2009年7月19日日曜日

奇想の江戸挿絵:江戸後期挿絵の魅力:辻惟雄


● 2008/07[2008/04]



はじめに

 日本人は昔も今も、文章に絵をつけたがる。
 物語を文字で追ったり聞くだけでなく、目に見えるイメージとして体験することが好きなのだ。
 平安時代に絵物語が発達したのはそのためにほかならない。
 絵物語は、中性の御伽草子絵巻や奈良絵本となって普及する。
 近世の木版冊子の中では、木版の挿絵が、文字を助け、あるいは文字を読めないものの助けとして、大きな役割を果たしてきた。
 江戸時代後期の町人文学といえば、遊里の機微をうかがった洒落本から黄表紙へと進む戯作(げさく)の動きがまずとり上げられる。
 この黄表紙や洒落本作家を代表する恋川春町(1744--1789)や山東京伝(1761--1816)は職業絵師そこのけに挿絵も得意とした。
 黄表紙のはじまりとされる恋川春町の「金々先生栄華夢」をはじめ、黄表紙には自作自画のものが多い。
 のちに読本挿絵の第一人者となる北斎も、春朗と称した若い頃は、自作自画の黄表紙作家だった。
 もともと子どもむけの絵本から出発した黄表紙だから当然であるが、大人の文学になっても「絵本」なのが江戸の戯作の特色である。

 黄表紙や洒落本は寛政の改革で手厳しい弾圧にあう。
 代わって注目されたのが「読本」である
 洒落本、黄表紙の行き詰まり状況から転向を試みた山東京伝や博学の曲亭馬琴が読本作者の二大スターであり、京伝は歌川豊国(1769--1825)と、馬琴は葛飾北斎(1760--1849)と、それぞれコンビを組んで活躍した。
 文化年間(1804--1818)が読本の黄金時代である。
 読本は園なのごとく「読む」ことを主眼した小説である。
 読本のテキストは、それだけ読んだのでは、入り組んだ筋書きと荒唐無稽な場面の連続が読者を当惑させ、ついてゆくのが大変である。
 挿絵がそこで大きな役を果たすことになる。

 読本の挿絵は、江戸後期の大衆文化が生んだ「妖しい花」というべき魅力的な存在なのである。
 挿絵あっての読本ではないかとさえ、わたしは思う。
 読本のテキストの波瀾万丈、摩訶不思議な内容を、読者にイメージとしてより強く訴えるために、画家は白黒木版画の小画面という厳しい制約を逆手にとって、さまざまな表現手法を生み出し、斬新で強烈な画面を作りだす。
 絵巻のお株を奪った2ページ続き、3ページ続きの長い画面が物語のクライマックスで現れ、ページをくくる読者の好奇心をいやが上にもかきたてた上で、最後のページに驚きのイメージが出現するという仕掛けである。

 読本挿絵の画面は、どれも「動きのイリュージョン」を作りだそうとしている。
 人間は「動く物質」であるのに、それを「動かない物質」としてスタテイック(静的)にとらえるのが西洋流だとすると、人間や妖怪や自然までもを「運動の相のもとに」とらえる読本の挿絵の手法、ひいては世界観は近代の哲学者のお眼鏡にかなやもしれない。






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