、ウドンは原則的に不可能とされる。



 NASAの宇宙食の製作手法はまだオープンになっていない。
 NASAの宇宙食の基本的な条件は、「軽いこと」と「保存性が高いこと」だ。
 スペースシャトルには冷蔵庫や電子レンジの調理設備がないので、37.7度で30日間以上の保存に耐えられなければいけない。
 そのために「凍結乾燥(フリーズドライ)」、あるいは「加圧加熱殺菌(レトルト)」などの方法で加工することが必要である。

 まず、応募のレシビの提案通りに調理した。
 油を使っているものは「レトルト」、それ以外は「フリーズドライ」で加工した。
 3回目の試食会は、宇宙料理を20品目に絞り、2月28日にNASA・ジョンソン宇宙センターのフード・ラボ(宇宙食研究室)で開いた。





 特に注目されたのは、果物デザートの「旬の果物の幸せ煮」だった。
 これは生の果物の味や香り、食感をそのまま活かしながら、保存性を高めるために、日本独自の超高圧処理法を使ったものである。
 海底4万メートルの圧力に相当する「4千気圧」の超高圧を10分間かけるもので、日本もマルハを含めて2社しかもっていない加工技術だ。
 NASAにもない食品加工方法が認められるかどうか不安もあったが、飛行士たちからは「ぜひとも果物が欲しい」という要望が強く、搭載が決まった。
 スプースシャトルでは、新鮮な野菜や果物は最初の2,3日しか食べられないが、超高圧処理してあれば飛行中いつでも食べることができる。
 日本の技術がアメリカの宇宙食の歴史に新たな一ページを開くことになった。

 さらにこの中から入選の9品目が選ばれ、佳作の4品目とあわせた合計「13品目」がすべてNASAのチェックをぱすし、コロンビアに搭載された。
 「和食を宇宙へ」の食品技術者たちの夢はかなえられたのだ。












【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】



_